【3・11フクシマ】「復興バブルはあったけど、もうここにも居場所はないのかな」……デリヘル嬢が見た被災地・小名浜
震災後に「ラブホ超満員」
周囲には健康センターの灯りだけが赤く浮かぶ、国道沿いの駐車場で待ち合わせていた。小名浜港からは車で15分ほど、スマホの地図を見ると「小浜」という地名を指している。「いわき市 小浜」と検索にかけると、予測候補に「ホテル」と表示された。振りかえれば駐車場の裏手にネオンが見えた。
「『G(ラブホテルの名前)』が一番好き。『G』に呼ばれる時はけっこうラッキー」
アジアンリゾート風のラブホテルの前を歩きながら、優月は舌足らずな声を出した。6軒ほどのモーテル式のラブホテルが密集しているが、潰れたまま放置され、お化け屋敷のようになったホテル跡もある。
「津波はここまで来てないから、普通に潰れたホテル。3年くらい前まで普通にやってたんだけど」
イントネーションは東北訛りだったが、中国地方の出身だという。今年29歳になる。「優月」という名前がついたのは、福島にやってきた18歳の時だった。
「第一印象は、住みやすくていい所。山も海もあって地元に似てる。東京? は、行こうとは思わなかったです。人多い所は嫌い」
先に在籍していた地元の友達に「一緒にやろうよ」と誘われ、軽い気持ちでデリバリーヘルス店に入った。今もホームページには顔にモザイクがかかった下着姿の写真と、「好きなタイプ:おらおら系 得意プレイ:らぶらぶプレイ」というプロフィールが掲載されている。2011年3月11日、被災したのも店の寮だった。
「あの時は寝てました。揺れて起きて、すごい揺れで怖かった。避難はしなかったです。外にでると怖いし危ないし」
寮は津波の影響のない内陸にあり、30キロ先で起きた原発事故も「きっと大丈夫」と部屋に籠ってやりすごした。カップラーメンやレトルト食品は共同キッチンに常備してあった。水道は出なかったが、デリヘル店のオーナーが知り合いの水産会社から手配した氷を溶かし、飲料水も確保してくれた。
水産会社のあった小名浜の沿岸部には3メートルの津波が到来し、小名浜港近くに建つソープ街も浸水被害にあった。震災の数日後に取材に入った際に、水びたしになった備品を店外にはこびだす従業員の姿を見た記憶がある。その後、入浴できない近隣の被災者のために、ソープ店が風呂を無料で開放したというニュースを聞いた。
「そんなことあったんだ。でも小浜のほうがお風呂入りに来る人、多かったと思う。4月になって水道が出るようになったら、ここらへんのラブホすぐ再開してどこも満員。私めっちゃ忙しかった」
震災からもうすぐ10年になる。その間に稼いだ総額をたずねると、優月の目は宙をさまよいながら、ゆっくりとまばたいた。
「だいたい……家が3軒建つくらい?」
答えてから、甲高い笑い声をあげた。
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