新六郷物語 第九章 七

 純平は高田に行き、高田屋仁衛門に面談を求めた。しばらくして奥の間に案内された。純平が挨拶すると、
 「しばらくぶりですな、昔、吉弘雅朋様のお屋敷で、家の安東祐蔵を送ってくれ、佐和様を川からお助けになったお方でしたな。その後は佐和様と夫婦となり、いまや六郷に無くてはならないお人になられました。あなたのご活躍は楽しみに伺っていますよ。先だっては修生鬼が巡礼者を助けたお話も聞きました。それに何と言っても巡礼路を整備して六郷の往来を戻したことは大きなことです。これで絆を強め協力しあうことが出来ます。それに、浄峰様はあなたの兄上とお聞きました。浄峰様はたったお一人で六郷の寺を二十四も一度に新築、修復させました。たいしたご兄弟です。安東祐蔵にお会いしたでしょう。彼はもう立派な商人です。博多は全て任せています。あの吉弘雅朋様のお屋敷で、友達を見れば心配ない。私はそう言いました。全くその通りです。あなたも祐蔵もたいした者ですよ。ところで今日はまたどんな御用でしょうか」
 高田屋仁衛門は純平の顔を見るやそう言った。
 「高田屋殿、今日は六郷のためにお力を借りに来ました。実は左衛門督大友宗麟公の命令によって、田原紹忍の手勢が六郷の娘子供を百名浚い、沖の浜の収容所に人質として入れています」
 純平がそう言うと、高田屋は青ざめ悲しい表情をした。
 「はい、存じております。宗麟公がお買い上げになった大砲の大金として南蛮に奴隷として売られる人質と聞いております」
 高田屋は両手を膝において震えていた。
 「さすがは高田屋殿、情報に詳しい。私達はその六郷の罪のない娘子供を救いたい。高田屋殿二日でいい。関船をお貸し頂きたい。陸路から収奪すれば娘子供の足では大きな被害になる恐れがあります。それにいくら敵方と言っても同じ人間、宗麟公に比べると、罪も殆どない者達です。なるべくなら傷つけたくないのです。海路、沖の浜に関船を着け、策を持って人質を船に乗せます。安岐の港からは安岐の漁師船が五艘、安岐の質十五名を迎えに出港し、烏賊釣りの火を下げた関船につけて人質を移します。武蔵、国東、伊美と人質を降ろして行きます。高田には関船を就けます。この収奪には関船がなくては適いません。高田屋殿お願い致します」
 「六坊純平殿、高田屋で役に立つなら関船の一つや二つ自由に使って下され。二日でも三日でも何日でも構いません。船方も選りすぐりの者を出します。六郷の罪のない娘子供を助けてやってください。私は人攫いのお話を聞いて忸怩たる思いでいました。助けてやりたくても出来ない。まさかそれを実際にやろうという人がいようとは思いもしませんでした。是非、助けてやってください。実は六坊純平殿、私の嫁にやった娘の子が、十歳になる孫ですが、浚われています。娘から何とかしてくれと頼まれていますが、私にはそのような力はありません。思いつきもしません。あなたに縋りたい思いです。船の一つや二つなどどうでもなります。人の命には変えられません。小さい命ですが、その子に繋がる親兄弟親戚友達みんなに関わる命です。船のことなどどうでもいいのです。お願いします。六坊純平殿」
 高田屋仁衛門は快諾してくれた。細かい打合せを済ませて純平は高田屋を後にした。高田屋も大友家は長くはないと見ていた。施政者の無能ぶりと混乱が際立っている。これだけお粗末な国もそうはありません。商いも不便で困ります。高田屋はそう話していた。
 次に安岐、武蔵、国東、伊美の調整役に地元漁師との折衝をお願いした。最後に沖ノ浜を含む別府湾の天候であった。調整役に、地元漁師に特によく聞くように依頼したのは天候のことであった。
 連日、情報を収集し策を練っている時に、黒木信助を尋ねて堤基矩がやって来た。堤基矩は、西寒田神社で黒木信助と別れた後、東院の実家によって墓参を済ませ、筑後、筑前、博多から大阪、京都と旅をしてきた。羽柴秀吉の天下に治まりそうな実感を持って戻ってきた。
 六郷の荒廃が気になり回ると、道は整備され復興された寺も見ることができた。ある日、浄峰様の読経と説法を人集の中で聞いた。自分の生きる道を知った。それまでの苦しかったことが、すっきり軽くなった。いきなり浄峰様にお願いしても断られるに違いない。そうだ黒木信助殿を頼ろう、そう思ったのだった。その時よく見渡せば、元同僚の行雲こと一萬田尭影や湧信こと安岐武信がいたはずなのに、人が多すぎて見えなかったのだ。
 浄峰様なら伊美であったし、伊美と言えば、黒木信助殿を思い出し、伊美へ行って黒木信助殿を訪ねて歩いた。そしてここを教えられたのである。まさかここに、浄峰様がおられ、しかも、一萬田尭影に安岐武信も一緒にいる。行雲や湧信が、自分たちはその浄峰様の元にいることを話すと、堤基矩は涙を流して喜んだ。行雲も湧信も元同僚の突然の訪問に驚いたが、苦渋の奉公であったのは知っていたので、出仕を辞めたのは納得した。
 純平は、堤基矩の話を聞いた後、自ら名乗り、浄峰の弟であることを伝えた。堤基矩が関わった沖に浜の収容所に、国東から娘子供が浚われて閉じ込められている。この後、奴隷として四月中旬までには長崎に送られ、南蛮船に積み替えられて、大砲の代金として南蛮に行く。いま、奴隷を救出するため皆で必死の思いで取組んでいる。堤基矩殿にも是非協力をお願いしたい。堤基矩は快諾してくれた。
 純平はこれで作戦が立ったと思い、皆に説明した。皆は納得した。後は天気との関係であった。三月下旬は天気が荒れた。海がしけた。百名の人質救出である。
 陸路、沖の浜へは勢家から行く。そこには関が設けられ警備の軍が駐在していた。それも娘子供だ。陸路を歩かせては追っ手にやられてしまう。それだけではない。府内も朝見も陸路は全て敵方である。それも百名だ。海路を船に載せて行くしか方法はない。救出に向かうみかたも相手が二十名の警護であれば、それに近い数か、力で勝る人で無ければならない。

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