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そこに家(うち)があるから、そこでお店をやる

・昨今の東京の街には、
大企業のマーケティング戦略が張り巡らされていて、
コンビニやらファーストフード店やらのチェーン店が
各地に出店されている。
企業は、多くの人がお店に来てくれて、
求人のスタッフも集まり、物流効率も良い、
これらのことを踏まえて、
総じて、利益が上がる場所を選んでいるわけだ。
一方で、ぼくたち消費者からしてみれば、それは、
とても便利なことで。手頃な価格でおいしいものが、
駅前の商店なんかに行けば一カ所で手に入る。

おぼえてる限り、それはここ25年くらいのことで。
それ以前は、もっと個人の商店が多かったはずだ。
ちょうど昨日は地元を散歩する機会があってね。
駅からだいぶ離れた住宅街を歩いてると、
年季の入ったシャッターがちらほら目にはいる。
看板には「食料品店」「酒屋」「クリーニング」
やらと、書かれている。
それらのお店が、もうずいぶんと前から
営業をしていないことは一目でわかる出で立ちで。
そこは商店街というようなお店の集積地でもない。
住宅街にポツン、ポツンと点在しているのだ。
こういった「昭和のお店」のことを考えてみると、
出店場所というのはあってないようなもので。
それこそ、そこに家(うち)があるから、そこでやる。
といった感じなのだろうなと思った。

そこに便利さはないんだけれど、
お隣さんとの会話だったり、
顔の見える常連さんとのやりとりだったり、
コミュニケーションがあった様子が伺える。
昨今のマーケティングは便利さをもたらしたけど、
それだけでは設計できない「人情」も、
またそこにはあったのかもしれないなあ。

商店の集積はあったけど住宅に変わっていたのかも。

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