新六郷物語 第九章 八

 三月二十八日、沖の浜を一人の武家が訪ね、収容所を警備する稙田権蔵にあった。左衛門督大友宗麟公からの命令である。明日夜、沖の浜に就く関船に、収容している人質を皆乗せ送り出すこと。その後、速やかに収容所を離れること。以上である。これまでの監視ご苦労であった。宗麟公の使いは命令を伝えるや沖の浜を後にした。稙田権蔵は突然の命令で驚いたが、退屈な役割を明日で終えられる喜びを感じた。稙田権蔵は大友義統の命令で収容所の警備に就いているはずであったが、臼杵の左衛門督大友宗麟公の命令を突然受けても不思議に思わなかった。よく起きることであった。命令を伝達したのは堤基矩、宗麟公の元近習であった。風格も物言いも現役のままである。
 翌日、日が落ち暗くなって、沖の浜に一艘の関船が着いた。関船から降りた役人風の男、安岐武信と黒木信助は収容所に出向き、人質を船に乗せるように言った。安岐武信は役人そのものであったし、黒木信助は日焼けして、いかにも現場の雑事をこなす仕事に関わっている風貌であった。昨日、稙田権蔵は左衛門督大友宗麟公の近習から聞いていたので、早速、人質を牢から出し、船に乗せた。こんな娘や子供をどうするつもりか。稙田権蔵はそう思っていた。船では、船に乗り込む時、郷と名前を聞いた。浚われた全員が揃ったことを確認した。役人風の黒木信助は、稙田権蔵に礼をいい、沖の浜の収容所から去るようにお願いした。稙田権蔵はもとよりそのつもりである。部下を引き連れ沖の浜を出た。
 しばらくして関船から六名の修生鬼が出て来て松明に火を灯し、収容所に火をかけた。再び人攫いをしてここに押し込められないようにしなければいけない。収容所の隅々から火の手が上る。
 それを勢家の詰め所で見ていた大友義統の配下近藤武部が、ちょうど通り過ぎようとした稙田権蔵に詰め寄った。
 「稙田殿なぜ持場を離れる。あの火の手を見られよ。これはいかがなことか」
 「近藤殿、私は臼杵の左衛門督大友宗麟公から、今夜来る関舟に人質を乗せ、速やかに沖の浜の収容所を離れるようにと指示を受けたまで。なぜ火の手が上ったのかはわかりません」
 「それは異なことではないか。そなたが出てすぐ火の手が上るとは。そなたに命じたのは間違いなく宗麟公のご近習だったでしょうな」
 「いかにも間違いございません」
 「しかしながら、火があがるまでは命じておらぬはず。私は手勢を率いて駆けつけますぞ。稙田殿はいかがなさる」
 「さよう、火があがるまでは聞いておりません。私も戻りましょう」
 稙田権蔵の手勢二十名と近藤武部の手勢三十名が、沖の浜の収容所に駆けつけた。そこには修生鬼の姿をした者が松明に火をつけ、収容所を燃やしてしまおうと至る所に火をつけて廻っていた。
 「出会え、曲者じゃ、討ってしまえ」
 近藤武部が叫んだ。
 鬼の首領は、
 「宗麟公の思し召しじゃ。南蛮に領国民を奴隷として売り飛ばそうとする悪たくみを阻止せよ。その元凶の収容所を焼き討ちにするのじゃ。宗麟公の思し召しじゃ。自国領民を帰すのじゃ。南蛮に奴隷として売ることは罷りならん。宗麟公が許さん」
 純平はそう叫びながら火をつけて行った。不思議な物言いを聞く思いでいたが、近藤武部は、
 「騙されてはいかん。曲者じゃ討ち取れ。関船の出帆を止めるのじゃ」
 と配下の者に命じた。
 純平は、
 「やむを得ません。無駄な殺生はなるべく控えましょう」
 そう言って、松明を収容所の屋敷に投げ込み、枇杷の木の棒を手に取った。」
 それに続いた衆生鬼が五名。刀を抜いて立ち向かう。皆、剣の達人であった。九州随一と言われた高橋玄吾、いまは玄信。同じく一満田尭影いまや行雲。大友家屈指の使い手安岐武信。風神剣雷神剣の弟子広瀬豊治。風神剣、影平隆村。雷神剣、六坊純平である。一人が十名位相手にするくらい何とも無い。近藤武部や稙田権蔵の手下が束になってかかろうが適うはずがない。立ち向かえば忽ち刀を飛ばされ足を叩かれ転がされる。あるいは手を叩かれ剣も持てない。またある者は腕を剣ごと落とされてしまう。近藤武部が力を振り絞って首領と見える鬼に立ち向かう。三人同時に相手にしていた鬼は、棒を低く振り回して三人の膝を砕くや、あっという間に近藤武部の正面を向く。と思った瞬間延びきった棒の先端にあごを突き上げられ、近藤武部は後方に飛ばされ延びてしまった。雷に打たれたそのものであった。鬼は一人が十名をあっと言う間に倒していた。最も凄まじかったのは風神剣であった。敵は鬼がいつの間にか走り去って行った、と思った時には、もう刀を飛ばされ肩か足か腰を叩かれ転がされていた。隙間風が過ぎて行く僅かな時間であった。子供たちが船の上から手を叩いて喜んでいた。手向かわずに無傷で残った者は、収容所が全焼するのを見て、鬼が関船に乗って出帆するのを見るしかなかった。まさに鬼であった。適う相手ではなかった。関船は猟師の予想した通り強い南風に乗って別府湾を走る。
