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青の彷徨 後編 10

 八月盂蘭盆会、周吾は実家にいた。ノッピも何度かここに泊まった。先祖の位牌の中に並んで新しいノッピの位牌が真中に立っていた。何か相応しくない場所にあるような印象を受けた。それも両親のノッピに対する感謝の表れだと思えばそのままにしておこうと思う。そんなことで怒るようなノッピでもない。両親が墓はどうするのか、と言う。ノッピの墓だ。蒼井家には共同墓地に先祖の墓があるから、そこにお骨を収めてもいい。お前の考えはどうか。周吾は考えていなかった。それは一つの方法だが、それではノッピが寂しいと思う。名前が蒼井になっているとは言え、両親にも何度かしか会っていないのに、そのまた先祖と一緒にさせられるのはどうか。それにここの土地にはまだ馴染みもない。周吾はノッピがかわいそうに思えてならなかった。お骨はしばらく持っている。うちの墓に入れるのは簡単だが、知合いもいないし、見慣れない場所で寂しいだろうから。両親も納得した。いずれ再婚することになるから、その時までには考えないと。そう話があった。周吾は元々墓は不要だと思っている。形で残すには限界がある。残したい人間がいる間残ればいいし、そうなら別の残し方もある。周吾は仏壇に少しだけ遺骨を入れておこうと思っている。それがお墓だ。どこかの墓地に墓を立てても、何れ寂れてしまう。そうなると余計にないほうがいい。仏壇を守る人がいなくなれば、捨てられたってしょうがない。しかし周吾の考えは世間一般の常識とは違う。亡くなった妻の墓も立ててやれないのか。そういう目で見られる。亡くなった人がかわいそうだ、と言うことになる。周吾は埼玉の父に相談しようと思い電話をかけた。
 「周吾君か、再婚は決まったか?え、まだか、それは残念。もうしばらく待つしかないな。何、墓か、そうだな私も先祖は山口で、山口に行ったら親の墓はあるが、そう簡単に行けない。もう五十年近くいっていない。亡くなった妻の墓は近辺の墓地を買って入れた。周りの目があってね、墓も立ててやらないのか。そんな目だ。私は墓なんか不要だと思っている。地方に行くと、名前も判らない、寂れた墓がいっぱいある。建てられた当時はいいが、ああ寂れてしまうとかえってない方がいい。だから君に任せる。好きなようにすればいい」
 「お父さん、僕も全く同じ考えです。実家の墓もありますが、あそこは知らない人ばかりで寂しいだろうし、本当はずっと持っていたい。でもうちの親もその内どうするか決めないと、と言うし。おそらく世間の目を意識しているんでしょう。親の気持ちもわかります。でもそのために信枝を使いたくない。それで電話をして聞こうと思いました。でもまだどうするのがいいか。困りました。仏壇は小さいのを用意して、居間においています。その中に少しお骨も入れてあるんです。室内墓地兼用です。僕がいつか転勤で出て行くと、お墓は遠くなるし、お父さんのように、山口は遠いし、もしお父さんが埼玉を出られると、埼玉のお墓も遠くなるし。今は昔のようにその場所でずっと暮らす時代ではないですから、ニーズも違っていると思います。でもまだ、こういう話は古い慣習や慣例に拘束されるんですね」
 「そのとおりだよ。周吾君の思うようにすればいい。信枝はもうその気持ちで大満足だと思う」
 周吾はまだしばらく考えてみると言って電話を切った。
会社に夏休み制度があって、三日取って休まなければいけなかった。連休は代りに働く今井敏隆課長や、配送の協力をする前田孝志の都合も考えないといけないので、難しい。当然課員一斉取得は無理だ。上手くやろうとすれば、金曜日、月曜日あたりを、月をずらして一日取るのが最善だ。みんなもそれを狙って申請していた。周吾は後半型となって八月第四金曜、九月第一金曜、同じく九月第三金曜を取得した。課員それぞれ一度は三連休となるようにした。周吾は、最初の夏休みを使って万丈の得意先を訪ねることにした。周吾が落ち込んでいた時、軍資金を持たせてくれた先生方へ会いに行こうと思った。