機械には向かない職業 の続き

ちょっと疲れ気味なので、短文。

この前はtumblrでみた文章で、ショーペンハウアーの言葉というので「博覧強記の者の書く文章は、流行りの言葉で飾られており、まるで他国に通貨を牛耳られた小国のようなものである」という表現があって、なんて心を抉られるような表現をするもんなんだろうか、と思ったもんなんですが。

文章を書いて読ませて相手に物を説明するというのは、基本的に書き手の語彙と読み手の語彙の関係で決まるもので、伝わるかどうかは、書き手の語彙が多くても読み手の語彙が少なかったら、概念を伝えるのは難しい。

新しい「概念」「パラダイム」を伝えるのは、結局のところ、今までの従来の知識の組み合わせでしか伝えることはできず、新しい概念は、突然は生まれて来るというものではないということ。
アタリマエの結論かも知れませんけれど、これを改めて自分の知力で見つけたのは大事かな。横井軍平がいうところの「枯れた技術の水平思考」に近いかも。

というのは、そもそも冒頭に紹介した、tumblrというものからして、tumblrを知らない人に、未だに口頭で伝えきれていないんですよね(笑)人に聞かれたら、使えばわかる、考えるな感じろ、的な。
他にはtwitterを知らない人にtwitterを教えるとか。

言語の限界が思考の限界、ってのは、ウィトゲンシュタインだったかと思いますが、結局のところ、知識がある程度無いと新しい概念を理解するのは難しいですよね。
機械が人間に勝てないであろうところの、ヒントになるかも、と思うお話。

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