新六郷物語 第八章 三

  広間に上げられると、凛とした気品のある美しい女が茶を持ってきた。
 「お待ち申しておりました。佐和と申します。六坊純平の妻でございます。影平隆村様のことはお話に聞いておりました。浄峰様もお待ちしておりました。純平は両子寺に行っております。しばらくしたら戻って参ります。浄峰様は毎日、毎夜、説法や説教で飛び回っておりますが、今日はお戻りになる予定でございます。良い日にお越し頂きました。浄峰様から千燈寺でのことをお聞き致しました。大変な思いをなされたご心中お察し申し上げます」
 「佐和様、お許し頂きたい。伯父上、伯母上を救えなかった。私は焼き討ちに加担した者、浄峰様のお話を聞くまで毎日生きている気がしませんでした。浄峰様は、苦行は耐えて越えて行かなければなりません。耐えて越えて行くことで、人は力をつけ周りの人へ優しさをもたらすことができるのです。そうすることが、返って自分の幸せに繋がってきます。苦行の大きい人、苦行の多い人の方が、豊かで穏やかな優しさを持つことができます。必ず御仏が導いてくれます。御仏は心の中にいます。そう教えてくれました。そのお言葉がどれだけ私を勇気付けてくれたでしょうか。その上、私をここへ誘って頂きました。お互い身内が少なくなった。何か助け合うこともあるかも知れぬと。私はその言葉を忘れられず、臆面も無く出て参りました。佐和様、純平はもう六坊には住んでおられぬなら、仏間はこちらにあるのではないですか」
 「はいこちらにあります」
 「伯父上、伯母上に挨拶させて頂きたい」
 佐和は隆村を仏間に案内した。隆村は灯明を燈し線香に火をつけ、手を合わせて長い間、瞑目した。蝋燭の火が揺らめくのを見ると、家が燃えるのを思い出し、千燈寺の本堂が崩れ落ちるのを思い出す。母と、伯母と伯父の微笑む顔を思い出す。
  隆村が広間に戻ると、田口基之と是永園、柚姉妹が座って待っていた。改めて礼を言われた。是永園が佐和に経緯を説明した。
 「家を出てこちらに向かって歩いて行くと、後ろから三人、身なりのまともな若い武家が歩いて来ました。足の速さからすれば、直ぐにでも追い抜かれていいと思いましたが、当間隔でついて来ます。厭な気もしましたが、身なりもまともなのでそのまま進みました。山際に入り薄暗い木々に囲まれる道になった途端に襲われました。田口基之は剣も持ちません。素手で向かえば体も力もあり、負けないでしょうが、武器を使えません。三人組は剣を抜いて構えています。思わず悲鳴を上げました。そこへ、影平様が馬を駆けてこられたのです。馬を降りられてあっと言う間のことでした。風が抜けるように、瞬く間に三人とも手を斬られ剣を落とされ、それに恥ずかしながら、帯を切られて着物はだらりとはだけ、下帯が見えてしまいました。私は、六郷巡礼路で純平様の修生鬼に助けられた時のことを思い出しました。全く同じです。命を取らず二度と悪さが出来ないように罰を与える。優しく強いお方だと思いました。お顔を見て、私も柚も田口基之殿も目を疑いました。一瞬純平様かと思いました」
 「私も千燈寺で初めて浄峰様にお会いしたのに、隆村殿であろう、と言われました。母親が双子の姉妹なのです」
 そこへ、
 「浄峰様がお戻りになりました」
 広瀬豊治の声が響いた。浄峰は自分で井戸に行き、足を濯ぐ。田口豊が出した手拭いで拭いて広間に上がって来た。
 「お疲れ様でした」
 誰からと無く声がでる。
 「ただいま戻りました。おお、隆村殿、久しぶりじゃ、まだか、まだかと思っておった。忙しいのであろう。もう一年が経った。お待ちしていました」
 浄峰がそう言って座った。そして、佐和に
 「佐和様、この方が影平隆村殿じゃ。純平によう似ておろう。間違えんように」
