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「死なばもろとも」士ノ流人【ナックルズ文芸賞 受賞作品】

第1回(令和5年)ナックルズ文芸賞
『ナックルズ優秀賞』受賞作品

「死なばもろとも」
士ノ流人(しの・りゅうと)


 谷口基雄のブログ 大阪府大阪市〇〇〇区△△1丁目2―34


2021/12/17(金)12:00

 
 これが公開される頃、わしはもうこの世界からおさらばしとるやろう。もし生きとったとしても意思疏通もできん植物人間になっとるはずや。よほどのヘマせん限り今回の事件が失敗するんは考えられへんからな。わしが死んだあと警察とか専門家からええ加減な分析されんのは癪や。せやからこの手記を遺しとくことにした。学のない元職人が書くもんやから不出来な文章なんは承知しとるけど、せやからこそ生の声として伝わってくるもんがあるはずや、野口英世のおかんの手紙みたいにな。事件のあと予約投稿されるよう設定したさかい事件前にバレる心配はない。

 思えばわしの人生は前の事件を起こした時点で終わったようなもんやった。別れた嫁と子供道連れにして死ぬつもりやったんやからな。せやけど息子に逃げられて未遂に終わってしもうてブタ箱にぶち込まれる羽目んなった。それも懲役四年っちゅう、なんとも中途半端な刑期や。はじめてのムショは不安やったけど、実際は思ってたほど悪いところでもなかった。世間ではクサイ飯言われとるけど味は悪なかったし、量もわしには十分なくらいで、正直シャバで一人暮らししてた頃よりちゃんとしたメシやった。それに刑務作業しとったら時間経つんも早よぉ感じるから四年なんかあっちゅう間やった。報奨金っちゅう刑務作業の給料はアホみたいに少なかったけど、シャバみたいに仕事にあぶれる心配がなかったんは今思うとありがたかったわ。

 冷静に考えたらムショ暮らしも楽なもんや。何もせんでも時間になったらメシが出てくるし、医療費もタダやし、施設も頑丈で地震で死ぬ心配もない。ホームレスとかプライドなくしたもんにとったら快適やと言える。ムショが老人ホーム化すんのも頷けるっちゅう話やわ。そんな衣食住に困らん暮らししとったら心身も安定してくる。せやからわしもやり直す気になって仮釈貰うてシャバに戻ってきた。けど出てからがっかりしたわ。こっちが更生する気でおっても、世間は「前科者」っちゅうだけで全否定やからな。まぁわしもアホやったけどな。ムショみたいな犯罪者が寄せ集まって暮らす差別のない甘い環境におったからムダな希望なんか抱いてしもたんや。年寄りほど再犯率が高なる言うけど、わしも出所時には五十五歳で再就職は厳しかった。前科もんの時点で年齢以前の話やけどな。昔やったら事件起こしても新聞に実名顔写真が残るだけで済んだけど、今はスマホで名前検索したら一発で過去がバレてまう。面接で感触良かったとこも、あとんなって断りの電話がかかってきた。なんであかんかったんか、そんなん聞かんでも向こうの声の調子で察しついた。そんなふうに不採用が続くもんやから、いっちゃん長く働いとった旋盤工場でまた働かして貰えんか頼みに行こか考えたこともある。けどそこも離婚前でごたごたしとった頃に無断欠勤繰り返して迷惑かけたし、前の事件のことも知ってるやろうから戻るに戻れんかった。何を言うても自業自得やし、わしみたいな凶悪事件の前科もんはしゃあないかもしれん。けど今の世の中は犯罪にならんようなことでも炎上して大騒ぎしとる。一度でも失敗したもんにはチャンスを与えん、それが日本の現状みたいやな。ほんま世知辛い世の中になったもんやわ。何かあったらすぐパワハラやセクハラや騒いで、規制規制でテレビもしょうもななって、分煙禁煙で喫煙者もえらい嫌われようや。そんな規制だらけのクリーンな環境目指してお前らはどこへ行きたいんや思う。もとより少子高齢化で明るい未来なんか待ってへんっちゅうのに。景気も一向にようならんし、南海トラフも富士山噴火もスタンバイしとるやろうし、中国も北朝鮮もロシアも何考えてんのか分からへん。街出たら老いも若きもアホ面でスマホしとるし、この調子やと中国だけやなくタイとかベトナムみたいな東南アジアにも抜かれてまうやろ。自国民だけでは儲けられんからって外国人観光客が落とす金頼みにしとるし、日本企業も衰退して外資系に侵食されてっとる。前の事件起こす前、派遣切りされるまで働いとった松下の工場もAmazonの工場に変わっとってビックリしたわ。天下の松下も今では惨めなもんや。松下に限らず日本企業はおしなべてバブルの頃みたいな勢いあらへん。日本も終わりやな。もう終わっとるわしが言うのもバカげとるけどな。

 今のわしにはなんもあらへん。なんの生き甲斐も希望もあらへん。嫁にも子供にも未練なくなった。もうあんなん家族やない。殺されかけた向こうかて同じ気持ちやろ。兄弟親戚も親父が亡くなってから音信不通やから他人と変わらへん。昨日なんか事件の決意固めるために墓からおとんとおかんの骨壺取り出して淀川にほかしたった。もう怖いもんなしや。もう死ぬのも怖ないし、むしろ死が恋しいくらいや。せやけど一人では終わらへん。わしを苦しめてきたこの社会に物言わせてから死なんと、腹の虫が収まらへん。

