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添削

作文が好きな子供だった。
一番大好きな授業が作文を書く授業だった。
得意だと思っていた。
書くのも早かった。

高校時代、通常の模試の結果は散々だったけど、小論文模試の偏差値だけはよかった。小論文が試験にある学校を受験することはなかったけれど。

就職してから一年目の研修で書いた私のレポートは大絶賛され、院内報にのった。

私は文章を書くのが得意な人間だと思いこむには十分な材料がそれなりにそろっていたと思う。

就職して何年目かに、アメリカでメディアの勉強をしてきたという方が出産のために私の勤めていた病院に来られ、きっかけは忘れてしまったけれど仲良くなった。まだPCの普及率も低い時代に、彼女は自身のウェブサイトを立ち上げ、自分で取材したことなどを載せていた。
彼女にインタビューを受けて、私のことを記事にしてもらったこともある。懐かしい。もう一回読みたいけれどもう読めない。

その彼女に、私は彼女のウェブサイトに載せる文章を書いてみないかと持ち掛けられた。喜んで、自信満々に引き受けた。得意だもの、彼女に喜んでもらえるようなものを書いてみせる、と。

私は親友の出産のことを書いた。なかなかに感動的な文章じゃないか!と自画自賛して彼女に渡した。

結果、面白くない、といわれた。私が書いたのはただの助産記録でしかないと。

ショックだった。
恥ずかしかった。

そこから書き直して私は彼女に提出するようなことはしなかった。私の中のピノキオの鼻はぽっきりと折れて、つまらないものしか書けない書くのが苦手な私、になった。


あれから20年以上が過ぎ、今私はちょこちょことnoteを書いている。
あの時私が、自分なりに書き直して、彼女に食らいついて添削してもらい、みんなが読みたいものを書く訓練をしていたら、今の私の書くスキルは今よりましなものになったかもしれない。子供のころのようにもっと楽しく自信をもって書くことができたかもしれない。

誰かに添削してもらう機会を私は失ったまま、なんだかぼやけた自己満足なだけの文章を書いて今を過ごしている。

でも、まあそれでいい。
プロではない。素人だ。

自分が面白いと思えるものをこれからもかけたらいいと思う。
自分が読み返して面白ければそれでいいのだ。

それでいいのだ。

多分、それでいい。


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