9月18日

・筋トレには昔取った杵柄もなにもない。

法学や医学といった勉学にしても、
野球やサッカーといったスポーツにしても、
焼き物や染め物といった伝統技術にしても、
ゲームにしても、料理にしても、運転にしても、
何十年も続けて身に染みついたものは
多少のブランクがあったとしても、
頭や身体が覚えているもので、
無くなるものじゃない。
身体に身について一生ものになるなら、
人生の多くの時間を費やすこともいとわない。

筋トレはそういうわけにはいかない。
20年ずっとトレーニングを続けてきても、
半年そこそこやらなかったら、
それはもう筋トレをやってない身体の見た目だ。
ある意味では筋トレで仕上げた身体は刹那なのだ。
手塩をかけて育て上げてきたのに、
少しでも手を抜いたら壊れてしまうからこそ、
ボディビルダーにとっては、
自分の筋肉が尊いのだ。
昔はすごかったと自慢してもしょうがない。
今,現在進行形ですごくないと
だれも説得ができない。
お金と気持ちと時間の余裕がないと続けられない。
あたりまえじゃないからこそ、
筋トレをできること自体が幸せなのかもしれない。

これは筋トレのエッセイ。

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