文庫のこと

 夏は文庫の季節だ。書店の一等地を文庫の大きなフェアがにぎにぎしく占有する。毎年同じような商品が並ぶ風景に疑問を感じもするが、若い読者が名作に出会うきっかけになるなら、派手にやればいいのだ、ともおもう。文庫には名作をアーカイブして廉価で届ける特性がある。読書という行為を習慣にする手助けとなっている。
 新潮文庫の一連の太宰治作品を読み漁ったのは、高校生のころ。陰鬱なカバーの『人間失格』を最初に手にとった。そのころの自分の倦怠をおもいだす。なんだか人生が上手くいかない、と暗い顔をして、あまり登校してなかった。一読、その心情にフィットしてしまったのである。
 もう少しさかのぼる。小学校、高学年、国語の教科書に星新一のショートショート作品「繁栄の花」が掲載されていた。別のなにかを生徒たちに順繰りに音読させている最中に黙読して、感銘を受けた。これはおもしろい、というわけだ。少し年上の姉の本棚に角川文庫『きまぐれロボット』が入っていたことをおぼえていた。拝借して読み、やはり夢中になり、星新一作品にあれこれ手を出した。
 文庫は巻末に解説を付しているものが多い。この文化が本当にありがたい。星の本の解説で筒井康隆や小松左京の存在を知り、SFに親しんだ。SF作家たちの独特な皮肉や韜晦を交えて綴られる交流の様子に憧れもした。解説は読書を連鎖させるのだ。
 中学二年。そのころまだ「中二病」という言葉はなかったけど、罹患者は多かった。秀才の友人を持った。多少なりとも読書をしていた自分を見込んでくれたのか、本をすすめてくれた。当時は角川文庫で書き下ろし、順次刊行されていた田中芳樹の『アルスラーン戦記』だった。ハマりにハマった。なぜかテスト前の勉強をしなくちゃいけないタイミングで再読したくなり、成績が落ちた。
 と、まあ文庫というものが長じて本への親しみを強化し、やがては毎日本に触れる職業を選択するに至る道を作ったのだろう。

初出:週刊読書人

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