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ただ解釈のみが存在する

以前少し書いたことですけれど、今はちょっと特殊なところで、人にプログラムを教えるという仕事をしています。

「ちょっと特殊」というのは、その相手が障碍者ということ。正確には、就労継続支援B型というところで、この施設についての説明は省きますが、基本的には、なんらかの障碍を持った方が来られるところです(身体障害の場合もあれば、精神障害の場合も)

まぁこう言ってはなんですが、それは別に障碍者に限った話ではないですが、そういう人たちにものを教えるとなると、それなりに気を使う場面というのはあります。私のいるところは、幸いと言いますか、ことさらそういうことでクレームを付けてくる人はいないのですが、基本的に、自分が相手に学習の内容を教えるときのそれは、健常者にプログラムを教えるときと同じスタンスです。少し違うとしたら、それぞれの特性に合わせたところは意識しないといけないことがあるということ。なかなか記憶が定着しない人もいれば、いらんことを先回りしようとする人や、変にマウントを取ってきて「それくらい教えて貰わんでも知ってる」というスタンスの人(それだったら来なきゃいいのに・・とは言いませんが)いろんな人がいますが、それでも、まだ計算の範囲内ですね。

自分もこの仕事をするまでは、最近の言い回しでいうところ「陰キャ」気質だったので、いわゆるコミュ力ってのは無いものだと思っていたのですが、こういう仕事場で仕事を1年近く続けて、それなりに、年上・年下の方たちや、同じ職場の支援員の人から「先生」と言ってもらえる振る舞いができているのは、案外コミュ力ってのはあるのかも知れない・・と思います。どうなんでしょうね?私をリアルで知っている人は、飲み会にもあんまり出かけたりせず、比較的インドアで交際範囲も狭いということを知っている人もいるかと思いますが、こういう仕事は、いわゆる陽キャでウェーイな人は、難しいのでは?と思ったりすることもあります。(正確には、そういう「陽キャ」「陰キャ」とか「パリピ」とか、そういうのとは違うところでの、心の機微や繊細さを要する仕事なのかなと思ったりしています)

それは、プログラムを単にできる能力・教える能力とは別に、そういう障碍を持っている方に対して、良くも悪くもうまく付き合えている、ということかも知れません。

考えてしまうのは、言葉の問題で、良かれと思った言葉が裏目に取られてしまったり、逆に、ときにブラックジョークになりそうなキツイ表現が受けたり、正解はないなぁ。。。というのを考えますね。こういうのは「空気を読むのが得意」とか、そういうスキルは役に立たないかもわかりませんね。今日の味方が明日の敵になったり、その逆もあったりすることもあるので。

タイトルにつけたのは、自分の好きなニーチェの「権力への意志」の箴言「事実なんてものはない。ただ解釈だけが存在する」からの引用です。

障碍者のかた、特に精神障害の方を相手にすると、ホントに、何をどう表現すれば正解なのだ?と悩むこともありますが、まさしく、正解を求めるとドツボにハマることもあるので、支援する側であるこちらも気をつけないとだめですね。まさに、相手の解釈に委ねるしかない、こっちは悪気で言ったのでなければ・・と割り切りも必要かな、と思うことも多いです。そういう風に思えるようになってきたのも、年齢的なものもあれば、自分も鬱気質で物事をマイナス思考(もしくは慎重な思考)が、この職場のこのポジションを与えてくれたのか・・と、いい意味で受容していることがあります。

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