周吾はその前々日に万丈支店の後任菊村貞彦に電話してその旨を説明し、格段の不都合はないだろうか、と聞いていた。木曜の夜菊村貞彦から電話があり、何も変らずあのままだだから遠慮せずに行ってくれ、と言う。野崎先生は担当の千原信二が会えてないから、どうかわからない、と言う返事だった。周吾は大丈夫だろうと思った。周吾が暇ならいつでもいいから来い、そう言ってくれた。その言葉を信じよう、そう思って出た。大分のお土産に雪月花を買って行く。仕事で通い慣れた先とは言え、一旦離れた者が行くのは少し躊躇するものがある。西谷医院は自宅玄関でブザーを押す。見慣れた給食のおばさんが感激して迎えてくれた。いつものように居間に通されて、お客用の湯呑茶碗でお茶を出される。先生まで、診察を中断してお顔を見せてくれた。
 「蒼井さん、四月のお葬式の後も、随分お痩せになったと思ったけど、今はまだお痩せになっているわね。大丈夫なの」
奥さんはそう心配してくれる。周吾はあの後三ヶ月ほとんど食べらなかったが、だんだん戻ってきて、今はもう完全に食欲も戻っているから、近いうちに前の体重になる。心配かけ支援までして頂いて感激しました。そういって頭を下げた。周吾はいつものように一時間ほど奥さんの話を聞いて次へ向かった。大手門クリニック、大川医院、西岡医院と回る。万丈北山病院の薬局に入ると、みんな喜んでくれて、ハイタッチで迎えてくれた。すっかりスマートになって、そうみんなから言われた。周吾が北山病院を出ようとすると、北島潤一が走って来て、昼飯を一緒に行こう、と言う。周吾は何か話がありそうだと思って、友香と行った小福鮨に誘った。北島潤一とは、波当津の民宿以来会ったことになる。北島はあの民宿はとてもよかった。波当津の海は信じられないほど美しく、太陽会病院の宮沢麻美薬局長が非常に喜んでいた。いい場所を紹介してもらった、そう言って感謝された。宮沢麻美と二人だけになってよかったね、そう周吾が突っ込むと、北島は臆面もなく、ほんとうにそうだと言う。あの後二人は昼も夜も食事を一緒にして、彼女のアパートまで行くことが出来た。仕事で病院に行っても、話は弾むし、仕事も上手くいくし、彼女とはその後個人的に会えるようになった。蒼井さんが高山隆介と前田孝志を連れて来てくれたのが、結果最高の形になった。感謝している。それに田原茉里は高山隆介と付き合っていると言う。周吾は知らなかった。とにかく上手くいって事故も結果としてはなかったのだからよかった。北島はこの話をしたかったようだ。
 時間としては早いが、周吾は野崎医院に行く。診察中だった先生がいきなり出て来て、
 「蒼井元気か、痩せたなあ」
そう言って奥の部屋に案内する。周吾は待っている患者さんが心配だが、そのままついて行く。
 「蒼井何がいいか」
 「先生ドヴォルザークの九番を」
 「そうか、元気になったか」
 そう言って先生は曲を探してかけた。
 「先生患者さんが」
 「ああわかっている。しばらくいいだろう。これを聞いていてくれ」
 そういって先生は診察に戻って行った。
 先生は途中二度戻って来てまた呼ばれ、三度目に戻って来た時はもう第四楽章だった。周吾は、演奏がゆっくりしていて、特に第二楽章は長かった。最後の第四楽章になる前の、困難や試練は重く長い方が新しい世界が開けるのに相応しいと思っている。だからこの演奏はいいと思った。おそらくバーンスタインではないか、そう思った。周吾は第四楽章が始まると興奮する。力が沸く。新しい世界が始まる。そう感じる。先生も黙って聞いている。この曲は、一時間弱はあるが、それほど長く感じない。いつも聞いているからか。しかしこれほどいい音で聞くとしびれる。新世界にしびれていく。曲が終る。周吾は感激した。何度聞いてもこの曲に、武者震いを感じる。
 「これは、前半が長いのがいいだろう。俺はこの演奏が好きだ」
 「バーンスタインですか、もしかして」
 「そうだ、さすが蒼井だ」
 「はい、僕はこの曲が大好きで、車に長い時間乗る時はいつも聞きます。でも、新世界が簡単に開けちゃうと面白くないです。この演奏はその辺がいいです。人間苦労しないと、新しいものは掴めない。そう実感できます」
