見出し画像

「すごく渇望したけど与えられなかったものが私を豊かにしてくれた」

・「与えられたものよりも、すごく渇望したけど
与えられなかったものが私を豊かにしてくれた」
これは、宇多田ヒカル(略称)が先日のラジオ番組で、
リスナーからのお悩み相談に対して答えた一言。
読み上げたメールの回答で、こんな詩的で、
なんとも情緒的なフレーズが
口を衝いて出てくるなんて。

「与えられなかったものが私を豊かにしてくれた」
一見、逆説的だけど、今いる自分を肯定してくれる。
何か心の奥底をエグられるような、
そんな、とても考えさせられるようなフレーズ。
そして、彼女の生い立ちに照らし合わせると、
なんだか、色々なことを想像してしまうなあ。
それもひっくるめて、酸いも甘いも
こんな詩的な言葉に昇華してしまうなんて、
なんだか、とても素敵だなあと思った。

誰もが天才と称する宇多田ヒカルの良さなんてのは、
すでに周知の事実で、拙くて薄っぺらい文章を
自分が改めて書くのもどうなのかと思って、
1週間くらいの間、書くのをためらっていたけど。
でも、やっぱり、書かずにはいられないんだよあ。
もう芸術性が素晴らしいというか。
音楽アーティストとしての表現力の豊かさは、
現存のシンガーソングライターの中でも
頂点なんじゃないかなと思うくらい。
とても高いレベルで芸術性を表現してるんだけど、
どこか遊びがあって、優しくて、わかりやすくて、
それでいて、色々な音楽ジャンルを踏襲した上で,
「自分」というか、「らしさ」みたいなものを
端的に表現してて。
見るものにはとてつもない力を勇気を与えてくれる。
そんな唯一無二の存在。

ぼくが宇多田ヒカルについて知るのは、
Wikipediaなんかで得た付け焼き刃の知識なんだけど
でも、Wikipediaでもバカにならない。
情報の出典元がきちんと明記してあって、
いわば、色々なインタビューや発言内容が
まとめられたキュレーションコンテンツのようだ。
「宇多田ヒカル」のページも充分過ぎる内容だけど、
「First Love」とかアルバムでもページがあって、
もちろん、シングルごとにも。
制作過程やインタビューの内容のまとめ、
その曲に込めた想いなどが一つ一つ紹介されてて、
とにかく膨大な情報量はつい読み耽ってしまう。

そんななかにこんな評が紹介されてて
「同世代でデビューした歌手と比して、
女性たちの憧れの対象とはならず、
デビュー以来、徹底して「個」の表現であり続けた。
そういうタイプのアーティストが登場し、
そのデビュー作が最も大きなヒットになったことが、
時代の変化の大きなうねりに繋がった」
これは全くその通りだと思って。
現に、90年代後半から2000年代初頭に活躍していた
アーティストの多くは、当時ではカリスマとまで
支持された人でさえ、20年以上経つ今では、
歌手としての第一線を退いた(ように見える)なか、
(いや、そんなことはないんだけどね…)
宇多田ヒカルだけは、ずっとアーティストとしての
マイウェイを進み続けて、多くの人を魅了してる。
それも日本を飛び出して、世界という舞台で。
それも日本語の音楽で!

大変畏れ多いけれども、誤解を恐れずに、
自分なりの宇多田ヒカルの解釈をしてみると。
「人間活動」と称して活動休止をした
2010年の以前と以後で、宇多田ヒカルの表現性
というのは大きく変わったように思う。
昔の、「Keep Tryin」なんかのPVを今見返すと
どこか商業感が強いなあというイメージ。
(あくまでも"PVが"です)
ところが、ロンドンで暮らしてからの作品。
アルバムでいえば、「Fantome」あたりから
だろうか。海外のトップアーティストたちと作る
作品はとても高い芸術性を感じる。
(いや、それまでの作品ももちろん最高だけど、
"特に"という意味で)
音のジャンルの幅も格段に広がったのはこの頃。
祖国を離れ、海外のトップアーティストとの交流が
様々なインスピレーションを与えて
創作の意欲と幅が大きく広げていったように思う。
かっこいいなあ。

これも、よくYouTubeのコメント欄なんかで
書かれてるような月並みな言葉だけど、
音楽をこんなに高い芸術の域にまで
持っていっているアーティストの姿を
「同時代に生きて見れるというのは幸せ」なこと。
冒頭の「与えられたものより…」のフレーズが
口を衝いて出るのは、
いったいどんな感受性で普段から物事を捉えてるのか
そんな魅力が、宇多田ヒカルをもっと知りたいと
思わせる。そして、これからもどんな高みに
我々を連れて行ってくれるのか、
この先の活躍が楽しみでしょうがない。

いやあ、ついに宇多田ヒカルについて
書いてしまったけどこんなもんじゃないんだよなあ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?