2年NOROSHI完結。

敗者復活戦の日と被っていたためあやふやになってしまった成績開示。
このノートを見てる人にGPAに関して説明するまでもないと思うので、わざわざしないが、この規定により相方はこの2年前期を活動休止していた。GPAをギリギリで後期復帰でしてきていたため、後期の成績についても各方面から不安視されていた。

一年前の1年生終わりに切った時は、彼と連絡がしばらく取れなくなった。
今回は1日だけ取れなかった。
けど、副部長にはしっかりと成績の写真を送っていたし、僕にも翌日には連絡が返ってきていた。

だけど僕は、何か心の中にある大きな不安を頼りに相方をよく知り、よく気にかけてくれていた先輩Yさんに連絡をした。
大きな不安は的中した。Yさんから「お前にだからいうけど、あいつは1度も成績を戻してない。夏に戻らなかった時、相談され、活動できない辛さを知る分手を貸してしまった。」と言われた。
「あとはどうするか、お前が決めたほうがいい。どんな決断をしてもいいと思う」

僕は電話切り、最後の言葉が何回も頭を駆け巡っていた。
たしか、準決勝に向けてのネタ練りを手伝っていた最中の出来事だった。

最終的に僕がどう決断したかは、みんなが知っている通り。これは決して正しいと言えないと思うし、後輩が同じ相談をしてきてもこんな決断をさせなかったと思う。

正当化をするつもりも美化するつもりも、これ以上何かを隠すつもりもない。

ただ相方が、自分たちコンビが、いない来年が考えられなかった。その一点だった。

100%自分たちが引っ張るつもりでいた。
漫才も3年は自分たちしかいなかった。

部長のコンビが後輩たちに与える影響がどれだけ大きいかもわかってた。

何度も指針と、創大生としてとか、そんなこと何度も考えて、1ヶ月悩んで、押し殺すことを決意した。

みんなを欺いても、自分をも欺いても、日本一を取らなければいけないと思ってた。
日本一をこのまま見れなかったら、創価落研は一生負け組になっていく未来が見えた。
一年の冬合宿で先輩から言われた「43期が優勝、4期で2位、今回が5期で3位ってどんどん下がってる。来年は決勝に行けず、お前らの代は予選すら突破できないんじゃないか?」って
それが現実になるのが怖かった。

お世話になってきた先輩が守ろうとしてきた。面白くて、すごいライブ作って、強い落研が僕が部長になった時から、ピキピキと鎧が剥がれていってる感覚がしてた。
(結果、この年決勝にいけずにより現実味を帯びた。)

結局すごく言い訳をしてしまったけど、当時はこういう思いがあり、僕は自分の中だけにこの事実をしまった。

この間違いを背負った決断をした僕が、さらに間違いを起こしたことは、本当に1人でしまった事だ。相方と共有し、向き合わなかった事。


一旦GPAの話はここまでしよう。
芸会は僕らが負け、準決勝への準備が進んでいた。
青組と黄組。
僕は体調が完全に治った頃にネタ練りに参加した。するとネタ練りの家には

青組と黄組しかいなかった。

空気で感じた。だめだこれ。
いろいろあったらしい。これは僕がいなかった時の話なので僕がするのはやめておく。

ただ残されたものは追い込まれ孤立し、負けたものは冬の戦いを終えているか、次の自身の戦いにシフトしていた。
どっちが悪いわけじゃない。全員悪かった。

全員が落研を勝たせたいと思わなければ絶対に勝てない。この時、空気でそう痛感させられた。

自信からではなく不安をかき消したいがための、ふざける空気。ネタ制作者と非制作者との溝。サポーターの肩身の狭さと少なさ。
これ前々日だった

翌日の決起で、僕は思った通り伝えた。
こんな空気じゃ勝てるわけないと。

準決勝当日。
やっぱりだめだった。
うちから出た演者はことごとくあの広い会場にのまれていた。出ていたチームの後ろに映る人たちが圧倒的に少ないのを客席から感じた。

帰りに集まりは取らなかった。
取らなかったというより取れなかった。
落胆する黄組にホームで声をかける。
青組の姿はもはや見れなかった。

ここから決勝までの期間がとにかく地獄だった。
何のための期間なのか、価値をみんなで創造しなくてはいけなかったし、それが出来ていた実感はない。

日本一が取れなかった。という結果を顔に描きながらグループトークをする46期
僕ははたと忘れていた。
この期間、チームMOTHERのカナディアンロッキーとして、副実長として、デスコアラとして戦ってきた。
けど僕は部長だった。

46期が取れなかったのではない。今年の落研が取れなかった。僕が部長の落研は日本一を取れなかった。日本一に導くことができなかった。

これに気づいた時には遅かった。
その気概がないやつが長の団体が取れるわけがなかったんだ。
正直、僕は44期に可愛がってもらったし、45期の姿を見てかっこいいとも思ってる。けど46期が1番好きだったし、勝たせたかった。僕のことを心配したり、成長させようとしてくれたり、支えようとしてくれた人がたくさんいた46期を勝たせることができなかった。
悔しかった。この2年生の一年に感じたどんな悔しさより大きかった。
2年生の時、もちろん最終が落研を勝たせる目的であったとはいえ、自分のことで失敗し負けたことが大多数で悔しかった。
けど、人を背負い、組織を背負う悔しさや後悔に勝るものはない。

日本一を取れなかった人たち(44.45.46期)を全て背負えるのに、残されたのは僕たち47期しかいなかった。
そして、僕がやるしかなかった。

3年生でやるべきことは全てはっきりした。

ここからだ。

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