Hのこと

この手記を書きはじめるにあたって、私はいくつかの注意を払わなければならない。まず事実に即して書くことが大前提、次にそれに対して率直な印象を忌憚なく記すのに躊躇うことなく筆をすすめること、付け加えるならそれらを読んでそこそこ興味を引く内容であることも大事だろう。私がそのような注意を払うのは、自分にとっての事実が必ずしも、客観的事実に沿わないことを、そしてそれが往々にして現実の質感であることを証明するためである。そういう態度で書かれた手記ということを踏まえたうえでの読者に対してさえ、私はある一定の注意ないしは警告を発しておくことを忘れたくない。いかなるノンフィクションも書かれた段階で筆者のバイアスが大きくかかるという、ある種自明の読み書きにおける作法である。けっこうなスペースを割くことを許されたので、堂々と当たり前のことが書かれた前置きだ。
Hという女がいる。齢は知ってるけど知らないから書かないが、私と同年代、つまり10代後半かとおもわれる。上野駅の中にあるいわわるターミナルのエキナカ書店に勤務している。狭いながらも楽しい業界に身を置く同志、悪く言えば同じ穴のムジナだ。Hといえば、枕言葉のように「蟹工船の」と付されがちな頃もあったが、今ではとても売れるとはおもえないような本を山積みして、しっかり結果を出す、版元からの信頼厚き仕掛け販売の番長だ。しょっちゅうアイデアを盗んでいる書店員(自分)からの信頼も厚い。力の入った書き文字のポップも秀逸である。Hは書店員として流行語大賞を受賞した恐らく世界中でも稀な存在である。ひがみっぽい彼女の妹が「流行語大賞って案外簡単にとれるんだよ」と嘯いたエピソードはつとに有名である。そうでもないかもしれないけど、自分はお気に入りの挿話なのでよくネタにしている。
そんなHに自分がいかにして弄ばれ、完膚なきまでに打ちのめされ、月に3・4回は痛飲し合う関係に陥ったのか、詳らかにしていきたい。遡れば新潮社から「蟹工船」がとある店で有り得ない売れ方してるから積め、というファックスが流れてきた2008年、この時には既に自分はHに弄ばれる運命下にあったといえるだろう。もっと言えば「蟹工船」が「戦旗」に発表された1929年にその種はまかれていたのかもしれない。ともかく上司に、こんなファックス来ました、なんで今さら多喜二なんすかねえ?と相談したところ、上野に貴様と同世代のヤバイ文庫担当がいるんじゃ、貴様ももっと精進せい、とハッパ的なものをかけられたのを覚えている。ほどなくして二人は運命の糸に絡めとられるが如く出会ってしまうのである。
最初の遭遇は突然(フィールド・オブ・ビュー)訪れた。「ダ・ヴィンチ」でおすすめの文庫を紹介するミッションに同席した。そのときの印象は、蟹の人、佐藤亜紀かよ!?「ダ・ヴィンチ」の読者層とかさらさら汲んでねえ!といった大きな衝撃をともなった。逆にHはといえば、信頼のおける媒体で自分に対して「恋にも似た気持ちに陥った」と記している。後にそれはほんの少しだけ似ていたのかもしれないけど、まるで別のナニカであったらしいことが判明する。それはアバンチュールかもしれない。あるいは孤独な魂の寄り添いだったのかもしれない。つまりこの最初期の接近でもう「弄び」ははじまっていたのだ!
それからなにかっていうと顔を合わせるようになり、ときに業界のご意見番、U田川さんをお慕い申し上げる気分を共有したり、印刷工場を見学しにいったり、あみだで本を交換する忘年会をやったり、吉祥寺で呑んだり、上野で呑んだり、吉祥寺で呑んだり、私の自宅で呑んだり、吉祥寺で呑んだり、皆既日食を観測しようとしたりして雨で流れたり、様々な時間を共に過ごした。そうすればするほど、私はHの魅力に惹かれると同時に、こいつは自分などがどうにかできるようなタマじゃねえ…と自嘲するようになった。
Hが結婚した。私は今も弄ばれている。

追記1 Hの旦那S君はタンクトップとドクターペッパーが似合うナイスガイだ。
追記2 Hとコラボしているフリペ「メクルデン」の二号目は今夏ドロップする。


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