新六郷物語 第七章 十

  天正十一年(一五八三年)、百日紅の花が散り、稲穂が見られるようになると、田口基之という男が豊治を尋ねて来た。豊治より二つ上だった。武蔵の三井寺が新築し落慶法要があったので、母と一緒に行った。寺は母の生れ在所であった。墓地に行って驚いた。母の妹の墓が新しく建っていた。
 三井寺が落慶を迎えるに合わせて、佐和が豊治のために建てたのだ。浄峰から改めて母の法要までしてもらった豊治は感激したのだ。
 田口母子は、武蔵の調整役、衛藤宗時殿がいたので話を聞いて驚いた。母の妹は半焼した寺で一人息子としばらく暮らして死んだという。その息子は縁があって、以前務めていた方の娘夫婦に引き取られ、いま田染で元気に暮らしている。いま浄峰様について、ここに来ている。田口親子は広瀬豊治に引き合わされた。田口基之は、亡くなった父の跡を継いで武家になるのをためらっていた。そこで従兄弟を訪ねようと思いたったのだ。
 豊治は、吉弘雅朋家の非業の最期を見て、母と暇を貰って武蔵に逃げたことや、母の病を治す術もなく看取ったこと。乞食になって衛藤宗時殿に拾われ、田染の佐和様の元に連れて行かれたことを話した。母に姉がいることは聞いていなかったと言う。
 田口基之も同じように、母には何も聞いていなかった。何も教えてくれない。ただ母は、墓をみて妹の墓だ、一言そう言って、涙を零し経をあげたという。田口基之は、武蔵田原家に就く重藤兼惟の家人である田口基貞の子であった。母は田口基貞に嫁いでいた。父は先の戦、左衛門督大友宗麟が田原本家の田原親貫を攻めた時、安岐城に取り付いて討ち死にした。それに父は、武蔵の田原家を憎んでいた。宇佐神宮には火をかける。仏像は破壊する。早く死にたいと思っていたのではないか。基之はそう話した。自分はもう重藤家には行きたくない。御仏を壊すような武人になりたくないのだ。何もすることがなく、親戚の男がいると言うので来た。それが真相だった。
 純平がその話を聞いて、豊治の長屋にいる二人を呼んだ。田口基之の顔をみる。剣はまるでだめだ。武人には向かない。一目見てそう思った。
 「田口基之殿、話を聞けば豊治の従兄弟と言う。親同士は運悪く主家の都合で敵とみかたになった。基之殿は、剣は嫌いに見えるが、どうか」
 純平はそう言った。
 「はい。そのとおりです。わたしは、殺生はできません」
 田口基之はそう答えた。
 「では、これから母を抱えてどう暮らして行くつもりか」
 「田畑を耕したいと思っていますが、当てがありません」
 「ここはどうじゃ。うちはいま忙しくて手が足りぬ。豊治を手伝ってはくれぬか。母上は元気か、そうか、なら一緒にここに来られぬか。そなたは優しそうな男に見えるし、体が大きい。力も強そうだ。剣では豊治が上だが、力はそなたが強かろう」
 純平はそう言った。
 「ありがとうございます。母に相談して是非一緒に越して来たいと思います。あの、浄峰様の弟様と言うのは本当でしょうか。豊治に聞きましたが・・・」
 田口基之は恐る恐るそう言った。
「田口殿、家は誰も嘘はつかんし、隠し事もない」
 田口基之は恐縮して頭をさげ、勇んで武蔵に帰った。
 翌々日、母と一緒にやって来た。母子は新長屋に入った。
 佐和が熟練の女子が来て安堵した。母は豊と言った。豊は、
「妹と仲互いをしたのではありません。主家が敵とみかたに別れましたので、連絡もできませんでした。吉弘雅朋様の立派なご最期をお聞きし、主人田口基貞も褒め称えました。同じ武人ならあの吉弘雅朋様の供になりたいものじゃ、と申しておりました。ですから安岐城攻めは、死での旅と思っていました。妹も、姉の私が敵方の妻であるのを承知で、武蔵まで落ちてこられたのに、頼ってこなかった気持ちがわかります。武家の妻はそういうものです。私が御仏を裏切るとでも思ったのでしょうか。三井寺に生まれた姉妹です。御仏を裏切ることはできません。妹に頼られなかった寂しさを、これから豊治に紛らわせて行きたいと思います。いいご縁に巡り会えて、死んだ主人も喜んでいると思います」
