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「このビジネスを知れた私はなんて幸せなんだろう」…マルチに沼って人生詰んだ〜完璧にキマった妻の洗脳〜【前編】

魅力的な謳い文句で会員を勧誘し、その会員が新たな会員を集めてーーマルチ商法に巻き込まれ、家庭や人間関係が崩壊するといった事例は後を絶ちません。いったいどのような手口で、どのように取り込まれていくのか。妻がマルチにハマって家庭崩壊するまでの一部始終。

「お話しすることは問題ありませんが、現在妻と子どもの監護権裁判と離婚調停を行っている最中です。私一人で子どもを見ているためあまり時間が取れません。このDMで内容をお伝えします」

 マルチ商法のインタビューをしたい、と翔太さん(仮名)に連絡を取ったのは2月下旬だった。2か月にわたっての質問送付と4月末に行われたLINE通話を基に、彼が失ったものについての記録を書き連ねようと思う。

2人の子どもとマイホームと

 2011年、翔太さんと妻の明美さん(仮名)は友人の紹介で出会った。
 交際期間は2年。
 ある日、翔太さんがデートで待ち合わせ場所として指定されたところに行くと、結婚式場の見学会だった。
 同い年の二人は27歳になっていた。
 明美さんには30歳までに結婚して子どもがほしい、という密かな、でもありきたりな人生設計があった。
 彼女は自らの意のまま、結婚し、3年後の30歳の年に女の子を出産した。
 さらに2年後に男の子を出産。
 長女が3歳から幼稚園に入園することをきっかけにマイホームを購入。
 絵に描いたような平凡で幸せな家庭だった。

「私たちは周りと比べても仲のいい方だったと思います。よく話もしていたし、スキンシップもとっていました。2年前、妻が職場の人間関係で精神を病み始めてから平凡な歯車が狂っていったのですが」

崩れ落ちてゆく平穏

 2年前。
 明美さんは幼稚園の教諭をしており、職場のお局先生が担当している問題の多いクラスについて、
「私ならもっと上手くやれるのに」
「あの人、なんでこんなふうにしかやらないんだろう? ほんと仕事できないよね」
「今日もお局がやらかしたっぽいんだけど、普通こうするよね? ありえなくない?」
 など、“自分が受け持った方がクラス運営が上手くいく”と信じて止まないような発言をよくするようになった。

 彼女は、幼稚園の教諭になる前は保育士だった。
 幼稚園は文部科学省の管轄で教員免許が必要、保育園は厚生労働省の管轄であり保育士資格が必要である。管轄の異なる“保育園と幼稚園の両方の経験”には絶対的な自信があった。
 彼女は“幼稚園の経験しかないからあなたはダメ”とお局を見下し、ついにはクラスの担当替えの際にお局から問題の多いクラスを奪うことになった。

「自分がやった方が上手くいく、という自信を職場でもちらつかせていたんでしょう。妻はそこからお局に目を付けられ始めました。結果的にクラス運営が本当に上手くいったなら良かったものの、妻が担任となっても上手くいくことはなく、お局からは小言や嫌味を言われ、本人も自信を失ったのか、精神を病んでいきました」

 問題の多いクラスの担任となり1、2か月で体調に変化が現れた。
 食欲が無くなり、元々細身だった体からは更に6キロほど落ちた。
 夜も眠れなくなり、仕事から帰宅後の家事育児もできない。土日は朝起きられず昼に起きる。
 友人宅で遊んでいても他人の家のソファで寝てしまうし、義理の実家でご飯を食べている最中にも寝落ちした。

 その間翔太さんは明美さんの分まで家事育児をこなした。
 掃除、洗濯、食事作り、保育園の送り迎えや身支度、お風呂、寝かしつけ。
 幼い子ども2人を抱えたシングルファザーのような仕事ぶりだった。

「平日もとにかくバタバタで、生活するのに精一杯でした。土日くらいゆっくりしたいところでしたが、子どもたちは親と遊べる休日をとても楽しみにしていて、早朝に起こされるのは私で、鉛のように重い体をなんとか奮起して起き、朝食の用意をし、食べさせ、着替えさせ、公園や友達の家に出かけていました。昼頃戻ってくると、妻はまだ寝ているか、起きていてもお昼の準備もないような状態でした。そんな状態が2、3か月続いた頃、妻は親友にH社を紹介されました」

「あのね、働き方を変えたら幸せになれるんだよ」

 H社。
 便宜上、マルチ商法のビジネスを行う会社をこう呼ぶことにする。
 明美さんの親友は、心身共にぼろぼろの明美さんに、
「私、働き方を変えたら幸せになったの。興味あるなら一緒にやらない?」
 と言った。
 明美さんと同じ、子どもに関連した現場で働いており、今は赤ちゃんと一緒にできるヨガのインストラクターとして事業をしているという。

