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「abandon」新宿ひまわり【ナックルズ文芸賞 受賞作品】

第1回(令和5年)ナックルズ文芸賞
『ナックルズ優秀賞』受賞作品

「abandon」
新宿ひまわり


 四谷三丁目の駅から円通寺坂を下って、文化放送の路地を入ったところに五階建てのマンションがある。

 階段で四階まで昇り室内に入ると、中には数人の男がいた。
 各々乱雑に置かれたパチスロ台と向かい合っている。

 打ち方は違えど一つだけ共通して言える事は、すべてのパチスロ台が煌々と大当たりランプを光らせている事である。

 タバコの吸い殻を空き缶に捨てた男がこちらに気づいた。

「和樹、今日は早かったな。いくら出した?」

「六千枚。勇斗くんも今日は早いね」

 そう言うと、空いている大花火の前に腰掛けた。

 コインの払い出し口から、黒いコードで繋がれた四角いボタンが覗いており、長押しするとクレジットの数字が増えていく。
 ズボンの左足を捲り上げ、ふくらはぎにサポーターを巻く
 そのサポーターに分銅のような器具を取り付けた後、先端に透明な釣り糸を付けた。
 この糸をリールに掛ければセット完了だ。
 分銅から出た配線は両足の親指に付けたスイッチへと繋がっている。

 慣れた手つきで準備をしながら、和樹は勇斗に話しかけた。

「あのさ、ソレノイドっていつまで使えるの? 吉宗以外でも結構対策進んでるよね?」

「最近多いな、俺も昨日エスパスで白服に警戒されてた、鏡越しに見たけどこっち見ながらインカムで話してたな」

「しばらく系列には行かない方が良いぞ」

 部屋の奥にいた男が、リールから目を離さずそう言った。

「日拓系列は情報の共有が早いんだよ、勇斗、お前の面も多分割れてるぞ」

「こないだ渋谷で抜きまくったからな、ベタピンのネオプラで七千枚はやりすぎたか」

 勇斗は悪びれる様子もなく、ヘラヘラと笑いながら顔を向けた。


「和樹、お前も適当に金貯めたらやりたい事見つけろよ? 俺は麻雀で食っていけるけど、ワニなんかゴト辞めたら日当五千円の打ち子しかできねえぞ」

 ワニ、と呼ばれた男が『うるせえ!』と抗議するも勇斗は続ける

「体感機で稼げるのも、もってあと一年だろうな。良くも悪くも吉宗で目立ち過ぎた」

 和樹は初めてゴトの現場に出てから八か月が経つ。

 最初の一か月は、食い扶持をつなぐためゴトグループのボスが行きつけのホールに朝から並び、設定六が必ず一台入っているニュー島唄をバイトの打ち子と占拠した。
 オープン間近に現れるボスから軍資金を渡され、六をツモれなければ吉宗や巨人のゾーンを狙いホールを巡回する。
 今で言う期待値の高い台があればボスの会員カードを渡され、貯メダルでゾーン内だけを打っていた。

 このグループの構成はボスの下に八人の実働メンバーがいる。
 半数以上がこの四谷のマンションに寝泊りしており、和樹もその中の一人である。
 毎週土曜日に機械代として十五万円を納める決まりがあり、浮いた分が自身の取り分になるため、現場に出たら素人も玄人も関係ない。
 稼げなければ毎月六十万の借金を抱えることになる。

 そのため、打ち子以外の時間はこの部屋でひたすらジャグラーのゴトを習得していた。
 親指に引っ掛けた糸を自然な動作でレバーに掛け、叩く仕草に合わせてソレノイドの発射スイッチを押す。
 実際にレバーは叩いておらず、ふくらはぎから真上に向いた糸を経由してレバーが下がる仕組みである。

「普通に打ってりゃ声なんかかけられない、捕まる奴は大体みんな手元が不自然なんだよ」

 そう言った勇斗の技術は上手いという表現を超えて、ただ普通に打っているようにしか見えなかった。

 ヒラで打っていないということに気づいたのは四回転でランプが光ったときだ。


「ジャグラーは小役が集中してるから機械を使えばバカでも乱数を攻略出来る。ハズレが出たらプラス二千、リプレイが出たら千で調整、ぶどうが揃ったら五百上げてハズレまで行ったらマイナスで調整な、簡単だろ?」

 最初の現場は池袋のチャレンジャーを選んだ。
 狙い台のある三階は薄暗く、店員もヌルいと聞いていたからだ。
 しかし、体感機を持っている後ろめたさから周囲を必要以上に意識してしまい、最後は隣に人が座ったことによりゴトを放棄し、結果マイナス二万六千円で幕を閉じた。

 四谷に帰って勇斗に報告をすると、笑いながらこう言った。

「初めてなんてそんなもんだよ、周りの人間に勘繰ったんだろ?」

 そう言って、目の前にラーメンの丼を置いた。
器の中には麺もスープも入っていない、そこには乾燥して粉を吹いたマリファナが入っていた。



 コーヒーの空き缶を軽く潰し、窪んだ部分に画鋲で穴を空ける。
 即席のボングにマリファナを落とし、火をつける。飲み口から煙を吸い込み息を止め、肺に行き渡したまま勇斗はそれを手渡してきた。

