霧の中 3

 ぼくが仕事で回る地区は決まっているから、ひまわりタウンの近くは頻繁に通る。担当の地区内に届けるのと、地区内からの集配をする。この仕事についてまだ半年だ。
 高校三年の春、進学を諦め就職に進路を決めたが、募集企業への高校推薦はもらえなかった。三年になって進学から就職に希望を変えたのが理由だった。最初は市清掃工場の臨時職員だった。履歴書や応募書類を持って指定された小学校に行くと、大勢の人がいてそこで運動能力を試された。特別なことをしたわけではないが、若かったのと、他の職歴がないのが評価されたのだろう、競争率十倍強の難関を採用された。臨時で採用されればもしかすれば正式採用もあるかもしれない。昔はよくあったと聞いたことがあるが、それはなかった。一年で終わった。一年の間に三回爆発事故があった。不燃物の仕分けが主な仕事だったが、回収車から出すときに一度爆発して回収車が壊れた。二度目は回収車から出されたごみが、仕分けされる前に発火して爆発した。缶が飛んで工場の屋根が凹んだ。三度目は隣の可燃物の焼却炉に送られる可燃ごみが、焼却工場内で爆発した。焼却炉が壊れて一基使い物にならなくなった。人が偶然怪我をせずにすんだが、危険な職場だった。ごみを出す人が、カセットコンロの穴を開けてガス抜きをして出す。使い捨てライターを使い切ってごみに出す。分別を決められたとおりにする。当たり前のことをすれば、危険な事故も起こらない。仕事は正職員の盆休みを助けるのが最大の仕事。通常は正職員に監視されて彼らの暇を作ってあげるのが任務だった。昼は定時前に休暇に入り、午後は休暇時間が完全に過ぎてから勤務の準備に入る。夕方五時にはダッシュできるよう準備をするのも仕事のうち。爆発で怪我をするのはまず臨時の職員。そのために臨時職員がいる。公務員は公僕だと言われた時代があったらしい。あれでは市民についた公害だ。あの仲間にはなりたくなかった。
 その後は大手の電子集積回路の製造工場に一年いた。臨時社員だった。五交代制で、早朝出たり、深夜に出たり、体調がおかしくなった。最初の一ヶ月は眠れなかった。夜寝られる日も眠れない。昼間寝なければならない日も眠れない。熟睡できずに眠たくても眠られない日が続いた。体はだるく食欲が無くなり体重が十㎏近く落ちた。保険や年金はついていたが、大手だけに社外のことにも厳しかった。仕事を終えて車で帰る途中追突され、車の傷も殆どない、人も何の問題もない程度だったが、警察を呼んで立ち会ってもらったため、交通事故になった。翌日上司には報告したが、その日所長は休みだった。三日経って所長から、報告がないと怒られた。自分は翌日には上司に報告もしているのに、その上司から報告を受けていないのだ。交通事故を起こし報告もない、それが理由で臨時社員の更新をしないと決められ、翌月から仕事をなくした。
 その次は電子集積回路の工作機を販売する会社だった。高校の先輩から声がかかって、知り合いの人が会社を立ち上げるので一緒にやらないかと誘われて入った。大手の電子集積回路工作機を製造する会社の工場のなかに、販売だけの会社を立ち上げる。新会社は製造会社の部屋を間借りして電話を一本引いただけで始めた。製造して販売もしてきたのだか、販売を新会社に経由させることになるから大きな懸念もないはずだった。それが社長の資金管理の拙さから一年も持たずに不渡りを出して、結局もとの製造会社が販売もするようになった。新会社の人間と電話がなくなって元に戻ってしまった。