「毎日辛い職場に通わなくていい」
「自分の好きな時間に好きな仕事ができる」
「場所に捉われず、どこでも仕事ができる」
 会員になれば、同じ志を持った仲間とそんなふうに仕事ができるための方法を学ぶことができる、つながることのできる場所だという。

「うすら寒さを覚えてH社の名前を検索するとやっぱりマルチ商法との噂が絶えない会社でした。しかし、今まで生気を失っていた妻に熱い血が巡り目を輝かせ始めたことが手に取るようにわかり、この時点では何も言えませんでした。今となっては私の最大の過ちです。それ以降、平日は朝と夜。土日もZoomを繋ぐ毎日になりました」

 これはマルチ商法なのか。
 マルチ商法の多くは、“魅力的な商品”を売って会員を増やそうとするところから始まる。
 この場合は自らの仕事について言及、独立希望の仲間を募っているにすぎないように見えるが、これがH社のやり方であった。
 現状自らの仕事に不満や不安を感じている人に、独立の希望を引き出し、夢を持って毎日を生きてもらう。
 ただし、“仲間と繋がり続けるためには商品を買ってね”ということだった。

 こんなふうに、商品を購入してもらうという本来の目的を告げずに会員になるよう誘導することを“ブラインド勧誘”という。
 この行為は法律で禁止されているが、マルチ商法に限らず常套手段としているところは多い。

「土日はセミナーを行っているようなのですが、そこでは『会社員でいる事がダメ。もっと自らの夢のために自分の歩きたい道を謳歌しなくちゃいけない』と洗脳をされるようになり、いとも簡単に仕事を辞めて個人事業主になると言い出しました。妻はZoom会議の度に『夢を実現しよう!』『やりたい事を仕事にしよう』などと話し、ついには『保育士や幼稚園の先生のメンタルサポーターになる』と豪語し始めました。子どもに関わる仕事をしている人のメンタルケアを仕事として始めると言い出したんです」

私はもっと輝ける

 インスタグラムをはじめとしたSNSに「私らしい働き方」という夢のある広告や、インフルエンサーが増え始めたのは、リモートワークが日の目を見たコロナ禍以降だったか。
 コロナは我々の生き方を変えたが、それまでの「働き方改革」というのが土台としてあった気がしてならない。
「残業を減らせ」
「ワークライフバランスを見直せ」
「賃金あげろ」
 それらのメッセージは「仕事に殺されるな」という雇用されている人を守る主張として浸透していた。
 それ自体に守られた人は多くいると思う。
 と同時に「私らしい働き方」との親和性があまりにも高かったように思えてならいのだ。

 これらの風潮は、「残業はせず、会社の仕事はそこそこにやるべき」というそれ以上もそれ以下もない考え方だったのが、いつしか曲解が進み、
「仕事は一生懸命やらなくていい」
「仕事よりもっとやるべきことがあるはずだ」
「会社にいる時間は自分を殺す時間で、自己実現などは到底望めない」
 という価値観に変わっていったようにも思う。

 SNSで常に輝かしく見える人が可視化される時代、輝かしいサラリーマンなどは存在しないように思えた。
「会社に決められた目標に向かって働くのではなく、私は私の人生の目標に向かって働きたい」 と、思い立つのは珍しいことではないだろう。
 メディア、転職サイト、人気職種につくためのレッスン、銀行融資、保険……一見関係がないように見える業種の広告までも「夢を叶えること」を強要してくる。
 あまりに自然に目に入りすぎて、誰もが選択権は自分にあり、「私らしい働き方」を選べるような気持ちになってくる。
 明美さんも例外ではなかったか。

妻がどんどん変わっていく

 話を戻そう。
 翔太さんは融資にまつわる仕事柄、明美さんに「どのような事業計画か」と尋ねても事業計画は全くなく、主張は「悩んでいる人のメンタルケアをする」の一点張りであった。
 事業内容は、インスタグラムで保育・育児に興味のある人にメッセージを送り、悩みを聞き、「同じ夢を持って夢に向かって邁進しよう」と働きかけることをただひたすらに繰り返す、ということのようだった。

 毎日パソコン画面にキャッキャッする異常な風景を横目に、どこかで“目を覚ましてくれるのでは“という期待を捨て去ることも出来ないまま、妻の動向を注意深く確認するようになった。

