霧の中 1

 驚いたよ。あんなところにカスミンがいたなんて。お届け先はカフェマドロムだったのに、そこの店員が誰もいないので困っていたら、隣の惣菜屋から出て来て、ちょっと待って下さい、呼んで来ますから、そう言って探して来てくれた。お陰でぼくは荷物を無事に届けることができた。受領印をもらい、隣の惣菜屋にそのお礼を言うと、もしかして、翔太先輩じゃないですか。ああ、カスミン。すっかり大人になって、そして美しくなっていてびっくりした。たまたまお客さんもいなかったし、駐車禁止の心配がなかったので少しは話ができたが、高校卒業して以来だから八年ぶりになる。惣菜屋さんはパート勤めなのか。ぼくも似たようなものだ。とりあえずメールの交換をしたが、カスミンも大変だな。一人で部屋を借りて生活しているのか。ぼくと同じ境遇なのにも驚いたよ。
 同じ高校のブラスバンド部で二年間殆ど毎日顔を合わせていたのに、ぼくは卒業して村川香澄のことを思い出したことが一度もなかった。それが、八年後突然再会して、まるで正月休みが明けたみたいに全く違和感もなく、みんなカスミンと呼んでいた村川香澄だとわかったのが不思議だ。ぼくの頭の引き出しに、カスミンが残っていたのだ。部員は百名以上いた。村川香澄は一年下のフルートだ。ぼくはトランペットで、パート練習は別々になるからそれほど親しくはなかった。それに、カスミンはぼくの一年上のフルートの一瀬先輩と付き合っていたはずだった。その後どうなったのか、聞く暇もなかったし、いきなりそんなことを聞いても悪いだろう。それでつい聞いたのが、楽器やっているの、だった。フルートもトランッペットも楽器として大きくないから、手元において置ける。チューバやパーカッションだと集合住宅暮らしでは無理だ。ぼくも卒業後お金を貯めてトランペットを買った。高校のときに、嶋川先生と大石先生から、自分の楽器を持ったほうがいい、と言われたが、高額な楽器は親に頼める代物ではなかった。自分の楽器になって毎日、音を出す練習をしたが、以前のように音が出ない。一月くらいたってなんとか出るようになった。そうしたら、音をあまり出さないようにしてくれ、親にそう頼まれた。近所の声が入ったらしい。それから音を出さないで音を出す練習に変えた。なんか変だよ。仕事が変わり、一人で暮らすようになると、トランペットはいつしかケースにしまったままになった。臨時公務員の一年間、市民吹奏楽団にいて、定期演奏会に出たことがあった。しかし、仕事が変わって練習時間が全く合わずに行けなくなった。カスミンも時々楽器の手入れをするだけか。どうしてもそうなってしまう。音を思い切って出す場所がないから仕方ない。もしあってもいまの仕事では練習する時間はない。朝八時前には出勤し、車に荷物を積み込み、配送手順を考え、八時半には走り出す。駐車禁止と戦いながら、一枚一枚伝票を消化していく。その間、予定なしに集配連絡が入ってくる。予定が混乱することもあるが、予定は変わるもの、不在や時間変更などがあり、宅配が終わって会社に戻ると、車の掃除や洗車、事務整理が待っている。自分の部屋に戻れるのは早くて十二時間後、遅いともう明日に近くなることもある。これじゃ音出しもできない。
 仕事はシフト制だってね。厳しいね。決まった曜日が休みにならないし、決まった勤務時間でもない。ぼくも前にお菓子屋で三ヶ月臨時のアルバイトをしていたことがあるからわかる。忙しい時は早出や残業もあるが、その分時間給が加算されるので、暇な時は調整されて、出勤しても三時間働いたら帰ってください、そんなこともあった。労働者は経営者のパソコンの中で、簡単にコピーされたり、消されたりされる。おそらく表計算ソフトに勤務時間の合計限度が計算されて、早出や残業で増加したりすると、どこかで削りなさいと表示が出るのだ。働くのはお金のためだけど、お金だけでもない。仕事を通して社会に参加している思いや、自分を高められる充足感もある。それが、今月は残業が多かったのであと三日は五時間勤務になります。そんな日は一日四千円にもならないのだ。三時間で帰らねばならなかった日は、一日三千円にもならない。それでもワイシャツやエプロンにアイロンをかけなければならないし、ズボンだってプレスしないといけない。通勤距離だって労働時間に合わせて短くなるわけでもない。八千円稼ぐ日の手間も、三千円も稼げない日でも、手間もコストも同じだ。そんなことを経営者は知らないのだ。そんなことがあると、もう支障のない程度にやろう、そうなってしまう。いや、経営者はそこまで考えているかもしれない。定着して長く働かれると正社員にしないといけない。それでは経営効率が悪い。そうやって、短い期間で人が変わる方がいいのだ。認められないことは意欲をなくす。どうせお菓子屋は三ヶ月限定だったからよかったが、そんな仕事には就きたくない。カスミンはどうなのか。そこまでは聞けなかった。
 あの日は荷物も多く、それに不在者が多くて、何度もぐるぐる回って、やっと終わったのが十時過ぎだった。一日十四時間車の中にいて、やっと開放されてまた仕事に戻るまで残り十時間無い。睡眠に六時間は欲しいし、通勤時間など引いてあと三時間は自由だ。でも夕食は食べたい。酒は飲まないことにしている。一人で飲んでも仕方ないし、飲みたいとも思わない。飲んで翌朝、検査で残っていたら困る。食事に風呂、洗濯はしておかないといけない。それに携帯電話でメールチェックもしたい。見たいサイトもある。テレビを見る時間もないくらいだ。帰りにコンビニによって、今日も弁当になったが、食べるものと冷たいペットボトルのお茶を買う。暗い部屋に帰って来て弁当を食べる。お茶を飲んで風呂に湯をためる。いまの仕事は宅配業だから制服がある。毎日洗濯しておかないと、着替えは一着しかないから、明後日に困ることになる。お菓子屋はアイロンをかけなくてはいけなかったから、毎日大変だった。いまはアイロン不要で助かる。風呂に入る前に洗濯機を回す。風呂を出るとき、風呂を洗う。一人しかいないのだから、後でするか、前でするかしかないのだ。一日置いて洗うより、ついでに洗ってしまったほうがいい。そう考えた。風呂から出ると、洗濯物を部屋干しにして、携帯電話のサイトをまた見る。カスミンにメールしようかと思ったらもう一時だった。メールだからいいか、そう思ってメールをして、そのまま寝た。寝たらすぐ朝になる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?