さよなら、俺の十六年

先日、アルバイトからはじめて十六年勤めた会社を辞めた。勤務先は吉祥寺の商店街にある書店だ。
十六年は凄い。
そんなに長く仕事が続いたの人生で初めてのことだ。
書店の現場を一つしか経験しないままやってきた。
その会社の持つ店舗はそこ一つだけでしたから。
至る道のり、ふり返りにお付き合いください。
ぜんぜん登校しなかったのに奇跡的に高校を卒業できた。
そのあと東京アナウンス学院っていう新宿にある専門学校に少し通ったけど、卒業できなかった。
本はよく読んでいたし、映画もよく観ていた。
何か成した人はだいたいエッセイで、若い頃はひたすら本を読んでいた、とかさぼって映画館にばかり行っていた、とか書くし、感性が若いうちに、読んだり観たりはしといたほうがいいよ、というアドバイスを真に受けた。
山田詠美の『風味絶佳』って短編集があって、それを読んで、肉体労働に憧れた。
そうおもったときの「感じ」ってけっこう今でも自分に再現できる
体を酷使して、汗をかいて、対価をもらって、ビール呑んだりするのが健全、と。
もともと勉強ができないし、嫌いで知能労働はやだとおもってたから馴染むかんがえだった。
ちなみに私は早起きも嫌いで、スーツも嫌いで、会社勤めをしたくない、と学生のときからおもっていた。
サラリーマンは嫌なのだ、と。
サラリーマンというもののイメージは、釣りバカ日誌とかマスオとアナゴが行ってるとこ、みたいなビルの一室に電話とパソコン(はまだないか)と書類の載った自分の机椅子があってネクタイしめて、「外回り行ってきます!」とか言ってる人がいる、ようなやつだ。
そうゆうのやだなあ、とおもってたから、高校の先生に進路相談したときに、率直に「サラリーマンしたくないんです」と言った。
したら先生は「じゃあ起業を?」と言うから面食らった。
サラリーマンを除外すると、そうなるのか、とカルチャーショックを受けた。
大学に行こうという選択肢はなかった。
それは卒論を書きたくなかったからだ。
大学を卒業したくば卒論を書かねばならない。
長い文章を書かされるのはまっぴらだった。
読書感想文も大嫌いだし。
で、職安でビルメンテナンスの仕事を斡旋してもらった。
用賀にある住友3M(付箋でおなじみだ)の本社ビルに通い、毎日掃除と会議室の設営をやった。
体育会系なノリの人間関係のなかで、自分のポジションは道化でした。
一時間の昼休みに狭い詰所の電気を消して、昼寝する文化があった。
あるとき詰所に一人でなんかしてたら、ロッカーのところにタランチュラがいた。
でかい蜘蛛、超こわかった。
誰にも言わないままやりすごし、誰も何も言わなかった。
もうここで昼寝はできない、とおもって辞めた。
また職安。
こんどは荻窪に工場がある印刷会社を斡旋してもらう。
その工場では、シルクスクリーンでいろんなものに印刷をしていた。
出版印刷はまったくやってない。
私の少しあとに入った人は、ティーシャツを印刷することにだけ興味がある人だったりした。
バイトしてた同年代の人と少し親しくなった。
その人が印刷工はレジスタンスと親和性があり、印刷とはアナキズムなのだ、とおしえてくれた。
影響を受けた。
西荻にたくさんある古本屋のすばらしさもおしえてもらった。
で、西荻で一人暮らしをはじめた。
私は品川区大井で生まれ育ち、中央線文化に憧れる者だったから感無量。
脳内でそのアパートを「西荻城」と称していた。
仕事はしんどかった。
器用じゃないし、タフではないし、雑だから、しょっちゅうミスプリントを出した。
インクのにおいが充満する工場内環境は、長く居たら早死にするだろう、ともおもった。
残業で一人夜中に、無印良品が依頼してきたなんかよくわからないモノをひたすら印刷してるときに、ああダメだな、とおもった。
仕事を投げ、西荻駅前のマクドナルドで新潮文庫『萩原朔太郎詩集』を読んだあとに、ノートを破って、辞表を手書きし、工場にもどってポストに入れたら、夜が明けていた。
で、新幹線で福岡に逃げた。
会社からも親からも電話がきたが、無事ですから心配しないでください、と言って切った。
そのときの福岡の夜景、たまに思い出す。
ポエトリーリーディングをはじめたのは、いつのことだったか。
印刷工やってるときは、すでにのめりこんでいたはずだ。
高田馬場にベンズカフェというカフェがあって、毎週金曜の夜に朗読会があった。
自由参加だ。
会が済んだあともだらだらとなんか飲んですごした。
無職になっちゃったんだけど、と親しくなったカフェの人に相談したら、近所のカレー屋が人探してたよ、とおしえてくれたんでいってみたが、話が通じなくてあきらめた。
「ハーバードビジネスレビュー」を読んでたカフェの常連らしきおじさんと話すようになった。
新宿に事務所がある会社の社長で、零細IT企業って感じだった。
ポスティングを請け負う事業も並行してやってるようで、チラシ配らない?と誘われた。
ポスティングはめちゃめちゃおもしろかった。
東京中のあちこちにチラシを配りまくった。
逗子まで配りにいったこともあるんですよ。
その集大成として、日本橋から京都四条大橋まで東海道を歩いてみた。
これもめちゃめちゃおもしろかった。
で、満足してポスティング辞めた。
吉田栄作は、ニューヨークで皿洗いからはじめている。
その故事(じゃないけど)にちなんで吉祥寺にあったデニーズの皿洗いバイトの面接いったが落ちた。
皿洗いすらできないなんて…と落ち込んだ。
そのあと本が好きなんだし、勢いのある様子だし、とおもって吉祥寺のブックオフのバイト面接いったがまた落ちた。
その通知がきたあとに、吉祥寺サンロードにある新刊書店で村上春樹『海辺のカフカ』の単行本を買った。
増床にともないアルバイトを募集、との貼り紙があり電話して、店長と面接。
のちに店長は履歴書で私と誕生日が同じであることにピンときた、と語る。
明日から来れる?いきます。
27歳になっていた。
それから十六年勤務。
もっとできた気もするけど、まあやりきった。

初出:SPBSでの清田隆之『さよなら、俺たち』フェア購入特典


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