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原宿

・今はあまり聞かないかもしれないけれど、
裏原と呼ばれる場所がぼくの学生時代の頃は
やたらととりはやされていました。

たしか、中学1年か2年の頃か。
いざ、裏原に行こうといきまいて、
洋服屋さんを周って原宿を散策したのち、
家に帰ってから裏原に行ったよと兄に報告したら、
「それは竹下通りだよ」と。
「裏原はそのもっと奥だよ」と教えてもらったのは
当時は目から鱗の思いでした。
裏原を知ってからは、ここが時代の最先端と
思わんばかりに何度も通いました。
そこで、買ったTシャツは7,000円くらいの値段。
当時なら、Tシャツの相場なんて、
近所の量販店で1,500円くらいが相場。
白い生地が汚れないように
神経を注いで過ごしていました。

高校生になると、またまた兄に教えをもらって、
美容室も原宿のお店に行くようになりました。
最初はとにかく手当たり次第、
色んなお店を回ったけど、流れに流れて今のお店に。
当時は、原宿は隔月で美容室へ行く場所へ。

社会人になってからは、
職場が渋谷にあったものだから、
勤務前後で、原宿には何かと通ってた気がします。
東急プラザ6階や明治通り沿いのスタバには
勤務前によく行ってた気がします。
原宿から渋谷へ歩いて移動する時は
キャットストリートを歩いていました。

それから月日が経って、今じゃあ、原宿は
子どもがあのお店に行きたいと言って、
子どもと一緒に遊びに行く場所になりました。
竹下通りを抜けた先にあるムラサキスポーツは
当時から変わってないです。
ラフォーレと向かいのジョナサンも
あの頃と相変わらずです。

まとまりのない話ですが、
原宿のなんとなくの思い出話です。

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