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青について|個人的な覚書

店の扉に飾っていたミモザがだいぶ色褪せてしまったので、香り豊かなラベンダーに付け替えた。青々とした清浄な香りが広がる。扉の向こうに、ソテツの鉢植えを置いた。迷ったが、青い色の鉢にした。落ち着いた色味の青だ。青い花を咲かせるルリマツリの鉢植えは、自由港書店にやってきて2年目になる。夏至が過ぎ、葉は青々と生い茂っているけれど、なかなか花を咲かせてくれない。何かを迷っているのだろうか。

ここのところ、ずっと、「子どもを持つ」ということ、「親になる」ということ、「母になる」「父になる」ということについて、考え続けている。思い返せば、もうずいぶんと長い間、考え続けているような気もする。考えることではないのだろうか? 考えても仕方がないことなのだろうか。それとも、やはり、しっかりと考えるべきことなのだろうか。もうみんな、確かな答えを持っているのだろうか。わからない。けれど私は考える。これからも、考え続けたいと思う。

少子化の時代である、と言われている。少子化も進んでいるけれど、それ以前に、未婚・非婚・離婚・独身人口が増えている、ということも言われている。ひとりで生きる、という選択肢がある。だれかとふたりで生きる、という選択肢もある。ほんとうは、さんにんでもよにんでもいいのだろう。そして、子どもも一緒に生きていく、という選択肢がある。さまざまな選択肢がある。もちろん、選択肢といえども、決めて選べば叶うというような性質のものでもない。選ぼうとしても(選びたいと願っても)選ぶことのできない選択肢もある。選ぼうと思っていなかったけれど、気が付けば選ぶことになっていた、ということだってあるだろう。加えて、人間のこころは複雑だ。自分の気持ちだって、自分でちゃあんと理解できているかどうか、はなはだあやしいものである。自分の願いだと思っていることだって、実はそう「思わされている」だけのことなのかもしれない。社会によってつくられた「幸せ」のイメージに囚われているだけなのかもしれない。どうだろう。わからない。

本屋は、そうしたことをぼんやりと考え続けるのにとてもいい場所だと思う。答えの出ないこと、答えの出にくいことに、ちゃんと向き合ってくれる本がある。そうした本が集まった、本屋という場所がある。それは、とても、気持ちの良いことだと思う。風通しのよい場所であり続けたいと思う。

7月に自由港書店で開催する、詩人・池田彩乃さんによる展示(「青を祝する」)のテーマは、「こども、おとな、かぞく、何者でもないわたしたちへ」というものだ。池田彩乃さんは、勇気をもって、このテーマに、全身全霊で向き合ってくださっている。私も、全身全霊で、7月の展示の場を開きたいと思う。このテーマに、全身全霊で向き合っていきたいと思っている。

青は、孤独の色だと言われる。青という色からは、寂しさ、切なさ、冷たさが想起される。でも、どうだろうか。「光を通して見た闇は青い」のだとするならば。青は、闇、すなわち絶望からの回復の過程、回復の可能性を感じさせてくれる色でもあるのだろう。青は、気持ちを鎮め、落ち着かせ、穏やかにしてくれる色でもある。気持ちを、スローダウン、チルアウトさせてくれる色だ。

一般的に(社会通念的に)、愛のメタファーとして使われる色は「赤」だ。情熱的な、燃えるような愛。青い愛というのは存在するのだろうか。静かな愛。互いを回復に導いていく、センシュアルな愛。どうだろう。いまはまだ、わからない。

HANIA RANIさんのピアノをずっと聴いている。美しい音色。青を感じる。

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