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豊穣の国

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人生の曲折 転んだ先をどう生きるか 老後の迎え方をどうするか
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#子供

豊穣の国 四

 志野に一本の電話が入ったのは七月になって直ぐ、息子顕の嫁茉里からだった。  顕が写真を撮りに長良川奥の渓流に行き、雨に濡れた岩で滑落した。頭部から全身打撲で重体だと言う。志野は名古屋に向かった。 私は志野がいない間、志野のことを案じていた。絵は遅々として進まなかった。  志野が豊饒の国に戻って来たのはそれから一週間後のことだった。牧村が、欅の広場にあるベンチに腰掛け、画板を広げていたら志野がやって来た。志野は隣に腰掛けた。牧村は息子さんの具合はどうか尋ねた。志野は悲しい話を

豊穣の国 三

 牧村は花の絵ばかりを描いていたので、何枚か出品するため、毎日出かけては花と画板を眺めていた。単なる趣味の領域だが、ただ花を見るのと、絵を描こうと思って見るのでは違って来る。最初に花を見た時、華やかさ色の鮮度が一度に目に飛びこんで来て美しいと感じる。絵を描こうと思って再び見つめる時、なぜ耀いて見えるのか、色の鮮度はどう違うのか、と原因を分析して、全体ではなくて部分を凝視してしまう。だから絵はいつまで経っても花全体のまとまりがなく美しさの表現が乏しくなってしまうのだ。花の姿はあ