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続・資本主義の豚たちのためのイルミネーションランキング 極私的東京イルミ考【鈴木ユーリ「ニュートーキョー百景」】#11

10年ほど前からクリスマス期間の表参道を歩くのを年中行事にしている。

りそな前からスタートし、ラフォーレ前交差点を渡り、明治神宮前の交差点で折りかえす。復路は逆サイドの歩道を帰って、表参道ヒルズをすぎまた表参道交差点までたどりつけばゴール。12月17日を皮切りに、25日まで都合9回くりかえす。

苦行かと問われれば、ぜんぜんそんなことない。むしろ幸せしかないお遍路。ふりそそぐ光の中、イヤフォンの音量いっぱいにクリスマスソングを鳴らして歩く。ご当地ソングは聞ききれないほどある。

事始めの17日は、ノリすぎぬよう、戒めとして稲垣潤一を聞くことにしている。

あの曲はすごい。火サスみたいなイントロが流れ出した瞬間、4Kなみに繊細だった目の前の景色が秒で懐かしカラオケ映像になる。クーリースーマスキャロルがぁ〜。鼻にかかりまくった声が歌い出したらもう視界は色を失くしてセピア色。都合4回聞けば、神妙な気持ちのまま往復できる。

苦行を終えた翌日からの選曲はフリー。おれは俗物オブ俗物だからJ-POPのド定番ばかりで悦にひたれる。

シャンシャン鳴ってればなんだっていいのだ。『クリスマス・ソング』だろうが『ラスト・クリスマス』だろうが『メリクリ』だろうが、B'zだろうがセカオワだろうが、ジョンでもポールでもなんでもござれ。各々好きな曲を聞けばいいとおもう。

街をいろどるサンタたち

今年はLANAをよく聞いた。

今年も毎日歩いた。

17日にはデモ隊が出ていた。「STOP!動物虐待」とシュプレヒコールをあげ、表参道を練り歩いていた。21日に外苑前を通りがかると、伊藤忠ビルの前でガザの虐殺に対するデモをやっていた。

プラカードを掲げたおばさんに「なんで伊藤忠なんですか?」とたずねると、「伊藤忠の100%出資の子会社がイスラエルへ武器提供しているんです」という。それはクソすぎるとおれもそのまま参加した。

「資本主義の豚がガキだとか社会のためだとか抜かすんだ」

わたされたプラカードを持ってると、

「え、めっちゃ綺麗!」

伊藤忠のイルミ前ではしゃぐ女の子2人組。

「あなたたち! 写真撮るのもいいけど世界では虐殺が行われてるんですよ!」

拡声機から声が飛ぶ。

あのさ。すぐそういう中学教師みたいなこと言うから左翼は嫌われるんだろとおもった。

「わたしはヒロシマからきました。わたしはイスラエル人ですが、今ガザでおこなわれているジェノサイドを許すことはできません。イスラエル人として恥ずかしいです」

次に拡声機をわたされた外国人女性は語った。横で赤と白と黒とグリーンの国旗を持った女に、たぶん彼女もパレスチナ出身なんだろう、すっとべつの女性が近づきギュッとハグした。そのほうがよっぽど心にせまる。

イブがやって来るにつれ、今年も表参道の人出はふえていった。

22日に宇多田を聞き、23日には岡村ちゃんを聞いた。

それまでテキトーだった選曲も、でも24日だけは慎重になる。迷った挙句、今年もやっぱり「All I Want For Christmas Is You」をセレクトしてた。

マライアか達郎かは、世代によって分断があるとおもう。

でも『クリスマス・イブ』はさすがに耐久年数をすぎてる。何もああいう形で今年、達郎がお亡くなりになったから言ってるわけじゃなくって、数年前から表参道ではだいぶ無理があった。近年、音楽好きを称する奴らがやたら持ち上げてたし、「クリスマスソングは達郎を越えられない」という神話もあったけど、とんでもない、あのイントロは(稲垣潤一なみとはまでは言わないけど)景色がかなりセピアがかる。まだキックの『クリスマス・イブ・ラップ』のほうが上がる(クレバが神バースを蹴ってる)し、ヒゲダンも去年『サブタイトル』という名曲を発表した。高らかに歌い上げるのではなく、「言葉はまるで雪の結晶」「プライドの過剰包装を」「イルミネーションみたいな不特定大多数じゃ」と、メタファーにだけワードを散らす、令和らしいクリスマスソング。

でも瑕はあるにしても、義理と人情で23日には達郎をいちおう聞いた。歌がやみ、間奏のダンダバダバダバのコーラスが。クリスマスの雑踏のざわめきとシンクロする瞬間はやはり至高である。

