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佐伯に戻って城下町を車で案内し駅に車を戻して、電車に乗った。夕方日が落ちる頃、日向市の駅に着く。歩いて十分ほどのホテルにチェックインし風呂で汗を流した。ホテル一階で食事をして外にでる。もう金の音が聞こえていた。金の鳴る方に進む。ひょっとこ面を被り、赤い浴衣に白い褌、白足袋姿の男衆。女はおかめの面を被り浴衣に白足袋姿。白い法被に赤い褌だけという一団もある。面はつけず素顔のままの集団もいる。それぞれ思い思いのいでたちで集団を組んでいる。この集団が順次繰出して行くのだ。 ひょっ
翌日牧村と志野は、豊饒の国に旅行の届出をして旅に出た。タクシーで別府に行き、地獄めぐりをした。竜巻地獄では間欠泉に感動した。血の池地獄は怖いが美しい。白池地獄では、血の池地獄のすぐ近くでこんなに違う青白い池があるなんて信じられなかった。鬼山地獄はワニが嫌いだから直ぐ出て、かまど地獄では湯の色の変化に驚き、山地獄はここが本当の地獄みたいだ。坊主地獄では時間が過ぎるのも忘れて泥の渦に見とれた。海地獄では温泉卵を食べてお茶を飲んだ。志野は無邪気に喜んだ。蓮の大葉に乗る子供を見て、
電話が鳴った。でると志野だった。 「もしかしてお帰りになっているかなと、思って電話しました。志野です。先程お話した久住の件で、今本を出して見ていました。ご相談にあがりたいと思いまして、ご都合は?私が伺ってもいいですし、こちらにお越しいただいてもいいのですが」 「そうですか、早いですね。私も今日はなんとなく絵が進まなくて、さっき帰って来たばかりです。本でお調べになっているなら私が伺いましょう。私も潮騒館に行く用もありましたから、後でうかがいます」 「すみません。お願いし
七月も終わりに近い日に、北の井の部屋を出て、東丹から東山に向け、楡の森を左手に見ながら私は散歩していた。東丹に近い楡の森の七前にある陶芸工場の軒先から、中で志野が一人轆轤を回しているのが見えた。牧村は志野が陶芸をしているのは聞いていたが、実際にやっているのは初めて見たので、つい興味がわいて中に入っていった。志野は茶碗らしき物を作っていた。 「お邪魔して、見させてもらっていいですか?」 そう聞くと、 「いつもあなたの描いているのを勝手に見ていて、自分がやっている時はだめ
志野に一本の電話が入ったのは七月になって直ぐ、息子顕の嫁茉里からだった。 顕が写真を撮りに長良川奥の渓流に行き、雨に濡れた岩で滑落した。頭部から全身打撲で重体だと言う。志野は名古屋に向かった。 私は志野がいない間、志野のことを案じていた。絵は遅々として進まなかった。 志野が豊饒の国に戻って来たのはそれから一週間後のことだった。牧村が、欅の広場にあるベンチに腰掛け、画板を広げていたら志野がやって来た。志野は隣に腰掛けた。牧村は息子さんの具合はどうか尋ねた。志野は悲しい話を
牧村は花の絵ばかりを描いていたので、何枚か出品するため、毎日出かけては花と画板を眺めていた。単なる趣味の領域だが、ただ花を見るのと、絵を描こうと思って見るのでは違って来る。最初に花を見た時、華やかさ色の鮮度が一度に目に飛びこんで来て美しいと感じる。絵を描こうと思って再び見つめる時、なぜ耀いて見えるのか、色の鮮度はどう違うのか、と原因を分析して、全体ではなくて部分を凝視してしまう。だから絵はいつまで経っても花全体のまとまりがなく美しさの表現が乏しくなってしまうのだ。花の姿はあ
この国ではいろんな部屋も家もある。志野は普通のマンションを借りた。部屋自体が高齢者のために機能的で便利に出来ている。まだ介護を受けるほど弱くはないが、ここならいつでも介護が受けられる。 三万坪ある豊饒の国全体が人に優しい。広く海に面した平原の国の中に、ブナ、欅、楡と名のついた森の公園が有り、それぞれをかすめながら小さな川が流れて希の池に注いでいる。豊饒の国の中心には、病院や機能訓練施設や入浴設備を揃えた建物が集中し、ケアセンターはどの住宅にも最短距離で行けるように国の真中
東から日が昇る。水平線の向うから海と空を黄金色に輝かせ、大地を照らして昇っていく。毎日、日は昇る。その当り前の真実を体感する喜びに魅せられ、牧村は毎朝の散策が日課になっていた。部屋を出て長く緩やかな屋外階段をゆっくりと降りる。松林のあたりもまだ何も見えない。冷たくて清々しい空気を吸い込む。土と潮の臭いがする中、緩衝材でできた遊歩道をゆっくりと歩く。歩道には手すりのある柵がある。蛍光塗料が塗ってあり、少し暗い内に出て来ても困ることはない。楡の広場を過ぎブナの森を通る。森の木々