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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第6回】

令和元年4月25日、ひとりのカリスマの死んだ。ミュージシャンのみならず多くの著名人に影響を与えた男、遠藤ミチロウだ。パンクバンド『ザ・スターリン』のヴォーカルとして数々の伝説を残し、また“生きた伝説”にもなっていた男の原点に、地引雄一氏が迫る——

1981年の遠藤ミチロウ

松本の宿舎にて(1981年5月)


最もキレてた時代


「僕がミチロウと親しくなったのはバンドが解散してからなんだよね」
 地引氏が初めてミチロウと出会ったのは、『ザ・スターリン』が結成された1980年。交流のある『リザード』のモモヨが営んでいた田端のレコード屋に遊びにいったときだった。
「夜遅くに突然ミチロウが店に来て、『ソノシートを作ったからリザードがツアーに行く時に売ってきてくれないか』って。それまでなんの面識もないのにいきなり図々しいなって思った(笑)」
 その日が初対面ではあったが、以前『ゼルダ』の小島さちほから「面白いバンドがいる! 地引君もライブ観たら絶対好きになるよ!」と聞かされていたのが『ザ・スターリン』だったため、その存在は知っていたという。
「初めてミチロウを見て思ったのは、日本にこんないわゆるロンドンパンクというか、シドヴィシャスに感じてたような剥き出しの荒々しいオーラを身にまとった奴が今シーンに出てきてるんだなって思った」
 この出会いを機に『ザ・スターリン』のライブを観るようなった地引氏。だが、数々の伝説を築いた数年間のバンド活動のうち、最もミチロウの本質的な姿を垣間見れたのは1981年の時代だったという。

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