 「そうだ、蒼井もこれを聞く元気が戻ったと言うことだ。和田も心配していた。蒼井は重症だって。飯も食べられなかったようだな」
 「先生ほんとうにありがとうございました。あれ以来少しずつ食べられるようになって、もう食欲は戻りました。体重も半分近くは戻っています。今日はそのお礼を言いたくて休みを取って来ました」
 「そうか、すこしずつでも戻ってくればいい」
 周吾は結局野崎医院に二時間半もいて最後の森山医院に行った。もう夕方のいつも周吾が訪問する時間になっていた。周吾が車を駐車場に入れると、もう奥さんが出て来て、周吾が来るのを待っていたと言う。いつもの自宅に通されて院長も来た。周吾が一連の説明とお礼を言っていると、看護婦が院長を呼びに来た。メーカーの営業担当が来ているらしい。院長は、
 「誰が来ているのか?今日はもう患者以外会わないから、そう言ってくれ」
 そう指示した。すると看護婦は、
 「エイザン製薬の高月さんです」
と答えた。周吾は高月なら会ってやってくれませんか?と頼んだ。
 「蒼井さんも知っているの?彼は今年から担当になって、最近中々いいんだよ。僕もこのまま返すのは悪いとは思ったが、蒼井さんが承知なら」
 そう言って、看護婦さんに高月をこっちに回ってもらうように指示した。高月誠司は自宅が初めてのようで、緊張して居間に上がって来た。そして奥さんや先生に挨拶して、先客に気づいて、びっくりしたようだ。
 「師匠じゃないですか?どうしたんですか?」
いきなりそう言った。
 「高月君、君も蒼井さんの弟子か」
 院長がそう言った。
 「はい、今年五月以降弟子になりました」
 と高月誠司が言う。
 「僕は弟子なんか持っていない」
 周吾はそう反論した。
 「高月君、実は私も蒼井さんの弟子なんだ」
 院長が言った。
 「先生、冗談は止めてくださいよ」
 周吾は院長に言う。
 「いいえ、主人のいう通りなの、私も蒼井さんの弟子なの、私も主人もここで、いきなり開業したでしょ。それもこんな狭い家作り変えて。これで患者さんが見えられるか、心配してたの。でもね、蒼井さんは絶対大丈夫だから、って言ってくれたの。大事なのは、外見や建物や器具でもない。患者さんを迎える対応だって。患者さんの気持ちを大切にするスタッフがいて、丁寧な診察が出来れば絶対患者は増えるから、何も心配は要らない。むしろ初期の設備投資は少ないほうがいい。そう言ってくれたの」
奥さんはそう言った。
 「そうです。だから私も妻も、患者さんを神様みたいに大事に心かけて、丁寧にやって来ました。特別変ったこともしていません。それが今年で三年目ですが、もう初期投資は完全に回収しました。実は蒼井さん、この先の海坂線の山側に土地を買って、診療所を立てようと思っているんです。今設計段階です。来年春には出来ると思います。駐車場も広くなるし、患者さんにはバス停も近くなるし。蒼井さんのお陰ですよ」
 「先生止めてください。僕はそんなことは関係ないです。みんな先生や奥さんやスタッフみんなの努力の賜物ですよ。おめでとうございます」
 先生は高月誠司に、診療所のマークも周吾の発案だと説明していた。森山の森をデザインして、それを支える土台が太い十字型になって、周吾の案を絵の上手い先生がデザインし色も決めたのだった。周吾もとてもいいと思っている。緑と白のシンプルで優しく柔らかいデザインだ。
 「違いますよ、描いたのは森山画伯ですよ。医者でなかったら天才画家だったでしょうから」
 「蒼井さんも大分に行ったら、冗談を言うようになったか、良かった、良かった。心配でね。奥さんを急に亡くして、随分落ち込んでいると今村君も言っていたから。痩せたようだけど、その元気なら大丈夫だ。おい、今日は蒼井君の快気祝いをやろう」
 奥さんは早速料理を運んで来た。刺身が大盛りで大皿に盛られている。もう用意がされてあったのだ。周吾は立って奥さんを手伝おうと思った。先生は、
 「蒼井さんはお客さんだから、座って待っていて」
そう言って自分が立った。高月誠司は周吾を見る。周吾は高月誠司に手伝うよう視線を送る。ここは一階を急ごしらえの診療所にしたから、台所が二階に変ったのだ。奥さんは二階から下に料理を運んでいる。
