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プレゼンテ-トする人たち

 最近妙な言葉を耳にするようになった。それは「プレゼンテーター」という。用法としては何某かの賞を授与する人を指しているらしく、それならば「プレゼンター」であろうと思うのだが、全く無関係の場所で複数回、当然ながら別々の発言者の言葉として耳にしたのであるから「プレゼンテーター」なる言葉はある程度一般的なものとして認知されているのだと思われる。

 そういった正しくない言葉の使い方に、若いころであれば私も勇んで間違いを指摘して(そして煙たがられて)いたことだろう。そのころTwitterなりをやっていなくて本当に良かったと思う。

 時代とともに言葉は変化するものである。以前オリンピックの日本代表選手団に対して時の首相が「せいぜい頑張ってください」と発言して物議を醸したことがある。「せいぜい(精々)」とは私が子供のころ数十年前にはすでに、どことなく相手を小ばかにするような「どうせうまくいかないだろうけど」といったような意味合いを持って使用されていた言葉であるが、もともとはそうではない。大正時代の広告記事を目にする機会があったが、そこには「せいぜいご利用ください」と書かれていた。広告記事であるから込められた意味としては「ぜひとも使ってみてほしい」というようなものだと思う。

 今では必ずのちに「~ない」とつけられて否定する言葉になっている「全然」も、それ単体では否定的な意味合いを持たず、かの文豪夏目漱石も「全然」を肯定的な意味で使った例があることが知られている。地名でいえば「あきはばら(秋葉原)」はかつて「あきばはら」であったそうだ。

 「プレゼンテーター」がこの先一般に浸透し、誰もがそれを正しいと思うようになるかはわからないが、正しい言葉や辞書的な意味はもちろん知ったうえで、そういった言葉をただ「間違っている、そう使うのはバカ者だ」と切り捨てるのではなく「なぜそうなったのか」を考えてみることも、時には楽しいものである。

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