独自の世界観を守り抜く難しさ
自分はスピッツが好きだ
ライブに行ったことがあるわけでもないし、グッズをたくさん買うようなファンでもない。でも、中1の頃からずっと好きだ
最初は音楽好きな親の影響で聴き始めた。でも、親の影響で聴き始めたアーティストの中でも、スピッツは特別な感覚がある
親の影響で聴き始めたアーティストでも、歳を重ねるにつれて聴かなくなったアーティストもたくさんいるからだ
スピッツの何が好きか、ずっとわからなかった
なんだかわからないが、スピッツはずっと好き、という感覚で今日まできた
そんな中、今日、ふと考え事をしている中で気づいたことがあった
一貫して変わらない独自の世界観
アート、宇宙、哲学、エンジニアリング、職人、伝統芸能、建築、社会課題解決、ジブリ、事業創造、チーム、ニッチなコミュニティ、食 etc.
幼い頃からどんなものにでも興味を持っていて、特にそれらに共通点を感じられていなかった自分の志向性の共通点が見えた気がした
スピッツが好きな理由もそこにあった
世界観を守り抜くだけでなく、その世界観の独自性を保ち続けている
数十年も時が経つと外部環境も大きく変わって、同じような世界観を持つ人々も増える
時代や自分の変化とともに、作品に込められる世界観も変わりゆく
どうして、彼らの音楽がつくる世界観はずっと変わらないままなのだろう
変わらないまま、新しいのだろう
彼らにしか生み出せない世界観がそこにあり続けるのだろう
それは彼らが彼らの持つ世界観を維持するための努力をめちゃくちゃしているからだろうな
なんの努力もなしに、あの世界観を25年守り続けることはできないだろう
ピーク時に電撃解散した、電撃引退したアーティストがなぜかっこいいか
彼らの世界観が変わらないまま、歴史を終えることができるから
彼らの世界観の純度は極めて高いまま歴史に残り続ける
変わらないままってのはそれだけで難しいし、変わらないままで新しいってのはなお難しい。変わらないまま新しいを永久に残すために、自ら創作を終わらせていくアーティストがいるくらいななんだから
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