 同じ手順で火をつけて、胸いっぱいに煙を吸い込むが、思いきりむせる。
 それを見てまだ息を止めたままの勇斗が笑っている。

 ようやく煙を吐き出すと、和樹に問いかけた。

「お前、隣で打ってる奴とか気にした事ある?」

「台の動きは見るけど、打ってる奴は確かに気にしてない」

「だろ? コソコソしてるから逆に怪しまれんだよ。堂々とやってりゃ糸が丸見えでも何も言ってこねえよ」

「いや、それは言うでしょ」

 二人ともハイになってゲラゲラ笑った。

 痛恨の初戦以降、意識のオンオフを覚えた和樹は東京中のホールを荒らして回った。

 リプレイ四回でボーナスが当選する「祭りの達人」。短い稼働だが新台期間で八万枚抜いた「アリバX」。体感機でボーナスを引き、モードを上げればヒラでもドル箱の山を築ける「パワーボム」。ピーワールドで探した店を一日二件を回り、夕方六時に四谷に戻る。
 夜は勇斗と四谷周辺でマリファナ散歩をするのが日課になっていた。

 ある日、零時を過ぎても帰ってこない勇斗を不審に思い、電話をかけるが繋がらない。

 四谷の仲間に聞いても所在は分からず、ボスに掛けても留守番電話だ。
 折り返しもないまま二日が経過した。

 現場へ向かう準備をしていたときに玄関が空いた。帰って来た勇斗の服は血と泥にまみれ、曲がった鼻から出た出血は乾いて赤黒く固まっている。

 殴られていない場所を探すのが難しいほど、全身を痛めつけられている。

 和樹の顔を見ると、腫れた唇を動かして事情を説明した。

「神田ゴードンにハーネス仕込んだ吉宗があっただろ?当たりを取った瞬間知らねえ連中に囲まれて車に乗せられてよ、俺か上の人間に五百万払わせるって携帯も道具も全部取られたあげくボスに連絡されて」

 一瞬言葉が詰まり、続けた。

「『そんな奴は知らねえ』って見捨てられたよ、それでこれだ」

 差し向けた右手の指は人差し指と中指が折れ曲がっている、いやそれよりも手の甲に赤黒く刻まれているのは、よく見ると血ではない。
 糞や尿と読み取れる侮辱的な刺青が、まるで子どもの落書き帳のように彫られている。

「ボスは来ねえし、金も取れないって分かったらこのザマだ。それで昨日、護国寺あたりに捨てられてよ、後付けられてんのもバレバレだったから、人ん家の庭とか下水通ってここまで戻ってきた」

 和樹は勇斗の右手から目を離せずにいた、もうゴトどころか普通の生活を送るのも困難ではないだろうか。
 刺青を入れている人間は少なくはないが、それにしても悪目立ちが過ぎる。

「とりあえず疲れた、少し寝るわ」

 畳の上で横たわる勇斗を横目にボスへ電話をかける。
 言いたい事もまとまってはいない、ただ、使い捨てられたとしてもこれはあまりに酷過ぎる。
 どういうつもりか問いただすために電話を鳴らし続けた。

「どうした」

 一分以上鳴らした所でボスが出た。
 三日前から今までの事をすべて話した。
 ボスが見捨てた結果こうなった事も。

「そりゃあそうだろ、お前も俺の立場になれば分かる。末端の人間に五百も払えるか」

 冷たい物言いに和樹も腹を括った、もうこの人間とは交われない。

「それなら今から勇斗くん攫った奴らにボスの情報全部渡しますね。あいつらきっと金のためなら叩きも殺しもなんでもしますよ」

 一瞬ボスの言葉がつまるが、鼻で笑って反論をする。

「お前が俺の何を知ってんだ? 四谷の部屋はワニ名義だ、それとも『これがボスの情報です』って、俺の携帯番号でも伝えるか?

「会員カード」

「何?」

「島唄の店で俺に会員カード渡しましたよね、カウンターで店員に言ったんですよ、DMが届かないから住所確認したいって、そのときに全部押さえましたよ篠田雅彦さん。黒船で住所調べたら、確か近所に篠田って沢山住んでましたね、地主の家系かな。近くに親族も住んでるみたいだし」

 ボスが黙った、あながち地主の線も見当はずれではないのかも知れない。
 攻めるならここしかない。

「二千万で手打ちにしましょう。金出さないなら襲撃に行かせます。あんたが居なくても身内の誰かが襲われますよ、イエスかノーで今決めてください」

 ボスから返答はない、どうにか状況を覆す方法でも考えているのだろう。

「俺は別に良いんです、金出さなくても。ただあんたのやり方が本当に気にくわなくて。強盗殺人の被害者になってくれるのが今一番の望んでることですかね」

 二十秒以上の沈黙が続き、口を開いた。

「……分かった。飲んでやる。金を払うのは一度きりだ、どこにも連絡するな」

 ブラフだらけの交渉だ、何かおかしいと冷静に考えたら穴はいくらでもあるだろう、攫った奴らの番号どころか顔も知らない。

 ただ、俺たちのような使い捨ての人間にも、反撃のチャンスが一つあれば立場をひっくり返せるってことを示したかっただけだ。

 ボスが金を持って来るか来ないか五割の勝負
二分の一のギャンブルなら何度だってやってきた。

「和樹……水、水くれ」

 気力のない声と共に勇斗が体を起こした。満身創痍の身体を見て和樹が尋ねる。

「ねえ勇斗くん、もし二千万あったら何する?」

「二千万!? そうだな、オランダにでも行くかな」

「オランダ?」

「カンナビスカップ」

二人ともシラフなのにゲラゲラ笑った。