新六郷物語 第六章 七

  火事の後、篠と思いもかけない一夜を過ごすと、隆村はいつもの日課に戻っていた。早朝川に行き剣を振ってくる。帰途、安東篠がいた屋敷を見るが、誰もいない空き家になっている。隆村が屋敷を眺めながら戻っていると、同じ屋敷にいる下男の甚助が、浅蜊を籠に抱えて追いついてきた。甚助は浅蜊を受け取りに行った帰りだった。
  「影平様、今朝も剣の稽古でしたか、お疲れ様でございました。ところで影平様、ここのお屋敷のことですが、思いもかけない話を耳に入れました。影平様がお助けした安東様ですが、安岐城で亡くなられた主人の安東正勝様は、大友義統様配下きっての剣の使い手で、安岐城攻めのおりも、敵将を討ち取る寸前で、なぜか胸を一撃で刺されて亡くなられたそうなのです。あの剣の達人が胸を一撃されるはずはない。敵方にそれほどの使い手がいるとも思えない。不思議な亡くなられ方だと、看取った弟の安東義勝殿が話していたと言うのです。奇しくも安岐城攻めは影平様が一番手柄、それを争う相手の未亡人を、火事で影平様がお助けになるとは、全く奇縁でございます」
  甚助はそう話をした。隆村は、
  「そうか、世間は狭いものだな」
  そう言っただけだった。安東正勝、大友義統配下きっての使い手か。隆村が伯父安岐周蔵を救おうとして、蹴飛ばし胸に剣を突き刺し殺したのだ。その男の奥方を抱いてしまった。篠から誘ってきたのは間違いないとしても、篠は、隆村が夫安東正勝を殺めた男だとは知らなかったはずだ。敵に刺されて命を落とすのなら諦めもできるが、同じみかたに殺められたと知ったらどうだろう。火事で助けたお礼などではなかったに違いない。隆村は、この話がもう篠の耳に入っていると思った。甚助がどこから聞いて来たのか知らないが、甚助の耳に入るくらいなら、篠の耳にはもう届いているはずだ。背筋に寒気を覚えた。
  その数日後、隆村は田原紹忍に従い武蔵今市城に戻って来た。紹忍から府内同行の労いを受け、火事での人助けを褒めてもらった。三日ほど休むが良い。主君は隆村にそう言ってくれた。休みはありがたいのだが、隆村は実家に帰る気はない。安岐に伯父がいれば間違いなく行く。六坊弥平と仙が生きていれば、必ず馬で駆けて行く。今市城に留まる気にもなれない。
  隆村は馬を引き出して乗った。行く宛てはなかったが、海を見ながら北に駆けた。国東まで駆け、国東の真ん中を流れる川を前にして馬を止めた。上流に目をやると、安国寺の七堂伽藍が見えた。隆村は不思議な物を見る思いがした。安国寺は無事なのか。馬を川に沿って上流にかける。平等寺も残っていた。ここは千燈寺の末寺だ。更に上流へ駆ける。泉福寺も堂々とした伽藍がそのままあった。鞍懸城攻めから武蔵に帰る途中、伊美、国東、武蔵の仏閣を焼き打ちにしたのではないか。山の奥にまで行って焼き討ちすることもないとしたのだろう。天台宗の六郷満山から荘園を取り上げるのが主たる目的だから、禅宗や天台宗でも山の奥にある平等寺のような末寺は構わず、だったのだ。隆村は奥を目指した。両子寺まで山を駆け上る。間違いないようだ。無事だ。ここまで火をつけに来たくなかったのだ。千燈寺のような寺領の多い所は避けようがないが、そうでないところは火など点けたくはない。来縄から伊美、国東、武蔵の外周を一回りして、外せないところだけを焼き打ちして引き上げたのだ。
  隆村は両子寺から田染、来縄を回った。高山寺、伝乗寺、報恩寺は壊滅していた。それ以外もお寺は殆ど焼かれていた。大友義親が田原家を継いだが、その配下が厳しい仕事をしていた。焼け残りのまま放置され無残な有様だった。その夜は高田の旅籠に泊まり翌日は海に沿って半島を右へ回った。堅来、竹田津、伊美と湊を過ぎる。伊美の湊近くには藤本家があるが、立ち寄りたくても相手が厭な思いをするに違いない。そのまま過ぎる。熊毛の湊で旅籠に泊まる。翌日は南下して武蔵に戻った。一見平穏だが、田染、来縄、伊美では、田に稲の作付け準備がされていないところが多く見られた。あれは寺領だったところだ。隆村は寺の焼き討ちで、六坊弥平のように寺領を持っていた人が死んで、稲を植える人がいなくなった事実をみた。寺が焼かれて田までが荒れている。人の心も不安で拠り所がなく、寂しさに耐えている。隆村はあの戦で間違いなく自分が武功第一だったのに、焼き討ちにあった人と同じように、悲痛と寂寞に先行きの不安に苛まされている。勝者はいない。六郷全体が荒廃し、六郷の住民は武家も農民も商人も心に傷を負ったのだ。
  隆村はその後も、親戚や父から勧められる縁談を全て断りながら、休みを貰うと六郷を回った。
  夏が終る頃、隆村はついに千燈寺の跡を尋ねた。ここだけは足が重かった。二度外周は通ったが、千燈寺が六郷最後の探訪地となった。何度か通るたびに道は整備され、峰入り道の案内もされている。以前の六郷には程遠いが、かつて峰入りという習慣があったこと思い出す。少しではあるが、傷が癒されていく思いがした。回復して行く姿を見る楽しみで馬を駆ける。だが、ここは避けて通れないが、来る勇気も無かった。しかし二度外周を回り六郷の傷が癒されていく姿を見ると、千燈寺跡を尋ね、頭を下げて思い切り泣くしかないと思ったのだった。
  重い決心がつくと、故人に詫びる思いを胸に真直ぐ千燈寺に向かって来た。蝋燭に線香も用意した。蝋燭が燃えつきるまで、本堂跡に座って無心になろうと考えた。武蔵を朝暗いうちに発ち、馬を早駆けしたこともあって、昼には本堂跡に立った。石造仁王像が睨みつけるように立ちはだかっていた。隆村は石造仁王像に深く頭を垂れて、中へ進んだ。本堂跡は何も無かった。礎石が残るだけであった。ただ花を手向けたり、線香をあげたりできる台が用意されていた。見上げる山は黒々と焼けて所々若草が芽吹いていた。隆村は、本堂跡に進んで蝋燭を燈し線香に火をつけ、その場に座り頭を下げた。
  あの時のことを思い出してしまう。涙が零れる。仙を母と間違えたのだった。でもなぜ、弥平も仙も、あの時隆村を見て微笑んだのだろうか。逃げようと思ったら逃げられたはずなのに、なぜ逃げなかったのか。自分が火を点けに来たと思われているのだ。火は点けていない。警護に当たっていただけだ。本堂に大勢人が集っているのを聞いて、非難させようとここに向かったが、もうどうしようもなかったのだ。いや、いい訳でしかない。焼き討ちで来たのは確かなのだ。伯父上、伯母上。母上。隆村は声を出して呼びかけ涙を零した。

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