 皆が声をあげて笑う。
 「私は仏門にいるから、人は皆他人も親戚も無いが、六坊浄平としては、親戚はもう伊美の湊の藤本家と影平隆村殿だけじゃ。血の繋がる叔父上も伯母上も皆亡くなられた。従兄弟が三人しかおらん。その一人が隆村殿じゃ。今日あたりには来られるか。そう思いながらも、私も毎日出かけて行った。もしや今日来られたのでは、そう思ったことも多い。一年経った。ようも私が戻ってくる日に来てくれた。ありがたいことじゃ。御仏のお導きじゃ」
 「浄峰様、ありがとうございます。千燈寺で私は浄峰様に救われました。お陰でやっとここに来ることが出来ました。最前ご仏壇に挨拶もさせていただきました。荷が下りるような気が致します。あの時のお言葉を忘れることが出来ず、出かけて参りました。ご迷惑ではないかと心配していました」
 「隆村様、何を心配されることがありましょうか。いままでお待ちしていました。嬉しいことです。純平殿も待っておられました。きっとお喜びになりますよ」
 日が暮れかかる頃、純平が戻って来た。黒木信助、小崎庄助も帰りつき、六坊家全員が夕食に揃った。
  隆村は懐かしい思いがした。皆、旨い、美味しい、ありがたいことです、そう言いながら楽しく会話をしながら食事をいただく。六坊の家と同じだ。食事が終っても酒が出され皆で頂く。楽しい話に笑い声が尽きない。
  隆村は六坊家がいましていることを聞いて驚いた。六郷全てに若者の自主復興組織絆衆を立ち上げた。焼き討ちされた寺を片付け道を整備した。子供の修学の場を里ごとに作った。巡礼路の案内を出し、お土産の漬物や蕎麦を作り販売所で売る。それを他の里や郷に広め活性化させた。山賊退治や防犯に六郷絆衆に剣の稽古を毎月行う。そして六郷に十三軒の寺を修復し、新築九軒の寺を建てようとしている。武蔵の三井寺は一番早く竣工した。最低月に一度は郷の絆衆の代表がここに集り、問題を協議し、解決を図っている。隆村は、純平が眩しく見えた。羨ましかった。こんなにいい仲間に囲まれ、楽しい充実した毎日を過ごしている。隆村は武蔵の三井寺のことを感謝した。母の墓があること。住職が戻ってくれていること。今朝墓参して初めて気がついた。申し訳ない。火を点けた側の人間として恥ずかしいが、寺が再建され感謝に耐えない。
  田口豊が、自分も広瀬豊治の母も姉妹だが、武蔵の三井寺で生まれた。影平家のことは承知している。同じ檀家衆だから遠慮せずにここによって欲しいと言った。
   田口基之は、隆村の剣風を、神風が通った思いがしたと、皆に話す。
  話はあっちへ行きこっちへ行き楽しい時間が過ぎていく。
  佐和がふと思い出したように、
 「園、どうされました。声が聞こえません。今日はまた静かです。どこか悪いのですか」
 是永園に声をかけた。園は驚いて佐和を見たが、顔を赤らめて、
 「どこも悪くありません」
 と答えた。
 「佐和様、園様は薬で効かない病のようですよ。ほら、また紅を差したみたいに」
 田口豊がそう言うと、是永園は、
 「知りません」
 と言って、燗徳利を持って座を立った。
 「まあ、姉上ったら、日頃は一人でおしゃべりして、場を仕切る癖にどうしたのかしら、おかしいわ」
 「柚様、そっとしておやりなさい。こればかりは相手があることですからね」
 有里が声をかける。
 「隆村、嫁はいるのか」
 純平が隆村に聞く。
 「いや、いない」
 「それでは父上も心配であろう」
 純平の問いに、隆村は、いまの影平家は義母弟が継ぎ、分家とする。自分は戦の武功で妻帯と同時に従来の影平家を興し、その時家屋敷も禄も賜る約束になっていることを説明した。

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