 料理が並べられてアルコールは飲めないが、ご馳走を頂くことになった。
 「高月さん、蒼井さんがいらっしゃってよかったですね。蒼井さんが会ってやってくれって、言わなかったら、もううちとはご縁がなかったかもしれないのに」
 奥さんが冗談を言う。
 「そうなんですか。僕も何のことかまだ、さっぱりわかりませんが、師匠がいるので大丈夫です」
 「高月さん、うちは、メーカーさんとは一度は会うようにしている。でも会ってメリットがないと思ったら、二回目からはお断りする。お陰でこっちも暇じゃないから、ここで蒼井さんと話をしていて、メーカーさんが来られましたって、言ってくるでしょ。そしたら私は蒼井さんに聞く。会って見る価値があるか、ないか。蒼井さんは冷たいよ。大抵の場合ノーだ。今日はどういう訳か、OKだった。蒼井さんがすすめる人はね。今村君でしょ。和田君、それに梅木君、あと二、三人。その中に高月君も入ったね。これ以外は、暇があれば、でいいでしょう。ということなんだ。でもこれは大正解だよ。高月君も、実は私も会いたいなとは思っていたよ。蒼井さんが久ぶりに来てくれたから、今日は失礼させてもらおう、そう思っていたら、会ってやって下さい、だった。私も確信したね。高月君も立派な営業だ。蒼井さんのメガネに適うし、私もそうだと思う。でその、師匠と言うのは何を教えてもらうの?」
 院長が高月誠司に言った。
 「先生僕は何も教えていませんから、その師匠は止めてください」
 周吾は口をはさむ。
 「はい、師匠の教えは簡単です。先生方を訪問する心構えです。準備する気持ちや資材や、当たり前のことでした。僕も師匠に出会う前は、ほんとうに何をしていいのか、わからなかったんです。友達に今村裕史がいるんですけど、彼は彼の社内で、昨年新人でナンバーワンだったそうなんです。どうして成績がいいのか聞いたんです。彼は師匠のいう通りにやっている。難しくもないし、仕事は楽しくてしょうがない、そう言うんです。それで蒼井さんに無理やり弟子にしてもらいました。蒼井さんの話を聞くと、目から鱗でした。その後僕は仕事が楽しく仕方なくなりました」
 高月誠司はそう言った。
 「あら、今村君とお友達?今村君も蒼井さんに連れられてここに来たのよ」
 奥さんはそう言った。
 「奥さん、その今村君ですが、彼女が出来たんです」
 周吾が言う。
 「え、そう、いつ頃から、へえ、そんな素振り見せないから、で、どんな人」
 先生は興味丸出しになっている。
 「太陽会病院の薬剤師さんです。小野智美さんです。歳は今村君と一緒か一つ下かもしれません。かわいい子です」
 周吾はそう言った。
 「そう、じゃもしかして蒼井さんの・・・」
 奥さんが言い始めた。
 「そうです。僕の妻の友達です。僕達の披露宴に来て知合ったんです。今もう毎週会っていますよ」
 話は尽きなかった。人のこと。会社のこと。医薬分業のこと。薬剤の併用や薬効の中で薬の選択に迷っている。何を使うのがいいか。まるで担当者でいるような錯覚もした。森山医院を出たのはもう九時近かった。周吾は重ねて御礼を言って玄関を後にした。高月誠司がついて来た。これから大分に帰るという。周吾の車の後に高月がついて来た。マンションに帰り着きエレベーターに乗ろうとしたら高月誠司が立っていた。周吾はびっくりした。高月はどうしても、お礼がしたかった、と言った。もう十時だ。明日は土曜日で二人とも休みだから、いいようなもの、こんな時間、こんな場所で深刻な話をするべきじゃない。周吾は、折角だから、もし急ぐようでもないなら、寄って行くかとすすめた。高月誠司は、その言葉を待っていたようについて来た。
 部屋の明かりが付くとリビングに高月誠司を座わらせる。思った言葉が出てくる。
 「師匠ここの眺めは素晴らしいですね」
ここは僕の寂しい城なんだ。周吾は缶コーヒーを一本出して手渡す。高月誠司は師匠のお陰で、森山先生夫婦と深く付き合えたこと。それ以上に由布院以来、仕事が激変して楽しくなったこと。今はもう自分のペースで訪問しているし、卸さんに急に頼まれることもない。少し前までは、目の前の餌に気を取られるばかりで自分を失っていた。あれでは会ってもしょうがないメーカーだったです。そう言った。そして妻の写真を見つけると、
