見出し画像

住み慣れた街でも迷子になるのはなぜ

・幼少期を過ごしてきた街と
大人になってから暮らしてる街って、
理解度がやっぱり違うなーって思うことがあって。
前者は地元のことで、
後者は実家を離れてから暮らしてる街のこと。

大人になってから暮らしてる街って、
一向にその街について詳しくならないのよ。
それは由緒とか歴史とかのことじゃなくてね。
その街の周辺を構成してる住宅街とか、小道のこと。
これってね、結局はさ、
大人になってから暮らす街って、
生活圏でしか移動しないからなんだと思うんだよね。
駅周辺とか商店街とか、
こどもが通う保育園とか学校の通学路、
近隣の繁華街へ抜ける小道程度しか、
実際には街の土地勘ってなくて。
ちょっと小脇の道を入って進んでいったり、
どこどこの通りがどこに繋がってるとか、
何ブロック先を曲がると、どこの道に繋がるとか。
こと、住宅街の小道の事情になってくると、
5年、10年暮らしてても一向に
そういう土地勘には詳しくならないと思うんだよね。

ところが、地元はさ、もう自宅から半径5キロ圏なら
手に取るように土地勘があるじゃない。
東西南北に位置するそれぞれの駅までの道なら
最短経路を把握してたり、
どんなに細い小脇の道を進んでいっても
まったく道に迷わないじゃない。
不必要に道に詳しいというのかな。
こどもって、生活圏とは関係なく、どんどん道を
覚えていく機会があるじゃない。
それは好奇心で知らない道を進んで、次第に
覚えていくっていうこともあると思うんだけど、
1番大きいのは友達んちだよね。
友達ん家なんていうのは住宅街の中の
突飛推しもないところにあってさ、
言葉で説明できるような親切な場所ばかりに
あるわけじゃないじゃない。
ひたすら複雑な小道を何回も曲がって進んで、
そうして身体で道を覚えていくわけだ。
でさ、面白いのが,小学校、中学校と
地元の学校を進学していくと、
学域が広くなってくから、
友達んちもさらにアメーバ状に広がってくんだよね。
そうなるともっと地元の街について詳しくなってく。
こうして小学校から中学校までのおよそ10年間で
叩き込まれた地元の街の土地勘っていうのは、
やっぱり特別なものなんだよなあ。

ところがさ、
今度は自分が大人になってから暮らす街で
こどもを育てると、こどもにとっては、
その街が地元になっていくわけだよね。
そうして成長とともに身につけていく土地勘って
実は親以上にその街について精通してるってことも
珍しくないんだろうなとふと思って。
自分が知らない間に、自分以上に
こどもはどんどん道を知って、詳しくなっていって。
なんだか、まるで人生のメタファーを
そんなところに感じてしまったな。

寝かしつけの夜道の散歩でふと思ったことでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?