それでも24日はマライアなのだ。

表参道のご当地ソングは「All I Want For Christmas Is You」しかない。クリスマスソングだって暗い曲ばかりが流行るようになったけど、全盛期マライアの歌声がひびきだした瞬間、こっちのメンタルのコンディションがいついかなる時でもいきなりブチ上がる。やっぱりクリスマスはアメリカ式が最強。新自由主義大国からのギフテッド。YouTubeの7.8億回再生のうち7億回はおれが聞いてるまである。

表参道では誰もがクリスマスを謳歌する。

病めるものも健やかなるものも、大人も子供も、金持ちも貧乏人も、ひとしく平等に。

前にマツコとの番組で有吉が「絶対シャンゼリゼより綺麗でしょ! パリ行ったことないけど」って言ってたけど、おれもそう思う。パリ行ったことないけど。

明治帝を祀る参道にハイブラ旗艦店がたちならぶ資本主義の聖地を、けやき並木の黄金色の光がまっすぐにつらなる。道をあるけば、その光が恩寵のようにふりそそぐ。グッチもヴィトンもティファニーも、ショーウィンドウはクリスマス仕様にラッピングされていて、限定アイテムをゲットした恋人たちがならんで出てくる。美しき贈与の交換。その横でパパ活女子はおじさんの腕に腕をからめ、ハイブランドを贈与されるかわりに春を売り倒し、2人組の女子高生が車道にのりだし。スカートとローファーの踵をひるがえしながらTikTokを撮ってる。不倫カップルは若者よりもベタベタいちゃついてて、独り身の女子もディオールのコスメを爆買いし、中国人の金持ちママはブランドもののベビーカーを引いて、お父さんはよちよち歩きの子供の手を引いて、みんな腕にショッパーをぶら下げながら、しあわせそうに、アジア人もアラブ人もかわいいロシア人もみんな!

キディランド前で、彼氏のほうが盲人のカップルとすれちがう。右手で杖をつき、左手は彼女と腕を組み、濃いサングラス越しに宙を見上げながら、この街の人びとと同じ笑顔を浮かべてる。きっとあの人にもきらめくこの光が見えているんだろう。

コロナ禍はまっくらだった。
人だってぜんぜんいなかった。

神事だからと、「見えない光を見るんだよ!」とゴーストタウンを歩くのは、表参道気狂いのおれにとっても、生涯をふりかえっても部活の夏合宿と熊野の奥駈同様に苦行だった。歩き終えるといつも疲れはて、喫煙所に座りこんではエーウィッチの『ハッピークリスマス』ばかり聞いてた。あの歌は時節柄、もしかしたら今年のほうがハマる曲かもしれないけど、自分の心境とシンクロして慰められていた。

たしか2020年12月23日の、あれは復路のことだった。

表参道ヒルズをすぎたあたりで、嬌声がきこえてきて顔をあげた。あんな時期なのにゲラゲラ、高笑いでセリーヌから出てくる2人組の女がいた。

あの時のことは忘れない。
片方がほずにゃむだった。

ダレノガレにそっくりだった顔にはだいぶメスやヒアルが入ってたけど、ゲハハハハと大口を開けるあの笑い方はほずみしかない。国内出稼ぎ組のホス狂女とちがって、彼女レベルだったらコロナ禍でもパトロンや海外案件で潤っていたんだろう、ショッパーを両腕いっぱいブラ下げながら、大手をふってくだってきた。

あまりのことに声もかけらんなかった。だけど、あんなに勇気づけられたこともない。

3年前だから、ひとまわり下だから、あいつは29歳だったはず。残像のようにあのドラマのオープニング映像が、バブルの余韻をのこしたイケイケのOLたちの姿がほずみに重なる。あるべきクリスマスの姿をマライアは歌う。すべての灯かりが輝いていて、どこもかしこも煌めいて、子供たちの笑い声で空気が満たされている。わたしのところへ彼を連れてきて、早く!

                     ※

閑話休題。

本来は本番のはずの25日は、本邦ではアフターパーティである。

イブにくらべて表参道の人もまばら。平年は往復『ディス・クリスマス』でクールダウンするんだけど、今年はこの曲で。敬意をこめて。彼には『オー・シャンゼリゼ』のカバーの『表参道』という曲もあるけど、同時にクリスマスソングの名手でもあった。KANの恋人は達郎の女よりいっこうにやってくる気配がないとこがいい。

君にもう一度 会えるのならば
それはとても素敵な クリスマス・ソング

待ち合わせ5分遅れ やっぱり僕が先みたい
こんなに待たされるのは 慣れてないわけじゃないけど

今夜ひとりは目立つのに 街にサイレント・ナイト
ホーリー・ナイト 遅すぎる

だけど今日くらい 笑っていよう
だって今夜は素敵な クリスマス・ナイト

おめでとう ジーザス・クリスマス・タイム

【著者プロフィール】
鈴木ユーリ
ライター。代表作『ヤカラブ』。『実話ナックルズ』誌上の連載『ゲトーの国からこんにちは』を収録した単行本を刊行予定