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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】青森県五所川原市の「謎の小学生教祖」

 人里離れた山道を進んで行くと、噂に聞いていた「神社」が現れた。鳥居の周りは雑草で覆われ、その奥には、如来の描かれた石碑が立ち並んでいる。そこから境内へと続いている参道の向こう側は、昼間だというのに薄暗い…。

うっそうとした森の中に神社はあった


 鳥居の手前には、使われなくなってから長年経っていると思われる物置小屋のようなものが残されていた。その傍らで拾った木の棒を使って蜘蛛の巣を払い除けながら進んで行くと、立ち現れたのは、拝殿のようなものだった。すでに廃墟状態になっているこの建物の中にあったのは、ボロボロになった和太鼓やロウソク立てなどだ。何とも言えない不気味さを感じる。奥へと続いている道を歩いて行くと、祠のようなものを発見した。

 「こ、この少年が噂になっていた小学生教祖なのか!?」

少年教祖を祀った神棚のようなもの

 今からもう20年以上も前のことになる。青森県五所川原市の某所に『小学生教祖のいる「神社」』があった。神○神社。地元の人たちの話によると、どこにでもある一般的な神社とは異なり、「新興宗教系の神社」だったという…。

神社の入り口
中は荒廃し廃墟のようになっていた

 「あの神社、そもそもは観音さまが神さまだったんだけど、まだ小学生の子どもさ霊感があって、エジプトの古代文字を書いたりして、占いのようなものをするようになってから激変したんだよ。『ここの神さまの話を聞くと悩みが解決する、解決する』っていう話が広まってな、信者がどんどん増えていったんだ。それまでは、親が中心になってやってたけども、その子が”教祖”になってから大化けしちまったんだな。(始めた頃は、)小学校2年生くらいだったべかな? 4年生くれえまでやってたと思うね。ごく普通の小学生だったがな。最初は、普通の民家でやってたけど、大勢の信者を集めるようになって、繁盛して繁盛してな(笑)。噂が広まると大阪や神戸なんかからも人が来るようになった。地元の県会議員も一生懸命になって応援してたな。いいクルマも買ってたよ。でも、親がそのカネを女につぎ込んで信用なくしてな。無農薬野菜の販売もやったりしてたけども、最後には、家庭も何も崩壊してメチャクチャになったんだべな。カネというものは、人を狂わせるもんだな…。あの家族はどこさ行ってしまったかもう分からないねぇ。子どもも今は、ハタチを過ぎて成人しているはずだが」

 こう語るのは、五所川原市内にある某地蔵尊で出会った50代の男性だ。この男性は、一時期、神○神社の代表のような立場にあったという。しかし、雲行きが怪しくなってきたことを感じると通うことをやめた。

白装束のようなものを着た教祖

 神○神社近くで農作業をしていた40代の男性にも話を聞いた。
 「小学生教祖だべ、よく覚えてる。あの頃はスゴかったなぁ。祭りなんかも良くやってて、まんず賑わってた。屋台なんかも出てな。あそこさ行ってきたのか。小学生の写真があった? んだんだ。白装束姿でその容姿なら、あの子に間違いねぇ!」

 青森県と言えば、誰もが思い浮かべるのがイタコの存在だろう。この地には、実に多くの信仰が存在する。もちろんのことだが、しごくまっとうな民間信仰もある。

 「小学生教祖」が現れてから大勢の信者を集めたという神○神社。今も五所川原市で暮らしている年配の人たちにとっては、記憶の片隅に残されている”異端“なのだ。

今は成人したであろうこの少年教祖。現在の行方は全くわからない


写真・文◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

https://twitter.com/toru_sakai