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ゼエブ JJHOP教会訪問の旅 ブログ


●JJHOPの旅 

この夏の日本への旅は、JJhopの教会を回って日本のキリスト教社会を学び、ユダヤ教とイスラエルについて説明する、いわば文化交流が目的でした。私はまずアメリカから名古屋に入り、エルサレムのヘブライ大学のアジアスタディの学生20人と一緒に参加した愛知ビジネスセミナーの後半から参加しました。

愛知県が主催のスタートアップ企業のためのシェアオフィス&プログラムを見学
愛知ビジネスセミナーに参加したヘブライ大学の学生たち(レベチャ礼拝出席時)

●愛知ビジネスセミナー ニューレベレーションチャーチ訪問

愛知ビジネスセミナーの中で日曜日に、私たちはニューレべレーションチャーチ(私の知る限り、JJHOPの本部)を訪問し、訪問中は主日礼拝に参加し、訪問後は地域の人々と昼食を共にし、トークサークルを行いました。

(イスラエルデー礼拝でのゼブのお話は、Youtube1:08分から始まります。)


各教会でお話したのは、イスラエルに関する話題もあれば、一般的なライフスタイルや私たちの共通点を探すような話題もありました。政治的な話題もありましたが、それはイスラエル人である以上予想されたことで、私たちの多くは他の国籍の人たちと話しているときにこの話題を持ち出されることに慣れています。話は全体的に良かったし、最後に教会でその場にいた全員の集合写真を撮り、有意義で楽しい時間になりました。

●東京金町の教会訪問

愛知ビジネスセミナーの後、週末に東京に行き、ユダヤ教の新年(ロッシュ・ハシャナ)をユダヤ教センターで過ごしました。ロシュ・ハシャナが過ぎると、私は金町にある圭吾・知世夫妻の教会に向いました。そこでは、日曜日の朝の礼拝を彼らと一緒に過ごしました。

キリスト教は私の宗教ではないので、私は後ろの方に座って静かに礼拝を見守りました。予想していたのとは違って、みんな立って、リーダーが朗読する詩篇に従って、イエスと神を賛美するために歌っていました。そうしているうちに、私は人々の振る舞いに気づきました。多くの人が泣いており、私が目撃した中で最も衝撃的だったのは、ある女性があまりに泣きすぎて、ひざまずきながら泣いていていたことです。この光景はしばらく忘れられないことでしょう。

祈りが終わると、コミュニティは聖書の勉強会を始めることになっていました。セッションの前に圭吾さんが私を前に呼び、私とJJHOPとの関係を簡単に紹介しました。その後、ユダヤ教、イスラエル、そしてユダヤ系イスラエル人としての私の経験について質疑応答をしました。イスラエルやユダヤ教について説明したり、質問に答えたりするのはとても楽しいことでした。

どうやらこのコミュニティでは、聖書の勉強会は一日中行われているようです。私はしばらく滞在し、大した努力をしたわけではないのですが、できるだけ多くのことを理解しようと努めました。回転寿司を食べながら、イスラエルやそこでの生活について、また日本や日本文化に対する私の印象について話しました。

夕食後は遅くなり始め、私はその日のうちに名古屋に行かなければなりませんでした。1つ目は、知世さんが感謝にもホテルの部屋を用意してくれたことで、私はそこで名古屋での残りの滞在を過ごしました。もうひとつの感謝はは、知世さんが秋葉原までの電車に一緒に乗ってくれたことです。

●ニューレベレーションチャーチ訪問

翌日、私は自分の人生と経験について話すためにニューレベレーションチャーチに戻りました。私は電車に乗り遅れて少し遅れていたので、私が教会に着いたとき、みんなはすでに座っていて私が到着するまでみんなは小さな聖書の勉強をしていました。

私はその輪に加わり、自分の人生について、宗教的な子供時代から世俗的な大人になるまでの成長過程で自分の見方や理想がどのように変わったかについて話し始めました。話しているとき、思いがけないことが起こりました。私の目は涙を流し始めたのです。というのも、私は自分自身について、とても個人的なことや、世俗的なライフスタイルに変化する過程で経験した苦難について話しているのだと気づいたからです。

みんなが共感を持って耳を傾け、私の言葉や経験を受け入れてくれているのを見て、私は慰められました。私が話し終えた後、私たちは順番に話し始め、善良な人であることの意味や、人生の困難に善処する方法について考えを分かち合いました。