 「この人が奥さんだったんですか?凄い美人ですね。師匠はここでずっと泣いていたんでしょう」
そんなことをお前に言われてもしょうがないのに、空気を読まない奴だな、周吾は笑って高月誠司を見ている。周吾が笑っているのを見て、
 「師匠何がおかしいですか」
 「高月君は素直だ、ということ」
 「まあ正直な方ですけど」
 「そうだよ、そう思う。それは大事だ。僕はもうみんなが知っているように、妻を亡くして三ヶ月、ほとんど何も食べられなかった。ここで毎日毎日泣いていた。涙がどれだけででたか。それでもまだ泣き足らない。僕達は喧嘩もしたことない。テレビなんか邪魔で、二人でいる時は殆ど消していた。僕はもうノッピがいれば何もいらない。ノッピもそう言っていた。ノッピは僕と知合う前は、この部屋で寂しく夜景も見ていたのだ。今は僕が寂しく夜景を見ている。毎晩毎晩。最近やっと食べられるようになって、寂しい部屋にももう慣れた。僕は寂しい苦しい悲しい思いをすることが妻への感謝と愛だと思えてならない。だから今は苦しいのも楽しい気分になる。ドスエフスキーみたいだろう。妻が亡くなって、元々この部屋は妻のものだから、この部屋にお参りのお客さん以外入れたことがなかった。高月君が始めてだよ。僕もそれだけ立ち直って来ているということかもしれない」
 「師匠申し訳ありません」
 「いいんだよ。もう僕に余裕があるからここに入れたんだ。誰だって何も考えずに素直にぽろり言葉がでることがある。でも僕らが仕事で、これをやったら、いけない。素直さが帰って毒になる。状況を判断して予測する、相手に喋らせる分はいくら喋らせてもいい。こっちは確認して行けばいいから。でも当たり前を追随して確認させるのは場合によって強毒になる」
 「はい、そうです。僕もそう思います。師匠のおっしゃる通りです。僕は二つ間違いを犯しました。最初は夜景がきれいだと言いました。きれいです。当たり前です。でもそれを見ている人の気持ちを全く考えませんでした。二つ目は、師匠にいやな思い出を追随して確認させようとしました。師匠のお気持ちを全く考えずに大変申し訳ありませんでした」
 「いいんだよ、僕に余裕があるから。得意先でこれはやらない、その勉強だと思えばいい」
 「はい、ありがとうございます。師匠に言われるように、相手の立場になれば、本当になんていうことはないのに、気づかないものです」
 高月誠司は森山医院で先生が薬剤の選択から経営のことまで完全に師匠を頼っているの見て、びっくりしたという。どうしてそうできるのか知りたいという。 
 周吾は、
 「それは高月君の勘違いだ。僕は何も院長に指示はしていない。今日の話をそんな風に聞いたなら、それは違う。今度森山先生に会って聞けばいい。僕は、選択権は必ず先生に渡している。土俵にあがった物の特長は、間違いなく伝え選択の条件提示はしても、最終判断は先生に任せている。薬剤ごとにこんな条件なら、この特徴を持ったこれ、あるいはこのケースはこっちがこう作用するから、と言う具合だ。症例は先生しか知らない。卸は卸の立場を守ることだし、医師は医師の仕事がある。先生が人を上手く使っているから僕が凄いように見えるだけだ」
そう言った。
 「そうですか、それにしても、薬剤の特徴をあんなに簡単に、いつでもどこでも並べられるのは凄いです。よく勉強されています」
 「それが僕の仕事。卸は商品を品揃いよろしく並べるのが仕事でしょ。会社に在庫あります、だけじゃ電話で仕事が済む。細かいところは味見をするか、お試しするか。解体、分解して見せるのがメーカーの仕事。時々油を注ぐのもメーカーの仕事」
 「師匠、僕はまだ、油さしだけです。何れその解体とか分解とか仕事がくるでしょうか?」
 「油を差しに来ない人には分解も頼まないよ」

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