霧の中 5
今日は仕事が順調に進んだ。朝八時半に会社を出て、全部終わったのが夜の七時、こんな日はまずない。家を出て十二時間で帰って来た。仕事を始めて初めてのことだ。おまけに香澄に会った。あそこに住んでいたのか。よく荷物を届ける場所だ。一瀬先輩とはもう終わっていたのか。八年いや九年前か。ずいぶん古い話をしてしまった。香澄は変な気持ちにならなかっただろうか。近いところに住んでいたのだ。
明日は休みだ。五日ぶりに喫茶リバーサイドに行く。この店は同じブラスバンド部の同級生で、パーカッション担当でマーチングの時はガードの主役だった小城憲治が、卒業後アルバイトをしていた。経営者は、同じブラスバンド部の二つ上のパーカッション担当の吉田信吾先輩のお兄さんで、吉田健太さんだ。十歳年上になるし、同じ高校の卒業者でやはりブラスバンド部の先輩になった。トランペットが担当だった。小城憲治は吉田信吾先輩に誘われてアルバイトに出て、ぼくは小城憲治に誘われて来て以来、暇になるとここに来た。この店にはトランペットの楽曲がよくかかっていた。曲も良かったが、何よりマスターの吉田健太さんが良かった。奥さんの茉里さんと二人で店をやっているが、外食するときは決まってここに来た。いつも一人だったし、時間はあった。マスターは自分を認めてくれるし、励ましてくれる。余談なおせっかいはしない。軽い話が多いが、なぜか話が楽しい。いつもぼくが何か愚痴を零して聞いてくれる関係だ。メニューは喫茶店だから食事はメインではない。パスタかランチが殆どだ。それでも時々特性ランチにありつける。弁当や外食メニューばかりで、家庭の食べ物に飢えているのを知ってくれているからだ。ぼくはカウンターの一番奥の端っこに座る。マスターは何か食べるか、と聞いてくる。ぼくは、はい、と言う。メニュー物がいいか、それとも今日は味噌汁に冷奴、鯖の味噌煮、ポテトサラダがあるが。それ、それお願いします。ぼくはいつもそうだ。
今日は仕事帰りか、珍しいこともあるな。早く終わったのだな。何か良いことあったのか。
いえ何もないですよ。仕事が早く終わって明日は休みだから、ゆっくりしたいと思っただけです。
そうか、彼女でもできたのかと思ったよ。
マスター冗談やめてよ。できたら連れて来ますよ。
おおそうしてくれ、翔太がどんな彼女を連れてくるか待っているから。そう言っても、もう何年か、翔太の彼女いない歴は?十年くらいなることないか?
はい、はい、ぼくには彼女の話は全く縁がありません。気にしないでください。そうは言ったものの、村川香澄を誘ってみようかと思ったのは、マスターにそう言われたからだ。今日も仕事の途中だったが、もっと話をしてみたいと思った。でも最初にここではやはり拙い。村川香澄に偶然会ったことはまだマスターには内緒だ。久しぶりにご飯らしい食事にありついた。満足だった。マスターありがとう。美味しかった。
コーヒーを頼んで結局閉店の九時までいてうちに帰ってきた。風呂に入りながら、急いで洗濯することもないが、いつもの習慣で洗濯する。風呂も出るときに洗ってしまう。風呂から出て携帯電話をチェックする。メールがあった。香澄だ。翔太先輩きょうはまた驚きました。仕事はいつも何時ごろ終わるのですか。夜の食事はどうされているのですか。私のお店は八時にひまわりデパートが閉まるので、その後、片付けや明日の準備などして店を出られるのが九時前くらい。時々お弁当が売れ残って処分に困ることがあります。住んでいるところが近くなので、よかったら、そんなときお弁当もらってくれると嬉しいな、と思いました。九時頃か、平均して家に帰り着く時間帯だ。早速メールを返す。カスミンのいる店は少し高級なので縁がないと思っていたが、処分品でも大歓迎だよ。毎日仕事帰りにコンビニで弁当を買っている。あの高級な弁当ならいつだっていただきたい。すぐ返信があった。わかりました。今度売れ残ったらメールします。今日は、仕事は早く終わるし、リバーサイドではメニュー外の美味しいご飯を食べられた。香澄からはいいニュースもあった。こんな日もある。