私がユダヤ人としての生い立ちに基づく自分自身の価値観を話したのに対して、多くの人がクリスチャンとして生きることが人生を切り開く上でどのように役立ったかを話してくれました。おそらくユダヤ教とキリスト教の価値観がほとんど同じであるためでしょう。

とても楽しい話だったし、日本のキリスト教徒が新約聖書を通して、救いと導きを見出していることについて多くを学びました。

●大阪みぎわチャペル訪問

その後、ホテルに荷物を取りに戻り、新幹線で大阪に向かいました。そこで私は、数ヶ月前にイスラエルで会って一緒に過ごしたことのある林家の孫の創元さんの家に泊めてもらうことになりました。

奈良や梅田など、お寺や文化的な場所を訪ねながら、林さん一家とは何度も食事をしました。食事をしながら、私たちはイスラエルやユダヤ教、そして日本のキリスト教について多くの会話をしました。

私は、日本のほとんどのキリスト教徒は改宗者ではなく、実はクリスチャンの血筋の子孫であることを知りました。

谷先生ご家族、多くの学生たちが宿泊させて頂いている林さんご夫妻

同様に、日本のほとんどのキリスト教徒がお酒を飲まない理由も知りました。私は最初、ただ酔っぱらうことを恐れ、教会が会員の飲酒を禁止しているからだと思っていましたが、そうではありませんでした。教会では会員に飲酒を禁止しているのではなく、飲み過ぎると悪いことによる教えがあるため、多くの人が飲酒を控えているのです。多くの無宗教の日本人が飲酒時にどのような行動をとるかを見ていると、その判断はよく理解できます。

しかし、ユダヤ教では、割礼の儀式で赤ちゃんにワインに浸したおしゃぶりを与えたり、過越の祭りで最低4杯のワインを飲んだり(お酒を飲まない人は通常グレープジュースで代用する)するなど、お酒を飲むことは多くの場面で実際に律法となっています。同じように、私自身もお酒を飲むのが好きだし、バーに行って他の国の人たちと話をするのが好きです。このような理由から、多くのキリスト教コミュニティがお酒を飲まない理由を理解するのに時間がかかりましたが、やっと分かりました。

また、日本でのクリスチャンとしての生活や、日本のような国で宗教的な生活を維持することについても話しました。

また、平和と戦争、そして平和の重要性についても話しました。それはとても興味深い会話であり、私たちは、有名なことわざでもある「戦争を知る者は平和を望む」という結論に達しました。教会にも行きました。全体として、大坂での滞在はとても楽しく、温かく迎えてくれた林家と谷家に感謝しています。

●高松ハレルヤチャーチ訪問

駅まで送ってもらった後、次の目的地である四国の高松に向かいました。到着すると、さくらと彼女の教会の友人たちが出迎えてくれました。さくらとは昨年、和恵、咲とともにイスラエルで会って一緒に過ごしたことがあります。

夕食に中華料理を食べに行き、デザートにアイスクリームを食べに行った後、彼らの教会に連れて行ってもらい、そこに滞在しました。私たちが行った教会は小規模でしたが、親密なコミュニティーのようでした。そこの牧師が良咲の祖父であることを知り、少し話をしました。

みんなと食べた中華料理

教会で昼食を共にした後、ハレルヤチャーチまで車で戻り、夕食の準備をしました。山川ファミリーや友人たちと夕食を共にし、それから近くの山から夜景を見にドライブに出かけました。景色は最高だったし、教会の若い人たちと人生について話す機会にもなりました。

高松の夜景

翌日はユダヤ教の審判の日、ヨム・キプールの前夜祭でした。この期間、私たちは25時間水も食べ物も断ち、神に祈ります。私自身はもう祈りませんが、断食はします。その間、哲平さん(咲良の父)が指導する礼拝を聞き、私の記憶にある限り、特に自分に忠実であること、親切で善良な人であることというメッセージに恵まれました。


礼拝の終わりのほうで、断食が始まる前の食事のための時間があまりなかったため、5~10分ほど手短に話をしました。私はいつものように、ヨム・キプールとは何か、ユダヤ人にとってどのような意味があるのかについても説明しました。

翌日の夕方まで、断食が終わるまで寝て休みました。その後、教会のみんなと夕食を取りました。ユダヤ暦で最も神聖な日をキリスト教会で過ごすなんて、生まれてこのかた考えもしませんでした。山川家の人たちはとても理解があり、彼らのおかげでその間の経験はとても楽しいものでした。

