鉄塔武蔵野散歩

 小学5年生という生物は、手に負えない。何かに熱中すると周囲の状況判断を放り出す生き物だ。小5的な生き方を貫くのは、理想であり、そういう人がしばしばノーベル賞(あるいはイグノーベル賞)をもらったりしているような気がする。そうはなれなかった大人、たいていの人間たちは、小5の大冒険にめっぽう弱い。そこに失ったかつての自分を見るからだ。
 『鉄塔武蔵野線』銀林みのる
 これは恐るべき“小5小説”である。“鉄塔小説”というふれこみで、それはまったくそうでもあるけど、例えば主人公が小6や小4では、成り立たないでしょ?という強い決めつけ方において、ぼくは小5であることの重要性を指摘しておきたい。
 どんな人にも探究心はあって、それが実際の行動を誘発するか否かで、世界の広がりやスケールを意識する機会に恵まれるかどうかが決まってくる。見晴は、幼くして、鉄塔学者の素養を磨き込んできた、特殊な方向でのエリートである。父と連れだって乗った電車の車窓から鉄塔を目で追っては、憧れを募らせてきた。
 小5の夏休みをみなさんは、いかが過ごされましたでしょうか。一カ月以上のオフがかつて自分にもあったということが信じられないのですが、莫大な時間を蕩尽してましたね、あの頃は。思い出は、もや~としたフィルター越しにきらめきますけど、明確な像を結びません。
 その点、我らが見晴は、キメてくれる。ずばり「鉄塔」以上。実にうらやましい思い出生成なのだ。夏休み半ばに近所の鉄塔をあらためて眺めると番号札がかかっていることに気が付く。そこから電線のつながった次の鉄塔の札をあらためると、数字が若くなっている。このときに思い出生成機関は、発動する。
 小5を動かし、小5が動かすもの。それは自転車。見晴の冒険の相棒は、それだけではない。彼は素質のある若者をヘッドハンティングする。小3のアキラである。二人は、武蔵野線という名の鉄塔を辿って、秘密の原子力発電所まで行く、という素晴らしく馬鹿げていて、たまらなく浪漫に満ち溢れた計画に着手することとなる。
 こいつらまったくかわいいじゃないか、とおじさんになった元小5は、おもうわけである。二人ががんばって自転車こいでる後ろを、見守ってときに手助けしたりしながら、共に原子力発電所を目指したい、なんておもっちゃったりする。
 しかしながらおじさんは、原子力発電があらゆる意味で理不尽な事故を起こしたことも知っている。目指して、どうなるもんでもないし、それがこの物語の欠点になっているともおもわない。ただこういう無邪気な浪漫が子供たちから奪われてしまうのは、いかにももったいない。探究心と行動力を持続させた元小5、リアルを生きているその後の見晴やアキラがこれからのエネルギーを摸索する姿を勝手に幻視してしまう自分がいたりする。
 スコーンと晴れた。冬晴れだ。バスは嫌いなので、えらく遠回りして電車にて保谷駅に降り立った。乗り継ぎを間違えたのだが、余裕をみて家を出たので、ミッチーとの合流時間ぴったりくらいに着。乗り継ぎ失敗があまりにも日常的すぎて特筆に値しないんだけど、一応特筆しといたまでだ。
 すぐにミッチーはきた。ぼくがなかなか原稿をあげなくて、今日の対面までには、前回散歩した原稿をあげていてしかるべき状態なんで、少しばつが悪いという気持ちがある。確かにそれはあるんだが、ない。ない!別にそんなものはない!!と自分に言いきかせないといけない。それはぼくがろくでなしだからではない。むしろミッチーへの気遣いだ。ばつの悪さをたたえた人と短時間とはいえ、散策を共にするのは、億劫なはずだ。ばつの悪さは伝染するから。というわけで開き直って、快活にあいさつをする。
 これまでのパターンを踏襲して、まづカフェにてコーヒーマグを傾けながら作戦会議。意外な提案がミッチーから出る。レンタサイクルを利用して鉄塔を巡ろう、と。グッドアイデアだ。課題図書の内容にも沿っている。秘かにミッチーを見直した。
 隣駅、大泉学園駅前で借りられることが判明して、一駅電車に乗る。タイヤキ屋のお兄さんにレンタサイクルやってるところを尋ねると地下道のような一画に誘われる。ここか、ここかと足を向けて、いかにもシルバー人材センターから派遣されてる風の方に声をかける。4時間で100円という激安具合に感嘆していると、ココは区がやってんで安いんだとおしえてくれた。     そして出された自転車は、妙にピカピカで明らかに新車だ。なんでもついこないだ納品されたばかりらしい。大事に乗ってけとプレッシャーをかけられ出発。
