新六郷物語 第六章 四

 黒木信助は六坊純平を前にそこまで話すと、
 「純平、俺はその後、真直ぐ帰って来た。帰り道考えた。いまこそ六郷が必要なのではないか、と。関わりたくない戦に出て、取りたくない命を奪い、混乱した施政者に反対もできぬ。しかし人は生きていかねばならん。何かに縋りたいのじゃ。バテレンが好きならそれもいい。邪魔はせん。そのかわりこっちの信仰も邪魔するな。それが日本人の秩序だ。六郷は皆支えあって生きてきた。いまその支えが壊れておる。寺が壊されただけじゃない。人の繋がりまで壊されておる。伊美も国東も武蔵も安岐も皆、信じるものを無くした。わしは坊主じゃないが、何かしたいと思って帰って来た。もう六郷を守る以外に刀は使わん。純平、わしになにかできることはないか」
 信助の言葉は重かった。純平は黙って聞いていたが、心の拠り所を求める人が、六郷だけではないのだとわかった。何がいま必要なのか。何をすればいいのか。いま何ができるのか。元に戻せばいいのはわかっている。それは、いまは不可能だ。いまできること。いますべきこと。
  「信助、あるぞ。六郷を元に戻すのはいま無理だ。だが六郷満山があったことと、御仏に縋った峰入りの道はあるぞ。お寺は燃えたが、熊野の磨崖仏も川中の不動様も、天然寺の空にある無明の橋だって、あれは焼き討ちもできない。両子寺はそのままだし、文殊仙寺の石造仁王像も、文殊岩の下の本堂も役行者堂も知恵の水も残っておる。高山寺は冨貴寺が、伝乗寺は真木の大堂がある。千燈寺の石造仁王像も、それだけで参拝の価値はある。どうだ、両子寺を中心に残っているお寺、お堂、石像を整理し、新しい巡回の道を示したらどうか。必ず参拝される方が来られるだろうし、そうすれば寺も復活できるかも知れん」
 「おお、それがいい。まず調べて道を整え、案内を出す。これだな」
 黒木信助が言った。純平は黒木信助に、いま、各郷内では、里単位で、または郷単位で色々な取り組みを始めている。焼き討ちにあった寺の片付けや、道の整備、仕事や家を亡くした人の世話など。それらに携わる全て人を六郷絆衆と呼んでいること。各郷から調整役を出し、自分がその元役になって、月に一度集って、郷を跨ぐ様々な問題に当たっていることを説明した。一人ではできないことも、何人かで始めればすぐできる。六郷の全体で取組めば難なくできる。これまでして来たこと。これからしようとすることも、信助に話した。
 「純平、お主は凄い人になったな。俺の考えている以上のことをもう始めている。俺も一緒に加えてくれ。それにいま急ぐのは説法してくれるお方だ。浄峰様が戻ってこられるといいが」
 黒木信助を佐和に引き合わせた。川で助けられた時の仲間というのは聞いていたが、あの時とはまるで印象が違う。
 「あどけないかわいいお顔と覚えていましたのに、すっかりお武家らしく怖い顔になっていらっしゃいます」
 そう佐和に言われた信助は笑ってしまった。佐和も純平も笑った。昔に戻ったようだった。
 「それで、信助様、ここにいらっしゃるのでしょう」
 佐和にそう言われ、信助も純平も頭を働かせた。
 「信助様、まだ長屋も空いています。狭いですが、当面そこにお住まいになって下さい。小崎庄助に広瀬豊治、それに玉井有里も一緒です」
 佐和はそう言い、信助がここに逗留すると決めていた
「あいや、佐和様、わしはまだそんなことまで考えてもおらなんだが」
 信助が困ったような言葉を出した。
 「信助、佐和の許しがあった。ここにいろ。そうして六郷のために働いてくれ」
 純平が言った。
 「信助様、よろしくお願い致します。夕餉の時に皆に紹介致します」
 佐和が言った。
 「佐和様、よろしいのか、いきなり来たわしのような者を住まわせて」
 信助が佐和に聞いた。
 「信助様、主人にとって大事なお人は私にとっても大事なお人です。信助様なら、六坊にお住みになっても六郷のために汗を流して頂けると思いますが、ここにおいでいただく方が便利ですし、効率もあがると思います。贅沢はできませんが、この家には繋がりと楽しさがあります。それは十分味わっていただけると思います。それにまだ物騒な世が続きます。庄助は、剣はまだ使えます、と言っても、もう年です。剣より杖になりそうですし、豊治は主人と毎日稽古をしていますが、まだ元服前の子供です。一人でも腕のあるお方がいらして下さると、私どもも安心です」
 佐和はそう言った。
 信助は佐和と純平に頭を下げた。
 信助はその後、次の調整役の集りまでに、もう一度峰入りの道を辿り、巡回路にできるかを調べるために出た。しばらく戻っては来ない予定だった。その途中、道を直したり、道標を立てたりする箇所を控えていく。

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