神宮外苑の風のカミ【鈴木ユーリ「ニュートーキョー百景」】#6
きょうは大学時代の級友に会う日。
彼女はいま横浜の東急沿線に住んでいて、待ち合わせは当然、渋谷がよかったのだけど、せっかくだから懐かしい場所で会いたいよねって11時にお店を予約した。KIHACHIのテラス席で、すこし遅めのブランチ。
--ごめん! 睦がでがけにグズっちゃったの。
キョウコは25分おくれでやってきた。かわらないなぁ。
本当は悪いだなんて、ぜんぜん思ってないあざとい表情。水色のワンピにピンクのヒール。体型も、見た目年齢が10歳は若いところも。
--遅ーい。許さない。
--とかいって、マリだってもうシャンパン飲んでるし。すいませーん、わたしはカフェオレ。走ったから、ノドかわいちゃった。
それからわたしたちは、いつもそうするのように、級友たちの近況話をした。アッコは離婚して今シンガポールにいるとか、テッちゃん今度の専務になるらしいよ、ええ? あのテツオがぁ? 会社つぶれちゃうよ、とか、昔とかわらない味つけの魚のソテーを食べながら。
目の前の歩道を、トリミングされたばかりのオーストラリアン・ラブラドゥードルが散歩してる。風にゆれる木漏れ日のなかで、今も若いカップルたちはよりそって歩いてる。
--わたしたち、もうおばあちゃんね。
キョウコがいう。色づきはじめた銀杏の葉先に、目を細めながら。バック・イン・ザ・デイズ。わたしたちの青春も、悪いことばかりじゃなかったけどね。
じゃないんだよ。康夫ちゃんみたいな文章書かせんなよ。
こんなたまらなくアーベインなコントが、週末のたび繰りかえされるのが、外苑のいちょう並木通りである。
並木の伐採について、反対の声はさらに強まってきている。だけどそんな後生大事に守るべきものなのだろうか。
長嶋一茂は「神宮といえば神社仏閣を尊ぶ場所でもあるし、その中に植えられている木というのは神木」と朝のワイドショーで言った。桑田佳祐はこの9月にリリースした『Relay~杜の詩』で、「誰かが悲嘆いてた/美しい杜が消滅えるのを」と歌った。
外苑から徒歩圏内の青学に通っていた桑田が懐かしむのはわかる。神宮球場で六大学野球のスターだった一茂にも物申す資格はある。だがーー最近のメディアの映像ではだいたいカットされるけどーーその「神社仏閣を尊ぶ美しい神社の杜の御神木」のまわりには、 気取ったカフェやらレストランやらハンバーガーショップやらが建ちならんでいる。デートスポットとなった遊歩道では、映え勢カップルの女がいちょう並木をバックに彼氏に写真を撮らせ、そのそばを桑田や一茂のような富裕層の夫婦が、ハイブランドのベビーカーを押して通りすぎる。
休日になると事態は輪をかけて悪化する。並木通りにずらりと横づけされるランボルギーニのせいだ。
オールドカーではなく、蛍光色やゴールドにけばけばしくラッピングされたウラカンやアヴェンタドール。神輿のようにガルウィングをひろげた姿を目当てに、鉄オタまがいの撮影キッズたちがむらがり無法地帯になっている。
前にスーパーカーの雑誌を手伝っていたから、界隈の人を悪く言いたかないけど、医者や弁護士の多いフェラーリ乗りとちがって、ランボ乗りという人種は、きまってヤンキー上がりのゴリゴリの成金か詐欺師である。外苑のそばのオラクル青山ビルで、ことあるごとにシャンパンパーティをやりたがり、港区のタワマンに住んで、これみよがしなルブタンのスニーカーを履いている。
でもそれにしたって、今にはじまったことではなかったりする。
かつて、60年代、暴走族のルーツと言われる「カミナリ族」というバイク乗りの若者たちがいた。
「カミナリ族」きってスピード狂として知られ、のちに「マカオの帝王」と呼ばれた元国際レーサーは、ひっきりなしに発泡酒をあおりながら楽しそうに昔話を語ってくれた。