 ターゲットはわしと社会との唯一の接点と呼べる「〇〇クリニック」や。出所してから二年くらいは必死に仕事探したり生活保護の相談しに行ったりしとったけど、うまくいかんくて、不眠こじらせるようなってから通い始めたとこや。院長の〇〇先生にはようお世話になっとる。区役所の職員みたいに事務的やないし、思い切って前科のこと打ち明けても引かんかったどころか「寂しくて思い詰めてたんですね」って寄り添ってくれた、仏様みたいな先生や。前科打ち明けた途端、恐怖の目向けてきた職員の奴らとはえらい違いや。そんなええ先生やから「先生も一緒に死んで欲しい」ゆう気持ちがだんだん湧いてきた。夜遅ぉまで診察して人望のある先生を独り占めしたい、っちゅう気持ちもある。先生巻き込むんは悪いけど、一人っきりで死んでゆくんはやっぱり寂しいし、悔しい。わしにホモの気はなかったけど、もしかしたら先生に対する気持ちはそれに近いんかもしれん。こんな恥ずかしいこと、最後やから言えることやけど。

 逆に患者どもにはおもろない気持ちがる。もう終わっとるわしとは違うて患者どもには若くて未来のあるもんが少なくない。適応障害とかうつ病で休職してるような奴らや。そいつらは「リワークプログラム」っちゅう職場の再復帰を目指すプログラムに参加しとって、週一回、専用の部屋に集まって話しとるんが待合室から聞こえてくる。同じ苦しみ抱えたもん同士で仲間意識芽生えるんか、時々笑い声も聞こえて楽しそうにしとる。それ耳にしとったら腹立ってくる。わしは年齢や前科のせいで働きたくても働けへんねんからな。せやから日増しに「あいつらの社会復帰を邪魔したい」て思うようになった。プログラムがある金曜はクリニックの人数が一番多なって三十人くらいになるから、その日に殺る。一人、二人殺しただけで終わるんは納得いかんけど、一人で三十人の命終わらせたんやったら満足やし、日本の犯罪史にも名を残せるやろう。目指せ京アニ、津山三十人殺しや。

 前みたいに失敗して中途半端な懲役食らうんは絶対避けなあかん。せやから念には念を入れて消火栓の扉コーキングしといたし、非常階段の扉も目張りしといた。皆殺しや。誰も逃がさへんで。

 キ〇ガイの犯行や思われたないから言っとくけど、わしは狂人やない。理非曲直は弁えとるし身勝手なんは承知しとる。先生は言うまでもないけど、患者らは生きることに苦しんどる仲間でもあるから葛藤がないわけやない。せやけどわしはもう生きとうない。仕事も貯えもあらへんし、もう生きてくために頑張る気持ちもなくなった。生活保護とか刑務所で飼い殺しされんのも嫌や。一時期は考えてた頃もあったけど、何の楽しみもないのに生きててもしゃあない思って自分で申請取り下げた。

 最近「死刑になりたい」言うて事件起こすもんが出てきとるけど、わしから見たら犯人若いもんばっかりやしまだまだ未来あるように見えるわ。あいつらは年取って体衰えたり、病気抱えたり、家庭築いたあと離婚してから味わう孤独の辛さっちゅうもんを知らん。

「そんなんお前がしっかりせんから離婚する羽目になったんやろ、甘えるな!」――

 これ読んどる奴らはそう思うんやろな。前の事件でも裁判長から「家族に対する甘えがある」て言われたわ。そんなん分かっとる。けど死ぬ気になったらもう何しようと自由やないか。どうせ散る命なんやったら、最後にどでかい花火一発打ち上げて散りたい。わしの存在を世間に知らしめたい。年間自殺者二万人分の一人として黙って消える、なんて納得いかへん。大勢道連れにして死にたい。「クズ」て言いたかったらいくらでも言ったらええわ。その時にはもうわしは消えとる。結局人生やったもん勝ちよ。

 不思議なもんや。池田小事件の宅間守、こいつが生きとった頃はクズとしか思えんかったのに、今は共感を覚える。あいつが事件前に思っとった「世の中の不条理さを教えたい」「大勢殺したい」いう気持ち、わしと一緒やないか。前科もんやとか前の嫁恨んでんのもおんなじやし、つい最近やけどイニシャルも一緒やと気ぃ付いた。そう思うとなんか因縁めいたもんを感じるわ。

 玉砕の日は前の事件の判決日と同じ日付や。前はわしが裁かれたけど、今度はわしが裁く番や。「一人で死ね?」 そんな大人しゅう消えてたまるかこのあほんだら! お前らがバカにして否定してきたもんがタダで死ぬ思うな! 殺るんやったら徹底的に殺ったる!

いずれわしのようなもんがまた出てくるやろうから、これで終わりやと思ったらあかんで。せいぜい、後ろに気ぃ付けとくんやな。
 誰からも顧みられぬ露よりは玉と消えたし死なばもろとも(了)