 その次の仕事は家電品を納品する会社だった。大手の家電量販店から、エアコンや冷蔵庫、テレビなどの家電品などの荷物を受けて個人宅に届け設置する。荷物を受ける家は家電屋さんが届けていると思っているから、設置のさいのクレームは次の仕事に影響する。他の会社に回されると仕事がなくなる危険があるからお客の要求は素直に聞くことにしている。変なお客がいた。納品する前に新品の靴下に履き替えてから来るように。靴下は買って領収書をもらってくれれば代金は支払う。もし靴が汚かったらどうするのだ。困ったお客も中にはいる。テレビだけ買って、衛星放送が映らないから持って帰ってくれ、と言われたことがあった。専用アンテナをつけないと映りません、と説明しても、店ではそんな説明を受けていないと頑固に言い張る。やむなく家電量販店の販売担当者に電話をして説明してもらったこともあった。家に入りきらない大型のテレビを買って設置できないこともあった。結局家電屋担当者に来てもらい、家に入るサイズに交換するため、また家電量販店に持って帰った。エレベーターのない四階の部屋に大型の冷蔵庫を届けたことがあり、梱包したままでは階段を運んで上がれないから、お客さんに降りて来てもらい、梱包を開け裸のままで運び上げた。どんなに重くても納品は二人でだけでしなければならなかった。狭い通路に低い階段の天井が邪魔で、冷蔵庫は斜めに持ってやっと上げられた。そのとき冷蔵庫の下を抱えたため、結局全重量を受けるようになり、腰を痛めた。消炎鎮痛剤と湿布薬をもらい安静にするよう医者に言われ一週間仕事を休んだ。三ヶ月の試用期間が終わる前だった。その後も腰はよくならなかった。休むと収入が途絶えるから無理をして復帰したが、重いものを持つとすぐ痛くなった。結局、健康保険も年金も加入できる正社員になれずにその会社は辞めるしかなかった。辞めた後も、腰が痛んでしばらく休まなければならなかった。
 その後は配線工事会社だ。ここは社長親子に同時期入社の従業員四人、社長の奥さんが経理と事務をやっていた。光工事の下請けの下請けが主な仕事で、電柱から光電線を家の中まで引き込む仕事と、社内の電話線やネット配線を請け負う仕事があった。家に光電線を引き込む仕事は単純で問題はないが、社内の工事は配線図を元に工事を行う。その図面は社長の息子しか持たない。最初の二ヶ月は説明もあって懇切に教えてくれていたが、三ヶ月目になると何の説明もない。自分はわかっているから現場で勝手に仕事を始める。他の社員はどこをどうするのか、説明されないと手の出しようもない。教えてくれ、と言っても全体を教えない。動けないでいると、仕事をせんかと怒鳴る。しかし何をするのかを説明しない。勝手に想像して仕事をするとぶん殴ってくる。得意先の中でのことだ。これを社長に伝え改善を求めるが一向に解決しない。その挙句、俺は情熱を持って仕事をしている。金のために仕事をしているのではない。仕事をすれば金はついてくる。お前たちは金のために仕事をしているからだめだ。自分で何をするか考え仕事をしないと、一人前になれない。仕事を覚えるのに金を欲しがるからだめだ。そんな奴が文句を言う資格があるか?俺の言うことがわからない奴はこの会社にはいらない。明日から来なくてもいい。的が外れた反応をされ、従業員四人は翌日から他の仕事を探した。給料は最初の二ヶ月だけ貰った。三ヶ月度分は請求して争う気力も暇もないから、他の三人ともそのままだ。これ以上あの親子に関わりたくなかった。親子で共謀して三ケ月をめどに辞めさせようとしているのだ。あの会社の親子はろくな死に方をしない。社名はシステムサービスだが、サクシュワークじゃないか。みんなそう言って諦めた。ハローワークから、若年者採用の補助を受けるために採用しているかもしれない。三ヶ月経つと決まって求人が出される。ハローワークからしてもいいお得意先なのだ。求人も定期的に出てくる会社が必ず何社もある。必ず何か問題を孕んでいる。
 引越し屋のアルバイト、運送会社のアルバイト、医療機器製造会社へ派遣も経験した。いまの仕事の前が、お菓子屋で三ヶ月アルバイトだった。こんなことを思い出してもどうしようもないのに、履歴書に職歴を書くだけで大変だ。歳の割には職を重ねている。もううんざりするくらいだ。選ぶほうはすっきりしたほうを選ぶだろうな、ぼくは自分ならそうだろうと思う。この先いよいよ職探しは厳しくなる。そう考えておかないといけない。


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