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ナオミのパラシャ 五旬節 落穂拾いの律法 レビ記23:22

シャブオット五旬節の季節になりました。これは、小麦の収穫のお祭りです。ですから、この律法が目に止まる季節です。

あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、刈るときに畑の隅まで刈り尽くしてはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい人と寄留者のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」

レビ記23章22節

ここから、農業には3つの大切なミツバ(律法)があります。

⑴ ペラ:土地の収穫の数パーセントは公共のものとして残しておかなければならない
⑵レケット: 果物が地に落ちたら、そのままにして他の人が取れるようにしなければならない
⑶シェヘハ: 忘れ物は取りに行かず他の人のためにそのままにしておかなければならない(レビ記23章には書かれていないミツバ)。

レビ記23章22節

これらの律法は農業にのみ適用されるもので、他者が取るというオプションを提供するということです。これらは、行いにおいて善をするというユダヤ人的なものだそうです。

「大抵のミツバは『しなければならない』や『してはならない』となっています。が、ここでは違います。『わたしはあなたがたの神、主である』と締めくくられています。残しておいた穀物や落ちた果物は誰かに直接渡したものではなく、誰が持っていくかはわかりません。人が見ていなくても神は知っているということなのです。

また、ここで見られるように、ゲル(移民・寄留者)に対する律法も多く存在します。イスラエル人自身が以前はエジプトでゲルであったことを覚えて、ゲルを尊重するよう教えているのです。

モアブの女ルツはナオミに言った。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。

ルツ2:2

ルツは、モアブ人という異邦人でありながらユダヤ教に改宗した最初の人物であり、まさに、レケットの律法をによって救われた人です。

現代のイスラエルでも、不要な物を道端に置いておくことで、必要な人がそれを持ち帰ることができる文化が根付いています。これは、レビ記の律法が示す神の愛と憐れみが、現代のユダヤ人の文化にも反映されていることを示しているのではないでしょうか。

ナオミは、このトーラーの律法が大好きだと言います。その理由は、この律法が金持ち優位でなく、貧しい人も公平に受け取れるからだそうです。律法において金持ちも貧しい人も同じなのです。

25 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」 26 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」 27 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」 28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。

マタイ15:25-28

クリスチャンから、私達は、イスラエルのテーブルからこぼれ落ちてくるみことばをもらっているカナン人の女のようです。という言葉あり、あなたがたはテーブルから落ちてくるパン屑を食べているのでなく、同じテーブルについている、とナオミはお話してくださって、私達の心が温まりました。

この律法を通して、神は私たちに愛と憐れみの心を持つことを教えてくださっています。私たちも、この教えを胸に刻み、日々の生活の中で実践していきたいものですね。

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