松岡千恵『ヘンルーダ』書評

 いったい何を読まされてるんだ、と次第に不安な気持ちになるような小説があり、松岡さんの短篇集は間違いなくその傾向があり、読了して幽界から帰ってきたような安堵感があった。
 冒頭の「備品奇譚集」は、書店モノだ。書店を舞台にしたお仕事小説は人気のあるサブジャンルのような気がするのだが、この話はなんかもう全然違う感じがする。
 どんな労働にも様式美があり、私はこうする、あれは絶対しない、とか個人のちょっとした信仰心のようなものが入る隙間があるとおもうのだ。やれと言われたことを、その通りにやることも出来るが、自分はそうやらない、という絶対的な基準を持つ人がいる。
 そういう人の仕事はすごくユニーク、独創的で致命的なくらいに非効率だったりする。私はそういう労働者が好きで、そういう労働観を大切にしている。
 松岡さんが立ち上げた書店で働くキャラクター達の群像を眺めて、そのことにより確信を抱く。私はたくさんの書店で働く知り合いがいて、その人達のことを投影したり、しなかったりしたのだ。いやほとんど投影できない。変すぎる人たちが次々に登場する。しかもまっすぐに変だからお手上げだ。
 私の推しは、屋上でカラスを手なづける座敷童みたいなバイト長だ。その人が新人に返品する本が詰まった重たい箱を持ち上げるコツを指南する科白がめちゃくちゃふるってる。

「身体の向きを意識するっす、ひとつの動作でも、何回も何回も良くないことやったら、それは巨大なリスクになるっす」

 おもわず爆笑したシーンだ。他にも小ネタを利かせた笑えるところがたくさんあるのだけれど、全体を読みとおすと静かに狂ってて、奇妙に浮遊していて現実感が希薄で、やはり今、自分は何を読んだのだろう?と少し途方に暮れてしまうのだった。
 が、最初に置かれてるこの連作が明らかに一番わかりやすくて、まだしも親切な作品なのだ。その後、読者は置いていかれる、放置される。むしろ試される。松岡さんにはその気などないだろうが、途中で意地になってきた。頑としてこの世界観を共有するぞ、と。
 まあ、そういう読み方もいいだろう。だけどたぶんこの本は一度読んで完結しない。何度か出会い直さないと、味わい尽くせない気がする。リラックスした状態で読んだらぜんぜん違う物語が起動するのかもしれない。

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