新六郷物語 第八章 二

  影平隆村は、臼杵での忌まわしい思いを胸に府内に戻り、ありのままを糸原宗衛門に報告した。日向攻めの責任をいまさらながら持ち出されるとは、そう言って黙ってしまった。隆村は、老練な留守居役が、田原紹忍にどう伝えたらいいか、苦悩しているのを気の毒に思った。まさか、いままで何の反応も無かったのに、よりによって初めて一人で行った隆村に最終結論を伝えるとは。隆村も、自分が聞いて来なくていい返事をもらったと思っている。しかしありのままに伝えなければならない。糸原宗衛門はしばらく考えた挙句、文を書くので、それを持って今市城へ行け、と命じた。
 糸原宗衛門の文を読み終えた田原紹忍は、
  「いまさら日向のことを持ち出すか、わしの指示に従わず勝手に攻めるから、あれ程の負け戦になったのを、みなわしの責にするか。止むなしか。ところで隆村、宗麟公は壮健であったか」
  隆村はあの日、臼杵で見聞した事実を全て話した。女の名が篠であることを除いて。
 「そうか、まだお盛んか。困ったものよ。しかし、わしのことをそう言うっておったか。そうであろう。わしほど素直に働く者はこの大友家にはおらんよ」
 隆村はしばらく休んで府内に戻るように言われた。馬を引き、今市城を出ながら、主人の紹忍は犬のようだと思った。飼い主に忠実で、餌をねだっても貰えず、それでも少し撫でてもらえば喜ぶ。走れ、と言われれば走る。座れ、と言われると座る。大友家の重臣の中でも飛び切りの忠犬だ。嫌いな物は食べようとしないが、主人が何をしようが必ず従う。自分は田原紹忍にそこまで忠実になれるか。これでバテレンを信じればもう形無しになる。
 隆村は武蔵の家には帰る気がしない。馬に乗って両子寺へ向かう。途中三井寺が再建されているのが見えた。
 隆村は三井寺に向かった。影平家の菩提寺である。母里もここに眠っている。馬を降りて墓に詣でる。何年ぶりか。焼き討ちされる前の年に来てから墓にも来なかった。半焼した寺に参るのも遠慮したのだ。母の墓には花が添えられていた。誰だ、誰が花を添えたのだ。
 寺は綺麗に片付いて、新しい住職もいた。隆村が聞いてみると、この寺は浄峰様が集めた喜捨で建てられ、絆衆の面々が労力の喜捨、在郷の山の喜捨を募られてできたと言う。  
 「落慶法要はそれこそ盛大で、多くの人がみえられました。私は浄峰様の依頼を受けて比叡山から赴任して来ました。いずれ地元出の僧職がいれば、引継ぐ予定でいます。陰平家のお墓ですか。影平久蔵様がお一人で参られました。花を添えられ、ご寄付をしていかれました。主の命令で止む無く焼き討ちしたことを詫び、今市城に詰める殆どの武家はこの寺が菩提寺だと申されました。誰が再建してくれたのか聞いて行かれました。私は聞いていることをお答えしました」
 隆村は父の思いもかけない行動に驚いたが、亡くなった母のことを忘れてはいないのだと思った。
 絆衆とは何者か。寺を再建する後押しをしている。浄峰様に繋がっている。
 隆村は純平を訪ねようと思った。浄峰様に思いもかけない時に会ってから、尋ねたいと思っていたが、暇が取れなかった。浄峰様に会って話がしたい。この晴れない気持ちを持っていくところがない。いまの任務は武蔵の人のためになっているのだろうか。武蔵に住む多くの武家は皆田原紹忍の配下だ。命令で寺を焼き、宇佐神宮を焼く。田原紹忍は犬のように、大友宗麟の言いなりだ。大友宗麟は自分以外を人だと思っていない。臼杵で見聞したことは衝撃だった。しかもよりによって篠さんが被害にあった。間接的ではあるが、大事な思い出を蹂躙した人に仕えているのだ。虚しいし無念だし、憤るにも相手が悪い。他国の攻めに命を張って、住民と財産を守る。