『なぜ戦争をえがくのか』に寄せて

 徴兵されたら逃げる。家族が徴兵されるんだったら逃がす。
文明が興ってこのかた地球上から戦争が止んだことはないだろうから、どうも戦争というのは、人類の営みに深く組み込まれている何かなんじゃないかとおもわざるえをえない。
人と人が殺し合わないといけない戦争に美しい部分はあるのだろうか。芸術が持つ使命の一つとして「美しさ」の追求、それを表現することがあるだろう。美しい戦争。美しい国。美しい国民同士の殺し合い。
 戦争を知らないまま過ごしていくためには、戦争を知らないといけない。とかおもう。戦争がどういうもので、どのように始まり、悲惨なことが起こり、結末としてどうなっちゃうのか。だから戦争は表現されなくちゃいけない。『なぜ戦争をえがくのか』に登場する戦争を知らない表現者たちの作品作りには、明確な共通点があるとおもう。
リサーチすること。自分を中心とした円を広げ、ときに歪ませて手を伸ばし、届くかぎりに範囲を広げて戦争にリーチしようとする姿勢。知らないからこそ、知らないといけない、知らしめることが自分にはできるかもしれないのだから、と貪欲に情報を摂取しているように感じる。
 ベトナムにいる美術家、遠藤薫さんと大川史織さんの対話が超おもしろい。フットワーク軽い感じで会いにいく算段をつけるところからもうおもしろい。
 戦前に織られたであろう絹古布に空いた穴を、蚕自身に修復させる作品がある。自ら育てることで絹布が高貴であることを体感する。その際のエピソードが興味深い。繊細な蚕に息子さんがトマトジュースをあげてしまって多くを死滅させたことがあった。子の「どうぞ」の気持ちを慮って叱らなかった。そしてこのように語る。
「私は文献を読んでもね、全然何も納得できないんです。実際にやってみるより他に、腑に落とす良い方法を知らないのです」
遠藤さんにとってのリサーチ、作品作りの流儀がよく伝わってくる。
 今野書店でのフェアは、準備を目下すすめていて、関係者はあくせくしている。ああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながらようやくぼんやり見えてきたテーマの一つは「ユーモア」ということになるかもしれない。戦時下で真っ先に失われる平和のバロメーターを店内に現出させることを目論む。遠藤さんの流儀に倣って。実際にやってみる。
フェアの発端は写真家の後藤悠樹さんにある。ある日、職場にやってきた後藤さんが『なぜ戦争をえがくのか』を献本してくれた。取材を受けたのが収録されてるんでよかったらどうぞ、と。猛烈に嬉しかった。私は去年、十六年勤めた吉祥寺の書店を非常に不義理な形で辞めている。縁あって今野書店に在籍できたものの、吉祥寺で関係を作った人たちから白い目で見られてるんじゃないかとの危惧があった。後藤さんの屈託なさは、それを杞憂と感じさせるに充分だった。
 前の職場で開催した後藤さんの著書『サハリンを忘れない』の写真展は、評判となり会心の仕事となった。後藤さんの尽力は計り知れない。今回のこのフェアでも開催に当たって、後藤さんの力添えをいただいた。
 なぜ戦争をえがくのか?その答えを提示するフェアではなく、問いを共有する場所としてご利用いただけることを願っております。

初出:大川史織『なぜ戦争をえがくのか』フェア用リーフレット
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?