休みの朝はゆっくり起きる。昼前に部屋の掃除をした。部屋の掃除も週に一度はすることにしている。携帯電話がなった。純也先輩だ。
おい翔太、お前今日は休みだろう。暇だろう。温泉に行こうや、これから迎えに行く。いつもこうだ。どうして今日休みだとわかるのか。ただの勘らしいが、よく当たる。トランペットの二年先輩だが、よく遊びに誘われる。魚釣りか温泉かどっちかだ。もう結婚して子供も一人いる。子供は保育園に預け、奥さんは栄養士で老人保健施設に勤めている。純也さんはカメラ工場に派遣で行っている。三交代制で、今日電話があったことから明日も休みのはずだ。ぼくは別段予定はないし、純也さんといると楽しいから、部屋の鍵を閉めて外に出る。純也さんはすぐにやって来た。いつもこうなのだ。電話をかけるときは直ぐ近くに来ている。電話を切って道路に出ると直ぐ着く。タクシーより確実だった。助手席に座ると、天空の湯に行こう、と言う。
天空の湯を知っているか。
知りません。
そうか。翔太、昼飯はまだだろう。あそこは昼飯を食べた人しか温泉に入れない。青い湯と白い湯の露天風呂があって、日によって男湯と女湯が変わる。偶数日は男湯が青で女湯が白。奇数日は反対になると決まっている。今日男湯は白だ。とにかく絶景らしい。温泉マニアとしては行かないといけない使命を感じる。
純也さんは釣りにもよく誘う。釣りと言ってもビギナーの釣りで、堤防からの籠釣りだ。狙いはゼンゴ。籠の中にオキアミを入れて海に落とす。竿を上下させると餌が籠から洩れていく。そこへ小鯵が食べにきて餌と一緒に光るサビキ針に食いつく。純也さんは数回同じところに仕掛けを落とし、釣れないとすぐ他の場所に移動する。ここは釣れない、場所が悪い、と言う。ぼくは釣れなくても構わないし、だいたい餌があそこにあるぞ、と魚が気づくまで時間がかかると思っているから、一旦決めた場所から動かない。しばらくするとぼくの竿にあたりがある。それをみて純也さんがまた戻ってくる。釣果は必ずぼくのほうが多い。ぼくが両親や弟と一緒に住んでいた頃は、二人の釣果を半分に分けたが、ぼくが一人暮らしになってからは純也さんが全部引き受ける。純也さんは釣りによく誘うが、魚が目当ての釣りではない。休日奥さんが仕事に行って、保育園に子供を預けて暇になると出かけるから、潮の良し悪しなどに拘らない。のんびりした時間を過ごしたいらしい。しかし性格はせっかちだ。ぼくは一日堤防に座っていてもいいのに、純也さんは一時間もしたら、翔太、湾の向こうに行ってみないか、とか、温泉に行こうか、となる。釣りは性格からして向いていないのは本人も承知しているようで、最近は温泉めぐりが多くなった。それでも夕方時間前には子供を迎えに行く。
海岸道路から山の上を目指して登って行く。客室数東洋一と言われる山の斜面に建つ巨大なホテルの脇を通り、細い山道を更に登って行くと、天空そばの看板があった。車が数台止まっていた。メニューは蕎麦定食の松、竹、梅しかない。値段が上、中、下だ。客席は全部座敷になっている。蕎麦定食の竹を注文する。風呂に入れるので来ているから、梅では悪い気がして、しかし松は遠慮したい。普通の蕎麦屋だ。蕎麦定食も別段拙くはないが、蕎麦だけを食べにここまで登って来る気にはなれない。
