すごい事を言ってる文庫

 読者の方々におかれましては、全く関係のないことでありますけど、私は文章を書き連ねていくのを大変な苦手としてまして、日に日にこの原稿の締め切りが迫って心がピリピリしてきました。なにせぼくが高卒な理由として、学業をおろそかにしていたのもさることながら、卒業論文執筆という長大な文章執筆任務に小学生の頃から恐怖していたことが挙げられるほどです。そんなピリピリの日々にピリオドを打つべく、ようよう書きはじめました。
 私がここで偏愛を吐露させていただくのは、すごい事を言ってる文庫です。世の中に名言や座右の銘、珍言、放言、高田純二さんのテキトーすぎる発言など琴線にふれてくる言葉というのは、あまた存在いたします。ニーチェが書いたことがすごくポジティブな自己啓発メッセージに訳された「超訳 ニーチェの言葉」という書籍がよく売れていたことも記憶に新しいものです。超訳だったらニーチェかシドニィ・シェルダンかといった様相です。ズバリなタイトルで「座右の銘」という本も非常に字組みがみっちりした本ですが、売り場において好評でした。申しそびれましたが私、本屋の店員やってます。
 強く心に響く言葉を必要としているのは時代の要請なのでしょうか?なにかと不安が無かった時代なんてたぶん無かったとおもわれますので、本を読んで出会える言葉を拠り所にしたい気持ちは不変なのではないでしょうか。私も毎日不安でしょうがないので、本を読んでいるようなものです。そうした中で一期一会の出会いを果たせた言葉を忘れずに留めておくために専用の手帳をいつでも持ち歩き、メモできるようにしているほどですから、相当心が折れやすい。で、その手帳を参照したりしなかったりしながら、10冊の私が偏愛する名言文庫を紹介させていただくとしましょう。
 私が定義する名言文庫の定義は曖昧かつゆるゆるでありまして、文中のどこかしらに於いて心に刺さる言葉を拾うことができれば、もうそれは立派な名言文庫です。よってジャンルを問うことなく、小説であれ詩歌であれ、著者の単なる自慢話だとしても、エントリーされることになります。
とは言えまずはスタンダードなお言葉集タイプのこちら「ラ・ロシュフコー箴言集」たぶん平均して140字くらいで綴られるお言葉の数々。ツイッター時代を先取りしていたジャンルと言っては過言かもしれません。さらにラ・ロシュフコー公爵は2ちゃんねるをも先取りしていたと、言うのには憚りありません。公爵は常に浮世を俯瞰で眺め、愚か者を冷笑し、善人の偽善性を暴き、上目線で断罪していきます。言いたいことを綴っておかないと気が済まない性分なのでしょう。その快刀乱麻っぷりに、言いたいことも言えないこんな世の中(ポイズン)を過ごしている我々は、大きな憧れを禁じえないのではないでしょうか。特にぐっとくるのはこれ。
「女が恋人の死を嘆き悲しむのは、ほとんどの場合、その人を愛していたためであるよりは、むしろ、そうすることによっていっそう男に愛される値打ちのある女らしく見せるためである」
やなこと言いますね~
つづいては、これいきましょう。檀一雄で「檀流クッキング」この破格のレシピエッセイの面白さを知っているかいないかで、ずいぶん人生が違ってくる可能性もない、とは言い切れまい。独特の言い回しで繰り出されるかっこよすぎな決めゼリフにシビれっぱなしですよ。これを読んで檀一雄から火宅の人のイメージは拭い去られました。さしずめダンチュウ(檀氏厨房)の人。特にぐっとくるのはこれ。
「梅干しだのラッキョウだの神がかりでなくっちゃとても出来っこない、というようなことを勿体ぶって申し述べる先生方のいうことを一切聞くな。檀のいうことを聞け」
ついていきます!
 お次はこちら。尾崎放哉「尾崎放哉全句集」種田山頭火と並ぶ自由律俳句のオリジネーター尾崎放哉。「咳をしても一人」「墓のうらに廻る」などの呆然、ぽつねん…とした句で、知られる漂泊の俳人です。五七五の枠組みをとっぱらって、自身が社会の枠組みからとっぱらわれたようなワイルドサイドを歩きつづけた人のようでした。度を超えたセンチメンタルがある瞬間から類まれなるおかしみに変質することを放哉は、本能的に知っていながら無意識に発句していたのではないでしょうか。でしたらとんだ山師もあったもので、我々はまんまと時間を経て、熟成されたおかしみを放哉の思惑通りに享受していることになりましょうか。後世の人は放哉俳句がさらなる変質を遂げているのを愉しんでいるかもしれません。特にぐっとくるのはこれ。
「花火があがる空の方が町だよ」
町まではまだかなりの距離があるようです。
 どんどんいきましょう。はい、これ。「日本国憲法」講談社学術文庫の一冊です。読んだことありますか?好きな国を一つ挙げてみろ、と言われたら迷いません。日本です。日本の何が好きかって大抵のところで日本語が通じるという一点は大きいとおもいます。そして何より国家的な暴力の影が薄い。極論ですが外交などド下手なままでいいのでは、ありせんでしょうか。他国との駆け引きで国益を守るという考えには、賛同いたしかねます。民族としての誇りを持つことは、大事です。でももっと大事なのは、他民族の誇りを理解する想像力を養うことです。日本の政治におけるスローガンを「健気な国」にしましょう。 愛すべき弱小国。それじゃだめですか?ぐっとくるのはもちろんここ。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
あらゆる国の憲法にこの一節があったらな~