その翌日、咲良と彼女の姉、そして友人2人と私は、私が見たかった日本庭園に行きました。そこはとても美しい庭園で、私たちはそこの茶室にも立ち寄り、見学もしました。

お姉さんを家まで送って、それから「ぽかぽか温泉」という銭湯に行きました。一緒にいる間、宗教的な生き方をしなかった2人が、どうしてこのような生き方に導かれ、どこに惹かれるのか聞いてみました。彼女たちの答えは、人生の意味と目的を与えてくれるから、というものでした。このようなライフスタイルを送るようになってから、自分自身についても人生についても、ずっと気分が良くなったと話してくれました。この2人は素晴らしい人たちで、彼らと出会い、一緒に時間を過ごせたことをうれしく思います。

その後、夕食の準備のために教会に戻りましたが、私は何もすることがないと言われたので、それまで子供たちと遊んで過ごしました。夕食にみんなでお好み焼きを食べ、私はこれから始まる旅に備えて休むことにしました。

翌朝、私は咲良と二人の男たちと、とても素敵なジャズ喫茶で朝食をとりました。そのカフェがとても気に入ったので、またいつか行きたいと思っています。近い将来、何かが待っているかもしれません。

その時、そこで予定されているユースキャンプのことを話してくれたのを覚えています。それがうまくいくと良いと思います。

朝食後、私たちは駅に行き、別れを告げました。高松での時間を本当に楽しむことができたのは、山川家と地域の人たちのおかげです。彼らはユダヤ人の考え方を理解することに大きな関心を示し、彼らの世界観について説明してくれました。この時間を考えると、良い文化交流だったと思います。

●浜松グレイスライフチャーチ

次の目的地は浜松で、田中家にホームステイしました。以前にも書いたように、イスラエルで一度会ったことのある咲と再会しました。私は乗り換えの名古屋で、学校が終わった咲と会って浜松まで一緒に行きました。家に着いてからみんなで回転寿司を食べに行きましたが、最高でした。

その後、日中はホームスクーリングがあるので、朝は騒がしいかもしれないと言われました。目が覚めると、エントランスのフロアは様々な科目を勉強している子供たちでいっぱいでした。子供たちと少し話をしてから、みんなで自然の中の洞窟探検に出かけました。そこは自然がよく保存された、人里離れたとても素敵な場所でした。

その後、田中家に戻り、教会のコミュニティの一部と夕食を共にしました。ささやかな祈りを捧げた後、私は自分の話と人生の話をし、間近に迫ったスッコトの祝日についても話しました。

その後、サキと彼女の姉妹2人と私は、夜空を楽しみながらコンビニに行き、自然がいっぱいの場所で暮らすことがいかに楽しいかを話しました。

翌日は浜松での最後の日で、ホームスクールの子供たちと箱庭ゲームをした後、サキと彼女の叔父、そしてホームスクールの子供たちの一人と一緒にゲームセンターに出かけました。みんなにとって楽しい経験でした。その後、家に戻って昼食をとり、私は駅まで送ってもらいました。そして、今回のツアーの最終目的地である沖縄行きの飛行機に乗りました。

●沖縄リバイバルチャーチ

私にとって、沖縄に行くことは初めての経験です。主喜と彼の友人が空港まで迎えに来てくださいました。主喜くんとは数ヶ月前、創元と一緒にイスラエルで会いました。那覇の繁華街まで車で送ってもらい、そこを徒歩で案内してもらい、名物の沖縄そばを食べました。その後、滞在先の教会まで車で送ってもらい、そこで何年も会っていない親しい友人の盛人先生に会いました。教会を案内してもらいました。

翌日、私たちは沖縄をドライブし、海でサーフィンをしている人たちを見に行きました。サーフィンを見ていると、その上空をアメリカの飛行機が飛び、近くの基地に着陸するのが見えました。この景色を見たとき、私には非現実的な感じがしました。

その後、ヤギ肉を食べに行きましたが、これも沖縄の名物です。また、武道家の空手の総師範にお会いし、いくつかの型を拝見し、その流派の歴史についても学ぶことができました。

沖縄ワールドという、沖縄文化の様々な側面を見たり学んだりできる観光地にも連れていってもらいました。そこでも驚いたのは、巨大な石筍の洞窟を通ったことです。私の住むイスラエルの近くにも自慢の洞窟がありますが、これは少なくともその10倍はありました。また、何人かのコミュニティの人たちと中華料理を食べに連れて行ってもらい、楽しくおしゃべりをしました。

