『しくじり審判』評

 サッカーの審判たちがとっておきの失敗エピソードを次々に披露する本。
それっておもしろいのか?と私だって疑いましたよ。あまりにもニッチすぎる企画じゃないか、ってね。
 あにはからんや。です。これがむちゃくちゃおもしろくて、興味深くて、意外に汎用性がある、とすらおもったんですね。
 選手ともろにぶつかって、あまりにも痛くておもわず選手に「俺の頬、陥没していない?」と聞いた審判。際どい判定を巡り、キングカズから指鉄砲を打つジェスチャーをくらう審判。ファウルスロー寸前のモネールに笛を吹くのが間に合わず「ダメ!!」と制止する審判。
 プロのサッカーの審判。ってたいへんそうじゃないですか。まあたいへんじゃない仕事なんてほとんどないですけど、それにしたってドゥンガとかラモスに怒られたり、ストイッコビッチからレッドカードを奪われて、逆に突きつけられる体験なんてぜったいしないじゃないですか。
 じゃあ、どういう人が好き好んでそんな役割を引き受けるのかといったら、一言で「サッカー馬鹿」ですよね。サッカーが好きで好きで仕方なくて、特等席でサッカーの渦中に放り込まれることを欲する人たちなのでしょう。
 あらゆる審判行為においてミスジャッジはつきものだとおもわれます。そこと向き合うのには、それなりの苦痛がともないそうなもの。だけどこの本に登場する審判たち、なんだかみんな(笑)とか付けながら、飄々ととんでもない失敗を語らっております。
 私は常日頃から失敗をしない人というのは、仕事をしていない人だと認識しておるのですが、確信がより深まりましたね。このサッカー必殺仕事人たちは決して失敗を失敗でおわらせない。よりよいジャッジをするためには、失敗こそが肥やしになることを知っている。
 そんな彼らが目指すしている究極の目標がさりげなく、綴られる箇所があることに私は気がついた。別にこの本、ネタバレとか関係ないとおもうから抜き出す。

「公平・公正さ」はサッカーの「美しさ」につながる。

 美しいサッカーを実現するために審判は存在する。今後サッカー観戦の際には、どうしたって審判たちの振る舞いにも目がいくことになりそうである。

付記。
 編著者の小幡真一郎氏はあのJリーグ開幕戦、ヴェルディ対マリノスの笛を吹いた、言うなればレジェンド的存在。にもかかわらず、この方の筆致は謙虚で、読んでいて清々しい。特に印象的なのは、毅然とした態度はとらずに選手という人間を相手にしなやかに対応して最終決定は「普通に」下したい、と綴る部分。強くみせる必要はないのだ、と。これっていろんなビジネスシーンで有効な思考法ですよね。人間と人間のぶつかる狭間に立つシーンが訪れたら、思い出すようにしたい、とおもいました。
 あと狂気の左サイドバックこと都並敏史氏との対談が付されていて、それも爆笑すぎました。なにもかもがはじまったばかりで、熱を帯びていたJリーグ草創期。その息吹がとんでもないエピソードとともに語られてます。

初出:カンゼン公式note

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