佐久間薫『お家、見せてもらっていいですか?』書評

 家に興味のない人はいない。家が気になる。他人の家が異様に気になる。散歩しながら見るものと言ったら家しかない。家ばっかり見てる。憧れなのだろう。人間はまあむきだしで生きているから、守られたいと常々おもって暮らす。そこに必要なのが家だ。家は人間を守るし、人間は家を守ろうとする。
 家と少し似ているのが家族だ。こどもは親に守られていて、家にパッケージングされている。親は基本的には選ぶことが出来ず、親と子は宿命の関係になりがちだ。宿命な親子は物語になる。それだけで話が駆動する。そうじゃない。そういう親子じゃないから、そういう人間関係じゃないから佐久間さんのつくりだす人物たちはフラットで、風がとおりぬける。
 母親と二人でくらす小3、家村道生は無類の家マニアで理想の家をシュミレートすることに余念がない。自由研究として近所の気になる家に突撃取材を敢行する。さながらしゃもじを持つヨネスケだ。
 いや、そんな風に例えるなら渡辺篤史だろう、ともおもう。渡辺篤史は褒めるのが上手い。施主がこだわったであろう部分を的確に指摘して、家の魅力のみならずそこに住まう人間関係をも肯定する。
 いやいや、じゃあ家村道生と渡辺篤史はぜんぜん違うわ。道生は家をフラットに眺めわたし、住まう人間を評定するような視点は一切持たない。純粋な観察者だからこそ、偶発的に生じた関係のなかで、おもわぬ人生の機微に触れる。
 登場する家主たちはそれぞれがどこか人生に疲れちゃってる様子が垣間見られる。生きてるとそれだけでかなり疲れるんだから、それはまるっきりのリアリズムである。佐久間さんが徹底しているのは、道生本人も小3にしてしっかりと疲れちゃってる様子があることだ。そこを省かない。
 最初、屈託ない少年が無邪気に周囲を癒していく話かとおもったら、さにあらず。どことなく不在を感じる家庭、今一つなじめない学校での友人関係も暗い影を落とす。だけど道生は物語全体をとおして母親の安心感のなかにる。母の愛なんていうとずいぶん保守的に聞こえるかもしれないが、先に書いたようにこの親子の信頼関係は、宿命じゃなくて、絆とかでもなくて、たまたま近くに居合わせた同士のある種の友情のパターンなんだとおもう。
 愛される道生の圏内がひろがっていく。まち全体に浸透していく。そして迎えるラストの光景は本当に美しい、とおもう。
 自分の好きなこと、本当に楽しいとおもえること、その道のまんなかを堂々と歩むことの尊さを声高にではなく、あくまで静かに、ささやくように歌いあげる筆致。その抑制された表現に私は深い感動を覚えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?