 そう言った。豊は、来縄の姉妹、是永園、是永柚に比べると各段に家事ができた。これで佐和も落ち着いた。是永園は年こそ佐和より一つ下だが、三姉妹の真ん中で育った環境もあってか、気配りが上手であった。家事は荘園地主の娘で生まれたこともあって、おっとりとして手際が良い方ではなかった。家事は早速豊が全て仕切るようになり、園は家人の間を立ち回って、家の明るさを牽引する役回りを担った。妹の柚は姉の陰に隠れて大人しく、その分炊事に格段の上達をした。自作の田畑も基之と豊治が働いた。信助は開墾統括に専任し、純平はあれもこれも、に、十日に一度は剣術稽古であった。
 六坊家は純平、佐和夫婦、家宰小崎庄助、家事担当田口豊、是永園、是永柚、長屋の家人となった黒木信助、有里夫婦、荘園など担当の広瀬豊治、田口基之の総勢十名になった。最初佐和は十名にもなると、といっていたが、開墾して土地は増え、米以外の収入も増えていた。
 純平は支流に沿った南側の山の木を切って薪にする。薪を取った後は蕎麦を植え、蕎麦の後には蕪を植える。その後、田にできるところは田を開いて行く。年ごとに少しずつ増えていく。支流沿いもあってあまり目立たないが、佐和が受け継いだ規模が大きくなって行く。
 「純平殿、我が家の荘園をどこまで増やされるのですか」
 「佐和、寺領にする部分も含めると、佐和が相続した土地で、当初相続した荘園のおよそ四倍にはなる。寺領として開いているのが、いまの荘園と同じ規模だ。これらをあわせた倍が未開地だ。一度にはいかないが、おいおい考えていきたいと思う」
 「まあ、そんなに。どこにそんなにあるのでしょう。私には山しか見えません」
 「桂川に注ぐ二つの支流沿いが一つ。大きい支流の方は、東側南側がいま開かれている田の倍規模の余裕がある。奥に行けばまだ余裕がある。これも開くのは難しくない。それにもう一つは、寺領にするところと川を隔てた向こう側にある。いま開かれている田の奥が平坦で広い。ここも三十町歩はある」
 「それでは、わが家は豪族になります。父の時より大きくなるのではありませんか。純平様どうしましょう」
 「佐和、私は豪族になどなりたくありません。わが家が食べていければ十分です。寺領にできればと思いますが、どうでしょうか。兄はもう要らないと言うでしょう。しかし、まだお寺を建てるのにお金がかかります。黒木信助や田口基之、それに広瀬豊治もいずれ家を建てて土地を分けてあげたいと思います」
 「そうです。それがよいと思います。私達も京から帰った時は、何もないと思ったのですから、私は純平殿がいらしてくれたら十分です。大きいことはそのまま幸せになることでもありませんから、身の丈にあった規模がいいと思います。純平殿にお任せします」
 「さすが佐和だ。ありがたい。私も佐和がいれば十分だ。でもできれば食べられるくらいは欲しい。佐和に比べると少しは欲があるのでしょうか。いまわが家には人が集ってくれます。その分掛かりも要ります。荘園はいくらあっても人のために使えば困ることはありません。もちろんその積りで開墾します。しかしこの先の情勢を考えれば、わが家一軒膨れるのは良くないことです。同じ気持ちを持つ者が分散して所有する方が安全だと思います。黒木信助はその考えもしっかりして大丈夫です。田口基之や広瀬豊治がそこまでしっかりしてくれればいいのですが、これからです。まずは寺を建て、寺領を開墾することが先決です。第二次は寺領の川向こうを始めようと思います。ここを寺領にしないとなれば、我が家の掛かり分で半分、残りの半分は黒木信助に任せようと思います。信助一人では大き過ぎます。信助も小作を持たせるようにしたいと考えています」
「純平殿、私は純平殿について行くだけで幸せです。嬉しいことです。楽しみが先に待っています」 


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