 とりあえず線路沿いを保谷に向けてこぎすすめる。この企画史上初の輪行に二人とも少しテンション上がる。保谷駅の付近から前方に鉄塔がちらほらと視界に入ってくる。あるじゃんかい!とさらにテンション上げて、地図などなくともオールオッケーだと、勇んで最も近そうな鉄塔の足元まできてみると、表示板には、
「片山線」
 違うじゃんかい!なるほどいろいろなラインの鉄塔が林立しているわけだ。目指してるのは武蔵野変電所なんだが、そこはターミナルの駅のようなものでラインがひしめきあっている。考えが甘かった。というか浅かった。浅はかだった。愚かだった。愚劣だった。とどこまでも卑下のスパイラルに陥ってるほどヒマじゃないので、地図を広げる。
 だがぼくは基本地図を読めないので、相変わらず勘とミッチー頼りで先を目指す。ずんずん行くほど、辺り一面畑になってきた。でかい白菜が100円で直売されてる。野菜の自販機みたいのもちらほらある。自販機といったらこのあたりのジュースの自販機って一律100円のマシンがやたら目につく。小銭に優しい多摩地域になってます。
 あとカントリーアートとでも申しますか、おうちの軒先に木材をどうにかして、作ったオブジェ的なものを飾ってるところがしばしば目にとまる。アートが生活と結びつきがちな多摩地域と言って差し支えないかもしれないし、全体的に多摩の人々は内にアート根性を抱えてるという大胆仮説をぼくはここでこっそり提唱しておきたい。
 畑のまん中をつっきったり、山道みたいなとこを抜けたり、明らかに人んちの庭を横切ったりして、変電所にただり着く。それほど時間もかからず上出来な首尾だ。その所内に「武蔵野線17」の鉄塔がある。小説とは番号が一致しないが、まあそのへんを追求したりするのは、この場じゃなくていいし、なんていうか知ったことではないのである。場所としては、間違いなく『鉄塔武蔵野線』の舞台だ。
 所内には当然入れず、したがって結界へ進入することはできない。結界とは、見晴たちが鉄塔の真下に畏敬を込めたネーミングだ。慎重に目線を17号から伸びる電線にたどらせて次なる鉄塔に定めをつける。くねくねと住宅地を走り抜けて、「武蔵野線16」ここが見晴とアキラの冒険の起点になったところだ。
 結界には有刺鉄線。こりゃ入れん。作品にあやかってピラミッドパワーがあるとされる結界内の中心になんかを埋めたい。とりあえず1円玉を用意する。これを投げ入れてはどうかと提案する。実際小説でもそんな場面がある。だがなんとなく躊躇う。監視のカメラとか写ったら怒られるだろうな、とかいう事態も頭をかすめたのである。後ろ髪引かれながら次の鉄塔へ。
 小説内で鉄塔は様々な分類をされる。おおまかに男性と女性の鉄塔がある(とされる)。その説明もしっかりと描写されているが、今一つ呑み込めなかったけど、実際に二種の鉄塔を同一の視界に入れて見比べてみると、なるほど合点がいく。
 で「武蔵野線15」近付くと小さく希望が灯る。ノーガードだ!結界入り放題、草ぼうぼうランドである。おもわず歓喜の声をあげてしまった。本日の最高潮である。いやむしろ今年最高の瞬間かもしれない。(コレで最高じゃ今年も不毛か・・・)なんて一瞬で二重の思考を並列させた年の暮れだ。
 足元から上空を見上げ、バツ印が重なるところでおもむろにしゃがみ込み、うやうやしく1円玉を埋める。それをミッチーがスマホで撮る。おれたち何してんだろ?とおもわないではないけど、おもわない。そんなこと決しておもいません。ミッチーは5円玉を埋めた。ご縁があるようにとのことで、大変けっこうなことだとおもった。
 もうやり切った充実感があったけど、勢いでもう一つ「武蔵野線14」の鉄塔と対面。ここはガードあり。さて我々の任務はおわった。ってことにして、二人ともおなかへったからきびすを返して、自転車を返した。路地裏でミッチーが猫に邪険にされたり、だだっぴろい芝地にぼくがダメ出しすると、この芝、売り物なんですよ、とミッチーが仕事で得た情報を披露したり、といろいろあったが、それらはともかくとして、鉄塔というのは、人をこれほどまでにわくわくさせたりするということが伝わりましたでしょうか。
 ぼくはもう一ネタ欲しくて、保谷へ。ミッチーは仕事で東村山へ。で、保谷に出戻ったぼくが何をしたかっていうと、ほぼラーメン食べただけ。それも横浜ラーメンで地元っぽさゼロでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?