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マイム ハイーム

アビガエルと話していた時に、マイムハイムの話しになりました。日本語では”いのちの水”と約されています。私のいのちの水のイメージは、心の乾きが満たされて魂の力を得るというものでした。

しかし、彼女が言うには、マイムハイムは、生きている水であり、動きがある水、流水のことである、ということでした。その反対は沼地のような流れが無い水で、それは立っている水と表現したり、海の水のように、飲むことができない水を示すそうです。

流水であれば、雑菌がないので飲めます。加えて、マイムハイムは罪をきよめるために使われる水で、流れていないと、罪がその水に残ってしまうというイメージからだそうです。現在は技術によって変わりましたが、以前は水の確保はイスラエルでは死活問題でした。ですから、水に対する必要の意識が日本人とは全然違います。

原文で、マイムハイムと書かれている聖書箇所を拾ってみました。

Gen. 26:19  イサクのしもべたちがその谷間を掘っているとき、そこに湧き水の井戸を見つけた。

Lev. 14:50  その小鳥のうちの一羽を、新鮮な水を入れた土の器の上で殺す。

Jer. 2:13  わたしの民は二つの悪を行った。 いのちの水の泉であるわたしを捨て、 多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。 水を溜めることのできない、 壊れた水溜めを。

Jer. 17:13  「イスラエルの望みであるよ。 あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。」 「わたしから離れ去る者は、 地にその名が記される。 いのちの水の泉であるを捨てたからだ。」

Zech. 14:8  その日には、 エルサレムからいのちの水が流れ出る。 その半分は東の海に、 残りの半分は西の海に向かい、 夏にも冬にも、それは流れる。

Song 4:15  庭の泉、湧き水の井戸、 レバノンからの流れ。

新約では、このように書かれています。

 John 4:11  その女は言った。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生けるを、どこから手に入れられるのでしょうか。

Rev. 21:6  また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちのの泉からただで飲ませる。

Rev. 21:6  また私に言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。わたしは渇く者に、いのちの水の泉からただで飲ませる。

私は、アビガエルからの説明を受けて、マイムハイムのイメージが、人の魂を生かし活力を与える、だけでなく、それ以上に、「きよめの水」、というイメージが加わりました。イエス様を信じることで、いつも自分の心にきよめの水が湧き上がり、そこで心を癒やし、新しい力を与えるということなのですね。いかに、きよめられることが、大事なのか、ということを知りました。

マイムハイムについて、他のユダヤ人に聞いたところ、イスラエルでは水は本当に貴重なもので、きよめの水も、探さなければ見つけることができないということです。だから、私達がじぶんをきよめるために、礼拝に来るために犠牲を払ったり、祈ったり、御言葉の研究をするのは、不可欠なことなのだと思い知らされました。きよめられるためには、努力が必要なのです。

冒頭の写真はエルサレムの中心地ナハラオートにある宗教的ユダヤ人の集合住宅内の流水入れた水溜めです。新しいものを買った時に清めのために浸すそうです。「浸した時の祈りの言葉は上記ですが、祈りを言い忘れても、そのきよめは有効です。」と正面の解説書に書いてありました。面白いですね。


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