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自分が育った街とこどもを育てる街

・あたりまえの話なんだけど。
街というのは10年20年と時間が経てば、
情景は大きく変わっていくものだ。
そんな中でも、変わらない景色とかがあったり。
昔、住んでいた街に久しぶりに訪れると、
変わっていく街の変わらない場所とかが、
当時の生活を思い出させてくれて、
これが、また情緒に訴えかけてくる。
ぼくは10年くらい前に実家を出てからは
もう人生の1/3は地元を離れてるということになる。
同じ都内ではあるけど、
地元じゃない場所で結婚をして、こどもを育ててと。
まあ、頻繁に実家には帰るけど、
「生活圏」は、もう10年近く地元じゃない街だ。

格家族なんて言葉が叫ばれてからは
もう半世紀近くは時が経つのかな。
「実家を離れて子育ては違う街で」なんて夫婦も
あたりまえの世の中になってると思うんだけど。
「生まれ育った街で子育てをする」っていうのは
今となっては、やっぱり特別なことなんだろうかね。

少し想像を膨らませてみるとさ、
20年以上前に生まれ育った街は
変わった場所も多いけど変わらない場所もまたある。
昔からその場所にあってずっと変わらない小児科とか
じぶんが通ってた幼稚園、小学校。
遊具は変わったけど、あの時のままの近所の公園。
じぶんが小さい時を過ごして育った街で
じぶんのこどもを育てるのは
じぶんの幼少期の追体験になるんだろうなあ。
一方で、昔からあるスポーツジムで、
じぶんは習わなかったプール教室とか、
じぶんは預けられなかった学童とか、
じぶんのこどもをもしもそこに通わせるなら、
じぶんの幼少期には知り得なかったけど、
その場所でもまた同じ時間が流れてたんだなと
感傷に浸ったりするのかな。
そんな中で、変わった場所や文化については
時代の変化を感じたりして。
当然、この20年の間には、
長い歴史に幕を閉じたお店とかもあって、
新しいお店が立つ場所にかつての面影を感じたり。

少子化は今後ますます進んでいくだろうし。
東京なんていうのは、
人口の流出入がいっそ激しくなっていくだろうし。
人もお店もどんどん入れ替わり街は変わっていく。
そういう変化に順応していくのが、
現代を生きる術なんだろうけど、
「生まれ育った場所と子供を育てる場所は違う街」
と、割り切っちゃうのは、
どこかもの寂しい気もするよなあ。

なんだか、ぼやっとまとまりがないけど
このまま出しちゃいます。

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