翌日の夜は、主喜の家で焼肉を食べ、教会の他のメンバーとも会って、とても楽しい夕食となりました。より多くの人と知り合えて、とても楽しい夜でした。

礼拝の前日(土曜日)には、元喜と彼のお父さん、そして友人と一緒に沖縄で一番大きな水族館に連れて行ってもらいました。イスラエルにはいない新しい海の生き物をたくさん見ることができて、とても楽しかったです。

●イスラエル惨事勃発

しかし、何かあったのかとふと携帯を見ると、ハマスタによる大虐殺のニュースが流れていました。時差の関係で、それが実際に起こったのはほぼ同時刻でした。私は部屋を飛び出し、盛人先生に「イスラエルで戦争が起きている!」と電話し、教会の階段に座ってイスラエルのニュースや人々の投稿を見ました。

二人ともショックを受け、その夜はみんなと楽しい外出はしないことにしました。その代わり、盛人先生と二人だけで夕食を食べに行きました。私はずっと不安な気持ちで、家のことを考えずに自分を落ち着かせようとしたが、それができなかったです。私たちは主に生活や故郷の状況についていろいろな話をしながら夜を過ごしました。その夜、先生に連れ出してもらったおかげで、私は少し落ち着くことができました。盛人先生は、このようなことが起こったのだから、翌日の講演はやらなくてもいいと言ってくれましたが、でも、私はどうしても話したいと言いました。

翌日、私は目を覚まし、礼拝を終えた後も、故郷で起きたことのニュースから、少し意識が朦朧としていて、すべてが非現実的に感じられました。自分が生存者であることの罪悪感と、何もかもから遠く離れていることに圧倒されていました。コミュニティーのメンバー数人と話していると、焼肉を一緒に食べた夜に知り合った女の子たちがランチを食べに連れて行ってくれました。私たちは数時間おしゃべりをし、イスラエルで起こっていることを忘れることができました。

夕方になると、人々が集まって歓迎会を開いてくださいました。ビュッフェスタイルの夕食で、いろいろな料理が並んでいました。食事の前に、私は自分の人生について話し、ユダヤ教についての考え方を説明しました。盛人先生は、いろいろな学生に会って、ユダヤ人やイスラエル人にはいろいろな生き方があることを再認識したそうです。沖縄の皆さんは、とても心が穏やかで優しくて、本当にお世話になりました。特に、主喜くん、いつも寄り添ってくださる盛人先生に感謝です。


●成田空港へ そしてイスラエルへ帰国

朝5時半頃に教会を出て、別れを告げました。もっといい状況だったらよかったのにと本当に思いました。イスラエルに対する重い気持ちと思いが頭から離れられませんでした。午前中に成田空港に降り立ち、東京で家族や友人へのお土産を探しました。

戦争の影響で多くのフライトがキャンセルされましたが、幸運にも私が乗った航空会社はまだ飛んでいました。和恵さんや育恵さんから「大丈夫ですか」「家族は無事ですか」と連絡をもらい、安心しました。

今回の旅はとても楽しく、日本中のJJHOPのコミュニティーからたくさんの新しい人たちに出会うことができました。また、皆さんの寛大さと素晴らしいおもてなしにとても感謝しています。

皆さんと話すことで、日本に住むクリスチャン・コミュニティについて多くのことを学ぶことができました。例えば、ホームスクーリングを実施している地域が多いことに驚きました。

また、なぜ多くのクリスチャンの日本人がお酒を飲まないのか、その理由もより明確になりました。ユダヤ教やイスラエルについてよく知らない人も多かったのですが、積極的に学び、考えや理想を共有し、それを通してつながろうとする人たちを見ることができて嬉しかったです。

結局のところ、私たちは皆、お互いをもっと知りたいと願っている人たちだと分かりました。また、各コミュニティの人々がどれほど真剣に祈り、より良い人間になるために努力しているかを学ぶのも楽しかったです。

もっと時間があれば、もっと長く滞在して、人生について、そして良い人間とは何か、良い人生を送るとはどういうことなのか、彼らの考えについて、もっと多くの人と話したかったです。

イスラエルが落ち着いたら、日本で出会った多くの人たちにイスラエルでまた会いたいと思っています。

大変お世話になりました!
本当にありがとうございました!
ゼエブ Ze’ev.


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