シリア人の過越しの伝統

シリア民族の血を引くオフィルの家族では、過ぎ越しの時にするゲームがあるそうです。

オフィルの家族の会話です。

姉:出エジプト12:34の御言葉を読む。

Ex. 12:34 それで民は練り粉をまだパン種を入れないままで取り、こね鉢を着物に包み、肩にかついだ。

家族:「どこから来たの?」

姉:「去年まで女性でした。」

家族:「どこへ行くの?」

姉:「これから、子供が生まれるので母になります。」


過ぎ越しの時には、今まで奴隷だったことを思い、これから、解放へと向かいます。ですので、地理的な移動というよりも、精神的にどう移動しているのか、ということを、分かち合うようです。

ユダヤ人は、2000年もの間、常に、寄留者(ガルート)を続けてきました。ですから、その記憶が今も刻まれています。

過ぎ越しが、エジプトからの脱出だけでなく、迫害があった町から町へと移動を続けていくことによって、彼らの精神も、自分が旅人であり寄留者であるということが刻まれていることを知ることをこのゲームから感じませんか?

実際に、毎年、今までの精神的な奴隷から解放されることを思い、このゲームをするそうです。

Heb. 11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

この言葉が、ユダヤ人に向けたヘブル書にかかれているということにより、彼らの精神性を表している、貴重な言葉に感じました。

私達は、イエス様が人生を導いてくださっている罪の奴隷から自由へと解放されたものです。

1Pet. 2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。12 異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

りっぱな行い=ἀναστροφὴν=ライフスタイル とあります。

ユダヤ人は、寄留先で、安息日を守ったり、食物規定を守ったりと、寄留先の人々から「違う人達」と指を刺されてきました。ひどい時には財産を没収されたり、濡れ衣を着せられたのですが、それでも自分たちが信仰を守るというライフスタイルを変えませんでした。この句は異邦人にかかれていますが、ユダヤ人の立場で読むことができます。寄留者であるユダヤ人の影響を受け、私達はイスラエルの神を褒め称えています。

訪れの日、とありますが、いつでしょうか、それは、今でしょう。

by 和恵


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