海文堂のこと

一寸先は闇ですよ。神戸の名書店、海文堂が9月いっぱいで店をたたでしまうという一報が入ったのは、ついこないだのことだ。目の前が真っ暗になった。そりゃないだろ・・・としばし、空を掻いた(空を掻いた、なんて慣用句あるのか?)
最初に海文堂のことを知ったのは、『ほんまに』というミニコミからであった。海文堂が深く関わっていて、当然売りまくってもいる。ある号の座談記事が業界で話題になった。それは、「非カリスマ書店員座談会」というもの。神戸の若い書店員があつまって、この稼業の行く末を占う(憂う)内容。そこにおけるリアルな言葉に胸を衝かれた。
それから少し時を経て、決定的な接点が用意されていた。ある本を復刊させたいと目論んでいた自分に、P社のIさんが、そういうことなら海文堂の店長に相談すればいい、と助言をくれて、先方にもあらかじめ連絡してくださり、電話でF店長と少し話せる機会を持った。技術的なアドバイスはもちろん嬉しかったのだが、それだけじゃないナニカを感じた。
神戸に行かねば。
連休を利用して、因縁めいたものを感じはじめた海文堂を訪ねた。アポイントはかえって迷惑かとおもい、ひょっこり来て、棚をじっくり見た。その精度は目をみはるものがあった。「非カリスマ書店員座談会」の二弾目が掲載された『ほんまに』をレジへ運び、店員さんに、東京から来た書店員である旨を告げ、店長に名刺を託そうと声をかけた。その人がKさんだった。
Kさんは同年代で座談会を仕切った人でもあった。レジの前でぼくらは熱っぽく本屋の話をした。ほんの数分だったんだけど、ぼくはナニカを得た、と感じた。その後Kさんは、『ほんまに』の原稿依頼をくれたり、逆に自分が発行していたフリーペーパーに原稿を寄せてもらったり断続的な交流をもった。勝手ながらKさんを同志と思慕するようになった。
Kさんと店長を介して、Hさんという破格の先輩とも知己を得た。この方は毎週ファックスで手描きの書籍情報誌を送ってくださるようになり、注文書の渦のなかからそれが出てくるとほっとして、なごんだ。
ぼくはもう一度おもった。神戸に行かねば。
夏葉社の社長からKさんのメッセージを受け取った。海文堂がなくなるからって、町の本屋がおわりだなんておもってはいけない。と。

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