見出し画像

【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】沖縄県石垣島の『〝改葬〟された風葬墓』

突如奇妙なコンクリート墓が出現

 今から20年以上前のことになる。八重山諸島の中心に位置している石垣島で世にも奇妙な『事件』が起こった。島の北部にある風葬墓が〝改葬〟されてしまったのだ。

自然が残された石垣島のビーチ

 『風葬』というのは、死者の遺体を人里離れたところにある洞窟や岩陰などに安置して、白骨化させる葬法だ。明治に入ると法律で禁止されたが、沖縄や奄美諸島の島々では数十年前まで行われていた。石垣島には、数多くの風葬墓があり、かなりの数の人骨が安置されている。

人骨をそのまま安置する風葬墓
長い年月、このように人は葬られてきた

 風葬墓を〝改葬〟したのは、沖縄本土からやって来たユタだという。墓のあったところにコンクリートブロックで〝墓”を作り、その中に頭骨などを閉じ込めてしまった。石垣島で生まれ育ったKさんは、ユタたちが〝墓〟を作っている現場に遭遇した。

コンクリートブロックで作られた墓
人工的な墓はミスマッチ

「あのときは本当にビックリしました。ユタたちが、海岸近くにある藪の中に〝墓〟を作ろうとしていたんです。20代くらいの男性がスコップを使って2~30センチくらいの穴を掘っていました。ほぼ整地が終わっていたものと思われます。ユタは老夫婦を連れて来てましたね。作業の様子を見守っていました。島のあちこちに奇妙な〝墓”が作られていることは噂になっていたので、すぐに作業を止めるように言いました」

 Kさんは、この場所からクルマで10分くらいのところにある明石という集落に住んでいる。この集落は、石垣島で最も北に位置しており、その先には無数の風葬墓があるとされている。

コンクリに集まる大きな昆虫

「沖縄というところは、信仰心の深いところなんです。結婚するときや家を建てるときには、ユタに見てもらいます。病気になったり交通事故にあったりしたときも同じですよ。沖縄には、それぞれの集落にユタがいます。その中には、地下に潜っているものもあります。あのときユタは、老夫婦に『あなたたちの祖先は石垣島にいて、今でも風葬墓に眠っていますから、ちゃんとした墓を作らないと災いが降りかかりますよ…』などと言って、石垣島に連れ出していたのです。こうした行為は、沖縄の歴史をねじ曲げることになりますし、道義的に見ても許されることではありません(!!)」

 Kさんは、ユタのやっていることに憤りを感じていた。また、Kさんの友人のIさんは、森の中に入ってヤシガニを捕っているときにいくつもの〝墓〟を発見している。

「ユタが作った〝墓”はどこにでもありますよ。少なく見積もって100。いゃ、まだ見つけていないものも含めると200はあるでしょう。すべてコンクリートブロックで作られています。本当に気持ち悪いですよ。昔は、風葬墓に頭蓋骨がゴロゴロしていたものですけど、もう本当のモノは見られなくなってしまいましたね…」

 ユタの中にはカネを目的としている者も少なくない。そのような人たちのために死者が冒涜されたり、歴史が歪められるようなことがあったりしてはならない。風葬墓に安置されている頭蓋骨などを見て哀れみを感じる人も少なくないが、行政が手を差し伸べるまで、そのままの状態を保っておくべきだろう。

やはりそのままの方がいい



写真・文◎酒井透(サカイトオル)

 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

https://twitter.com/toru_sakai