「私から見たH社は夢という言葉を巧みに使い、脱サラを促し個人事業主にさせることを隠れ蓑に水素商品を売っていて、妻は毎月1万6千円買っていました。妻のケースだと、水素商品には大して興味はなく、個人事業に夢を抱いていたので、『1万6千円なんて、経営指導代と思えば安いよ』と語っていたのを覚えています。事業計画もないなんてどんな指導だよと思いましたが、結局は指導ではなく、経営者精神論を聞いて熱く燃え上がっているだけなのでしょうね。否定するのは逆効果だと思っていたので、それとなく気が付くように話をしていたのですが、全くダメでした」

 一度ハマり出した彼女が言動ともに全てが変化するのは早かった。
 H社の後ろ盾により肥大化した自信は、彼女の働く幼稚園の経営に口を出すことから始まり、心配する友人を切った。

「『副業禁止なんて時代遅れ、規約を変えろ』『賃金あげろ』と上下関係や末端社員の立場を無視して勤め先に訴え始めました。妻から職場の愚痴として聞いていた私からすると、不満に思うことの交渉や訴えは時に必要ですが、会社員を見下す態度、職場が全くイケてないという不満が全面に出過ぎていて、ただのいきり野郎でしかなかったかと。挙句の果てにやはり副業が認められないから、とパートに切り替え出したりして、本当に迷惑をかけたのではないかと思っています。

 あと、家族ぐるみで交流のあった友人に相談していたところ、妻にマルチをやめるように話をしてくれることになったのでお願いすると、『私の活動を否定するあんな人たち、友達じゃない』と言い始め、いくらなんでも……と話をしても『これは私が変わるためには必要な犠牲で、H社の魅力がわからないのは本当に残念な人』と言い出す始末で、来るところまで来てしまった、と愕然としました」

「このビジネスを知れた私はなんて幸せなんだろう」
「H社はリスクがないことが何よりの魅力。素晴らしすぎる事業だ」
「H社は会社の人事部と一緒。自分が一緒に仕事をしたい人だけをリクルートすればいいんだよ」
 と彼女は現実世界でもZoomの画面でも繰り返す。
 自分はある一部の人間しか辿り着けない、儲け話を知ってしまった。しかも、それは特別な事をしていて優秀な人材を集める仕事であり、仲間たちとは切磋琢磨して高め合っている。
 そんな感覚を持っていた、と言う。

「夢を叶えるために家を出ていくわ」

 そんな矢先、明美さんは「H社の活動一本でやってくから幼稚園の仕事やめる」と言い始めた。
 H社の方をやめるべき、と言わなければならかったが、友人と縁を切ったエピソードからも、翔太さんは伝え方に慎重になっていた。「活動をやめてほしい」と言えば、逆ギレなどして話にならないことも様々なネット記事で確証を得ていた。

① 否定はせず、まずは話を聞く姿勢を持ちましょう
② 盲目的な相手に気付かせるような質問をしてみましょう
③ なぜ辞めてほしいかを考え、自分の言葉で伝えましょう

 ①と②はこれまで痛いほど繰り返してきた。

「これから水素は社会にとってとても重要であるからH社は国をあげて応援されている企業であり、だからこれから上場もしてどんどん大きくなる」
「しかし、多くの人に知られると需要過多になってしまうため、今は紹介制で知る人ぞ知る企業なだけである」
「今知ることが出来ている人はとても運がよかった」
「これから莫大な儲けがくるから、それまで関わっていれば大きな恩恵を受けることができる」

 妻がそんな話をすればこんな質問をした。
「一民間会社が国をあげて応援されてるってどういう意味? 普通そんなことないと思うんだけど」
「H社は国策なんだよ!」
「H社はNTTや日本郵政の前身組織みたいなこと?」
「うーん、よくわからない。聞いてみるね!」
「確かに水素水や水素エンジン車の需要はあるかもしれない、だけど車作ってないよね? 水素水も作ってないよね?」
「うーん、でもサプリがこれから来るんだって! サプリ大手になるのかも」
 といった調子だ。

 ③の辞めてほしいと伝えることに踏み込むしかなかった。

「親友に勧誘されてから僅か半年で完璧に洗脳がキマってしまっていました。仕事をやめると言い出したので意を決して、辞めてほしいと伝えたら、『夢を叶えるために家を出ていくわ』と言われ、さらに1週間後返ってきた返答は『離婚しよう』でした」

【後編に続く】

<著者プロフィール>
岡庭捺美(おかにわ・なつみ)
会社員兼ライター、30代ワーママ。専門は介護、社会保障などなど、インタビューが得意。最近はマルチ商法の実情などを取材・執筆している。
stand.fm「人のフリ見て我がフリ直せ」パーソナリティ。

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