 次はこれかな。大山倍達「地上最強への道」言わずと知れた極真空手のドンによる聖典的一冊。私は格闘技のことは何も知りません。ただ熱っぽく格闘技について語る大人の人の話を聞いてるのが好きです。例えばシネフィルが映画について語るのとは、だいぶ違った人間臭さが言葉の端々に見え隠れしているように感じることが多い。それはなぜなのか?身体をぶつけ合うという行為に、人間本来の野生が感応するのだろうか。解き放たれた野生の一人、若き日の倍達は、パンドラの箱を開けました。地上最強というのは、つまり地球上の生き物で最も強いということ。猛獣をも組み伏せてこそのものではないか、と。この本では大真面目に様々な猛獣との対決がシュミレートされます。もう抱腹絶倒。爆笑必至のアドバイスがこれ。
「読者諸君に自信があるならば、ためしに家にいる猫か犬と戦ってみるがよい」
飼ってませんがとにかくお断りいたします。
 サブカル爆笑ものをつづけましょう。大川隆法の対談本「ノストラダムスの新予言」を。本書で大川隆法が対話する相手は非常に豪華かつ意外性に富んでます。タイトルに冠している予言者ノストラダムス本人。黙示録でおなじみヨハネ本人。イスラエルの預言者エリヤ本人。時空をはるかに超えた超絶な顔合わせなわけですが、見事なまでに噛み合った会話がテンポよく綴られています。スケールのでかい災害の話からテレビ・ラジオは廃れる、みたいな日常的なものまで、みっちり教示してくれてます。大川氏がノストラダムスにところで今って仕事なにしてるんですか?って聞くくだりとかサイコーです。孔子の意識下にいる、とかよくわからない返答ですが。副読本はもちろん90年代マガジンの異色コミック「MMR」に決まり。で、イラつくノストラダムスのこの一言。
「もうそういう、まだるっこしい質問はやめて、私に語らせるなら、すべてを語らせなさい」
このあと延々語り出しますよ。
 さてこれでサブカルは打ち止め。「魔羅の肖像」松沢呉一。横丁の性科学者こと松沢さんの大著です。冒頭にさりげなく掲げられているデータで、どういう種類の本なのかよくわかるので引きます。「本書に登場する性器名称の総計 男性器758 女性器777」ひたすらそういう話です。性に関する俗説というのは、数限りなくあります。明らかに信用が置けないものも多い。調査対象として扱うのが大変難しいことは明白です。そこに分け入るのが横丁の性科学者。ときに性風俗店での実地調査を敢行、古本屋で江戸時代の資料を渉猟したりもしながら、性の深淵に迫ります。興味があるからとことん調べるというスタンスが清々しくて、全く下品なところがないのが凄い。松沢本の素晴らしいところは随所で非常に侠気に溢れた一文が炸裂してくれるところなんですね。こことか。
「ウンコの話を嫌悪する女のケツには必ずクソがついている。というのが私の信念である」
そうでしょう。きっとそうでしょう。
 えー、あと三つですね。じゃあこれを。「萩原朔太郎詩集」言わずと知れた大物詩人の登場です。名前の字面からして只者でない感じがする詩人の代表格です。たしか「世界の中心で愛を叫ぶ」という非常にヒットした小説の登場人物としても名前が転用されてました。あのネーミングはこの詩人を意識してないわけないですよね。とある媒体から「持ち歩いてるだけでカッコよく見える本」を選べという無茶ブリが身に降りかかった際にもこの文庫を挙げました。至極真剣に選んだつもりだったんですけど、お叱りの声を多数いただき(つまりちょっとした炎上というやつですね)反省を少々行った後に開き直るという一連の心の動きがありました。何が言いたいかって、朔太郎は抜群にカッコいい、というそれに尽きます。どうですか女性のみなさん、こんな風に言われたら、「おまえの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる」シビレちゃいますよね、当然!詩そのものもさることながら朔太郎の詩集は序文がやばいです。朔太郎に関しては書き足りませんが、「月に吠える」の序文より、この名言で締めましょう。
「私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追って来ないやうに」
完全に言葉が憑いてますよ、この人には。
 そんな流れで「一握の砂・悲しき玩具」石川啄木を。生活者として色々と問題のあった方のようですけど、彼が残した短歌のムーブメントは今もなお連綿と代替わりしながら、うねり続けているのではないでしょうか。紙幅も限られてきたようですし、さらに流れで最後のも一挙に紹介しちゃいましょう。枡野浩一さんで「石川くん」何を隠そう数ある枡野本の中で個人的なベストを選ぶとこれになります。啄木短歌の何とも言えない味わい深さを全く損なうことなく、(それどころか魅力を補うように)現代風にアレンジした枡野さんの短歌を愉しむことができます。かわいいイラストと枡野さんから石川くんへの手紙もある豪華な文庫ですね。お金にも女にもだらしない石川くんが枡野さんにダメ出しされる展開が爆笑です。で、ありまして実に痛快なこの一首を。
まずは、啄木「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」
枡野さんバージョンだと「一度でも俺に頭を下げさせたやつら全員死にますように」
それは誰もが内心思っていても決して発表したりはしない言い草だ!

初出:おすすめ文庫王国2010

 

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