 暗い海の上に有明月が見え隠れしていた。漁師の言う通り、この時期は南風が強い。関船は荒れる海を一気に走り別府湾を北上する。
 鬼は船に戻ると鬼面をはずす。鬼に似合わず優しい顔に戻った。伊美の奴隷の中にいた藤本綾が、
 「ああ、純平様、ああ、隆村様も、ありがとうございました」
 そう言って側に来て泣いた。二人の伯父は綾を抱きしめてやった。よくがんばった。よくがんばった。そう声をかけてやった。
 安岐の港に近づくと、大きい関船に小さい烏賊釣り用の灯りを左舷に並べて下げる。そのまま船を走らす。やがて漁師船が五艘関船に近づいてくる。安岐の剣の修業をしている若者五名に調整役田北嘉門が乗っている。
 「元役、予定通りでございますな」
 「田北殿、皆連れて帰って来ました。安岐の十五名も無事でございます。後はよろしくお願い致します」
 純平はそう言って、安岐の娘子供十五名を三名ずつ五艘の漁師船に移動させた。安岐の湊には娘子供の家族が首を長くして待っていた。漁師船が港に近づくと、子供の名前を呼ぶ親、母を呼ぶ子の叫び声が聞こえて来る。港には郷の絆衆が多数応援に駆けつけているはずだった。
 「おっかあ、鬼が来て助けてくれたよう。六郷の修生鬼が六人来て助けてくれたよう。安岐の鬼もいたよう」
 湊の叫び声、泣き声が関船まで聞こえてくる。関船は武蔵の湊にも同様に人質の娘子供を降ろし、国東の湊にも同様に人質の娘子供を降ろして行く。伊美の湊も同様だ。待ちくたびれた親が泣き叫びながら子の名前を呼ぶ。安岐、武蔵、国東とそれを見てきた人質の子の方がしっかりして、
 「みんな無事だよ、修生鬼が助けてくれたよ。千燈寺の鬼が来てくれたよ」
 関船から叫んでいる。漁師船に乗って行く時は、関船に向かって手を合わせている。港では再会を喜び泣き出す光景が見られた。
 関船は高田の港に入る。田染、来縄の親達が揃って迎えに出ていた。人質の子を、名前を確認しながら親に渡して行く。最後の子が親元に渡って、沖の浜収奪作戦は終了した。高田屋仁衛門がいた。孫をしっかり抱きしめていた。
 「爺、鬼が来てね、助けてくれたよ。修生鬼だよ。怖くなかったよ。鬼は強かったよ。敵をね、一人の鬼が十人以上、あっという間にやっつけて行ったよ。それも殺さないんだよ。優しい鬼だよ」
 高田屋はいつまでも孫を離さない。
 「爺、もう苦しいよ。離してよ。もう大丈夫だから」
 高田屋は孫を離して、涙顔が笑顔になった。
 純平は高田屋に船を貸してくれた礼を述べた。
 高田屋は孫を救ってくれた礼を述べた。
 調整役の田村信衛と小野正行は元役の労を労ってくれた。
 「おけがはありませんでしたか」
 田村兵衛が純平に言った。
 「田村殿、小野殿、今日の助っ人の鬼は、九州きっての剣の達人ばかり、私もこれだけ安心して立ち向かえると楽しくて仕方ありませんでした」
 純平はそう言った。関船から降りて来た、玄信、行雲、安岐武信、影平隆村、広瀬豊治、黒木信助に礼を言った。人質の子は、高田屋で握り飯を振舞われた後、親と郷の絆衆に守られて家に向かった。多少距離はあっても、もう先は見えている。純平達は高田屋仁衛門に誘われて高田屋に寄った。高田屋には、人質の子や、郷の若者に振舞うために食べ物が用意してあった。そこには佐和と有里、影平園、是永柚も手伝いに来ていた。用意された握り飯や魚、酒をいただく。もう夜は明けていたが、鬼は不思議に疲れも感じていなかった。奴隷から六郷の民を守った安堵が大きかった。すっかり明るくなり、普通の姿になって高田屋を後にした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?