そのために命を落とすことがあっても、武家なら悔いなく死ねる。だが、あの大友家を守ることが、国東や豊後のためになるのか。隆村は自問しながら馬をかけた。両子山を駆け登り犬鼻峠から千燈寺跡へ抜ける。千燈寺の本堂の前に額ずく。あの時の浄峰様の経を思い出す。馬に戻って田染を目指す。川中不動の前に人が集っていた。馬を休ませて様子を見ると、道の側に小屋が建って何やら売っている。漬物や蕎麦粉、団子、花、握り飯、修行鬼の面もあった。それを参拝者が選んで買っている。そう言えば、両子寺から降る別れ道には、千燈寺跡、両子寺、文殊仙寺などの道標が立てられてあった。それを道印に参拝者が歩くのか。活気が戻ってきている。隆村はそう感じた。
 田染に入ったら、人を探して六坊家はどこか、尋ねなければならない。そう思いながら一先ず来縄に出て田染に向かう。
 来縄と田染の境界の狭い山際の道にかかると、争う声が聞こえ、女の悲鳴がした。隆村は馬を駆けた。若い女二人と一人の男に、三人の武家が刀を抜いて襲おうとしていた。女を庇おうとしている男は、体は大きいが素手だ。
 「若造、お前には用はねえ。さっさと失せろ。女を出せ。可愛がってから返してやる」
 「やめて下さい。御仏の罰が当たります」
 「おい、聴いたか、御仏だと。イエス様なら許してやってもいいが、御仏だと、そうか、たっぷりご利益を上げようじゃないか。おい、男を始末しろ」
 隆村は馬を降りて走った。
 「待て、狼藉は許さん。折角だから、御仏の罰を与えてやろう」
 剣を抜き、振り返った男に向かって走る。狼藉者は振り返って剣を構える。隆村は右へ、左へ、前に剣を振るう。狼藉者は剣を持ったまま手を斬られた。次もまた手を斬られた。最後の一人もまた手を斬られた。おまけに三人とも着物の帯を切られた。恥ずかしながら、前がはだけて下帯が見えた。
 「御仏の罰だ。命はとらぬ。もう剣は持てぬだろう。罪を償うがよい」
 三人は来縄へ向かって走った。
 「ありがとうございました」
 若い男が頭をさげ、礼を言った。二人の女も頭をさげたが、頭をあげると三人とも隆村の顔を見つめている。
 「私の顔に何かついておるか」
 「いえ、申し訳ありません。知り人によく似ておりましたもので、お許し下さい」
 女が答えた。
 「そうか、その人はもしや、六坊純平ではないか」
 「はい、そうです。私どもの主人でございます」
 「私はいま、純平を訪ねるところだ。ちょうど良かった。誰かに道を尋ねようと思っていた。似ておるか、私は影平隆村と言う、純平や浄峰様の従兄弟じゃ。案内してくれまいか」
 三人は田口基之と是永園、柚の姉妹であった。来縄の是永家に行っての戻りであった。是永園、柚姉妹だけでは危ないので、田口基之が就いていたが、剣はさっぱりである。広瀬豊治なら相手になれたかもしれない。豊治は浄峰についていたから、田口基之が同行したのだ。影平隆村が六坊純平に体格も顔立ちも似ているので、三人は驚いた。隆村は馬を引きながら三人に合わせて歩く。まだ遠いのであれば、娘二人を馬に乗せると言うと、もう直ぐだと言う。
 「浄峰様はお出でなさるか」
 「毎日説法に歩かれておりますが、今日はお戻りになる予定です」
 「純平は・・・」
 「今日は両子寺に剣の指導に行っております。夕方には戻られます」
 色々話をしながら、六坊家まで歩いた。
 馬を田口基之が引いて厩に入れ、園は濯ぎ水を運んでくれた。水を運んでくれた園は美しい目をして弾けるような笑顔であった。隆村は、助けた女を改めて正面に見て、優しく眩しい人だと思った。と同時に、母に似た香りがする心地よさを感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?