「今は変わっちまったけど、青山一丁目の交差点にホンダのビル建ってんだろ? あそこに昔24時間やってるクスリ屋があって、ハイミナール食っては、みんなで外苑の中をぐるぐるレースしてたんだよ。『理由なき反抗』みたいに並木道でチキンレースしたりよ」
故人にならって、都知事に突然のお手紙を失礼する。
〈率直に言って、かさましの植樹をしてまでSDGsぶる必要はないと思います。あんな俗と族と排ガスとトレンディドラマの幻影にまみれた御神木は、むしろ一刻もはやく切り刻んでもらいたい。理由はあります。ゆたかな森の中に「カミ」が宿る神宮内苑とちがって、外苑が聖地たる由縁は樹木にはありません。森や樹木ではなく、答えは風のなかにあるのです。そして、そのことを一番よく知っているのは、驚くべきことにスピの連中だったんです。〉
「では、これからリラックスタイムに入ります。横になって全身の力を抜きましょう」
ナイトヨガの終盤、インストラクターがまた語りかけてきた。球場を照らしてたカクテル光線がおち、人工芝が黒く染まる。
「神宮のやさしい風をカラダに吸いこみましょう。はーい、ポジティブを吸いこんで。はーい、ネガティブをぜんぶ吐きだして」
彼女の言うとおり、神宮には甲子園や千葉マリンの浜風よりやわらかな風がふきぬける。連中の世界観では、1000年続いた「地の時代」がついに2019年に終わり、これから200年つづく「風の時代」に入ったとかいう。スピーカーからはまたぞろ陳腐な胡弓アレンジの音楽が流れだす。
『千と千尋』のテーマだった。
寝ころがりながら、『戦メリ』が聴きたいなと思っていた。でもたしかにこの場所には、西洋化された視点が描いた東風なメロディより、久石譲のほうがよりあってる。クサいくらい情緒たっぷりで、日本的スピリチュアルを内包した音楽のほうが、湧水で心を洗われてる気分になる。
現行で言えば、外苑ミュージック筆頭はグリーンアサシンダラーだろう。深く吸って過ぎてくグッデイ。深く吐いて迎えるグッデイ。舐達麻のMVで揺れる麻の葉のように、球場のまわりで風になびく葉擦れの音がきこえてくる。
だけどもう一回言うが、あんな樹木は伐採してかまわない。
たかだか100年の歴史でガタガタ抜かすな。森なんかどこにだってつくれる。いつだって日本人はそうしてきたではないか。東京ミッドタウンでさえ、六本木の真ん中に「グリーン&パーク」というすばらしい緑地をつくっている。
ただ、高層ビルだけは作らせてはいけない。
森は伐採しても、地上200mにもおよぶミッドタウンのようなビルを建設するのは、どうしても阻止しなければならない。
もしここが聖地なのであれば、それはカミにそむく行為だから。
もしこの場所にカミが棲んでいるのであれば、それはきっと風とともに顕現するから。
〈狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす〉
悪い予兆も良き精霊も、古来からきまって風にのってやってくる。伊勢神宮でも内苑と外苑の両方でまつられてるのは風のカミだけだという。
「ここは不思議な風が吹くのよ」
風のことを、最初に教えてくれたのはミホさんだった。新国立競技場のそば、外苑西通りの4階にあるバーで、彼女はたまに窓やドアをあけ放つ。
「ほら、すり鉢状になってるでしょ? だから波長のながい風が吹きぬけるの」
青山通りの強いビル風が、つむじになったあとにゆっくりと舞い降りるのだろうか。低地になったこの場所には、神宮球場より凪いだ風がながれる。
「この時間はたまにタクシーが通るだけで、静かだし気持ちいいでしょう。最近はあれに風が邪魔されちゃってるけど」
ドアの外の螺旋階段で、メンソールのアメスピを吸いながら、あたらしく建った地上80メートルの巨大なタワマンを見上げていた。一階にゲバラ帽をかぶったモナリザが描かれていたこのビルにも、いま取り壊しの話がきているという。