昼食を食べ終え、座敷の奥から風呂へ行く廊下に出る。座敷の奥隣の部屋は風呂上りの休息場になっていて何組かのお客がお茶を飲んでいた。浴衣のままでいるのは、また露天風呂へ行く気でいるのかもしれない。その隣の部屋で浴衣に着替え、外履きのスリッパを履きタオルを借りて露天風呂へ向かう。十mも歩くと右と左に男湯と女湯とに別れ、奇数日は右が男湯になっていた。更に十m行くと、小屋があり、小屋から山側に板塀が建っていた。
小屋で裸になり露天風呂に入る。白濁した湯で湯気が立ち上っている。大きな露天風呂だ。少し蛇行しているが幅四m奥行き八mはある。海側を見ると絶景だ。山の急斜面を切り取って湯船を乗せているような状態だから、湯の中にいて海を見ると、海の上空に浮かんでいる感じがする。湾の中の大型客船が見え、湾の向こうの市街地も、海の水平線も、青い空も見えるが、海と空の色の違いがわからない。同じ色に見えている。でも全く違うはずだ。正規の公務員と臨時や派遣のように。湯は少し温めだからゆっくり浸かっていられる。
翔太、凄いな、ここは初めてだが、いままでの露天風呂の中では最高だ。まさに天空の湯だ。空の風呂に入っているみたいだ。人間裸になって自然の中に投げ出されると素に戻れる。温泉はいいよな。何もかも忘れて、身も心も洗われる。
純也さんはいつも同じことを言う。温泉はいい。ぼくは純也さんといると素直な気持ちになる。純也さんが飾りのない人だからだ。ああ、それにしてもいい景色だ。この景色は絶対に忘れない。
翔太、俺、派遣契約が終わることになった。業績不振で契約解除だ。後一月だ。いまネットで仕事探しだ。落ち着いたら、今度は青い湯に入ろうや。
人は良いのに、せっかちな性格は変わらない。次の仕事を決める前に次に入る湯を決めている。今日はこの白い湯を堪能すれば良いのに、もう青い湯が気になって仕方ないのだ。それにしても派遣契約解除か。いわゆる解雇だ。仕事探し大変だろうな。奥さんは心配だろうな。
純也さんもぼくと境遇が似ていた。純也さんが高校三年の秋に、お父さんが経営する建設会社が倒産し、会社の保証人だった両親も破産した。ぼくは高校三年になるときに父が失業した。大学に進学する予定が就職に変わった。高校は入学時から就職を目指している生徒を優先的に企業に推薦する。途中からあっちをやめてこっちにしました、では最初からそれを目指していた生徒に悪いからだと言う。そのため高校からの推薦はできないと言われ、結局正規の社員になる道はその時点で厳しくなる。挙句に学級担任から、アルバイトだけでも大学は行けるぞ。入学費用さえ親に何とかしてもらえば無理ではないぞ、と散々説かれたが、ぼくは経済的理由で、としか答えられなかった。成績は悪くなかったし、高校としては名前の誇れる大学に合格者をだす機会を失いたくなかったのだ。担任は自分の評価を下げたくなかったのだ。就職、と進路を変えてから、もうクラスの中ではよそ者でしかなかった。純也さんは三年の秋だから、まだ実質一学期なかったでしょう。ぼくはまる一年ですよ。そんな話をして慰めあったこともある。純也さんは派遣を三社経験していた。三交代や五交代も経験済みだが、奥さんの両親が、その勤務時間はなんとかならんのか、と言うそうだ。誰も好きで夜働くわけではないのに。日曜日は休みたいのに。他に仕事がないし、誰もが日曜日休んだら、世の中回らないだろうに。考えが固執しているのか、純也さんは、すみません、としか答えないらしい。説明しても理解はしてもらえないだろう。そんな考えがまだ多いのかもしれない。世の中は便利になって、かなりの人間は不便になった。
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