新六郷物語 第八章 一

 山々には紅葉が見られるようになった。浄周山純和寺の看板が掲げられ開墾が勢いを増して進んでいく。
 もう日が傾いて来ていた。武蔵の衛藤宗時が、急ぎの話はないが、浄峰様のお寺の進行具合が気になって、と言ってやって来た。衛藤宗時はこれから武蔵には戻れない。ここに泊まることになる。純平は衛藤宗時を誘って開墾地を見に行った。久しく見に来ない内に、もう全景が姿を現していた。上流の取水口から山際の道に沿って水路が造られ、道を潜る石組の隧道を通り上段と下段に流れて、更に枝分かれしている。上段には、もう十町歩ほどの水田予定地に水が引き込まれていた。水平を見ているのだ。上段から順次整備されて行く。開墾地の長屋から炊事の煙が上っていた。そこへ黒木信助がやって来た。
 「どうだ、進んでおるだろう。夏場は暑いが仕事が捗り助かった。これから日が短くなるから、進捗も少しは落ちるが順調に進んでいる。寺はまだ材木が乾ききってからでないと無理らしい。これから寒くなると乾燥していいそうだ。二度冬を越せば大丈夫だろう。大工はこの木は柱でどこに置くとか、梁はこれとこれだとか印をつけておる。みな待ち遠しいのだ」
 衛藤宗時が寺の名前を書いた看板を見た。
 「浄周山純和寺、いい名前です。まさしくこの地は浄周山、そして純和の寺です。取巻く川が清め、山に霊気が起きそうです。お寺の立つ場所は山裾の少し迫り出した平坦なところですね。いい場所です。こんなところがあったのですね。寺の前の田は、あれは四十町歩あるのではないですか。四十町歩あれば四百石です。凄い」
 衛藤宗時がそう言った。
 「いや、四十はないでしょう。三十町歩と踏んでみました」
 純平が言う。
 「純平よ、それが違うのだ。木を出して歩いて見たら衛藤殿の見立て通り、四十町歩あった。川までの奥行きが思った以上にあった。それにここは土地もいい。周りの石垣をしっかり積みさえすればいい水田になる。これほどの場所があったとは今更ながら感心するばかりじゃ」
 信助が言った。
「四十町歩は、また誤算です。入植者が足りません」
 純平が言う。
「元役、入植者はいくらでもいます。武蔵はいまの主に仕えるのが厭になった人が多くいます。矛盾を抱えたまま厭な仕事をして命の危険にさらされるくらいなら、田畑を無心に耕し、例え半分大友に持って行かれようといいと言う人がいます。ここならまだ心配はありません」
 「衛藤殿、そのような方を見かけたら、ここを紹介してください」
 純平が言った。
 「いま伐った木のうち、先に乾燥した木を使って、入植者用に家を建てようと思っている。寺は大きい木が必要だが、普通の家は普通の木でいい。寺の山裾に二十軒は建てられると思っている。その上には墓地だ。いい墓地になる。ところで純平、川の向こう側だが、あの地を見たか」
 信助が言う。
 「歩いて見た。開けばまだ三十町歩はある」
 純平が言った。
 「何だ、やはり純平だな。あそこもここと同じだ。水路はいいし、土もいい。ここよりいいのは石垣が不要だ。水は支流からも本流からも引ける。今のところより少し狭いが、内実はいい」
信助が言う。
 「そこはまだ先だ。一度にやると焼き討ちに遭いかねない。寺も六郷も落ち着いてからだ。もしかしたら豊後の主家が変っているかも知れない」
 純平が言った。
 「元役もそう思われますか。私もそういう時が来るように思います。いまの混乱は酷いものです。武蔵は田原紹忍様が主ですから、それこそ厭な仕事ばかりです。寺を焼け、仏像を壊せ。皆逃げていますよ。いずれ滅ぶと思います。それに養子がまた問題のようです。紹忍様には子がおられません。京の公家から入れた親虎様はバテレンに入信し、紹忍様に廃嫡されました。結局宗麟公の次男親盛様を迎えることになったのですが、その親盛様もどうやらバテレンにかぶれているらしいのです。親が親ですからそうでしょう。紹忍様も今度はもう廃嫡も出来ないでしょう。国東田原家は本家も武蔵も大友になりました。これで、大友が滅べば国東の主も変るでしょう。六郷の絆を更に強めていく必要があります。戦が遠くないように思えます」
 衛藤宗時がそう言った。

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